ここはずっと「恵びす温泉」だと思っていたら、そうじゃなかったんだぁ。昭和31年の地図では「山下温泉」となっている。 銭湯の名称で「温泉」と名乗っているところが結構あるけど、本当の温泉が出ているかどうかは分からない。とくにこの場所は開港以前には海だったところだからね。 この地図で最も目をひくのは、広大な敷地に広がる「横浜地方貯金局」だ。郵政省の事務所と、そこからつながっている細長い2棟の建物。おそらくこれは国家公務員の宿舎なのだろうね。その横にはテニスコートもあるから。 そういえば港の見える丘公園と横浜外国人墓地の間に官舎があったけど、あれって今でもあるのかな。その敷地内に家族用のプールがあったのは、あまり知られていないかもしれないが、国家公務員住宅の敷地には、こういった余暇施設が併設されていたもんだよね。 という話はさておき、「山下温泉」のその後を調べてみた。この昭和31年の地図によると、経営者は鈴木たまさんという人だったようである。 これは昭和41年の地図。(有)山下温泉となり、代表者は新井昭吉さんになっている。 昭和47年。(有)山下温泉と並んで(有)高野商会の名前も登場している。 そして昭和51年には空き地になった。建て替え工事が始まったようである。 現在の建物は高野ビルとなって、その中に「恵びす温泉」が入っているのだが、ここで疑問が湧いてきた。インターネットで調べると、恵びす温泉は昭和52年創業となっている。はたして、現在の「恵びす温泉」は昭和31年当時の「山下温泉」と連続性があるのかどうか。 これでまた、夜も眠れなくなってしまう…… 参考に、コチラの記事もどうぞ。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
港の見える丘公園と横浜外国人墓地の間にあった官舎は、撤去工事中です。で、現在のステータスは(多分、近代遺跡の)発掘調査中。併設のプールは「税関プール」って呼んでた記憶があります。入ったことは残念ながらありません。
そうですね。木の塀で囲まれた木造のお風呂屋さんは
山下温泉でした。女湯の塀が木の節に合わせて目の大きさの穴が開いて居たお風呂屋さんです。笑)
あっ、貯金局の敷地内に体育館も有りましたよ。
山下温泉の通りは小学生の頃の通学路でした。
西の橋を渡って元町を通ってフェリスの階段を上がって通学してました。なので、毎日の通学路なので記憶が有ります。体育館で剣道やバレーボール等を行なってました。
新井清太郎の敷地は国際興行のバス車庫でした。
何か関係が有ったのでしょうかねぇ?
3枚目の右側の国道寄りに伝説のディスコ🕺
リバーサイドがチョコっと有りますね。懐かしいです。
リバーサイド、コルト45、日本最初のディスコ🕺
レッドシューズ等を思い出してしまいました。
翠華さん。お風呂屋さんから脱線して申し訳有りませんでした。
恵びす温泉には1回だけ行きました。
刺青の人がいて、隣り合わせになっちゃい、
お湯をひっかけないように注意しながら体を洗った記憶が…
情報をありがとうございます。
発掘調査中ですか。
何が出てくるのか、楽しみです。
“女湯の塀が木の節に合わせて目の大きさの穴が開いて居たお風呂屋さん”
いい時代だったんですねぇ。
体育館は記憶にあります。
レッドシューズもリバーサイドも入っていなかったことが悔やまれます。
むかし市の職業訓練校に通っていたころ、そう言えば近くに銭湯の看板を見たな~と検索したらば
はまれぽに記事がありました。
もしもうご存じでしたら失礼をば~
https://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=2224
そうそう、
たしかラドンなのかな、岩石が置いてあったと思います。
あれが温泉だったようです。
遠い記憶ですが、看板にラドンと書いていたような……