本牧の古老が亡くなった。嶋田昌子さんが逝去されてから3か月くらいだったのかな。訃報を聞いたときは、「まさか!」と思った。あんなに元気だったのに……。 ということで、11月、偲ぶ会を兼ねて「本牧良心の会」のメンバーが久しぶりに一杯会をやることになった。場所は、いつもの「一楽」である。 前菜。 古老の話でいちばん記憶に残っているのは、昭和20年5月29日の体験談だ。 トラウトサーモンと秋野菜の柚子胡椒炒め。 小学生だった彼は横浜市外へ疎開していた。そこに横浜大空襲だ。 そういえば、9年前に本牧の伊波新之助さんが学童体験のお話をされていたが、今はどうされているのかなぁ。 カニ味噌入りスープ。 自分の家族や家がどうなっているのか、気が気ではなかったという。 銀杏入りもち米焼売。 数日後、児童たちは横浜に戻ることになった。 海老とカボチャのチリソース。 石川町側から元町のトンネルを抜けて、麦田側に出たら一面焼け野原で、本牧まで見えたという。 ちなみに、このトンネルの正式名称は山手隧道であるが、石川町・元町側に住む人たちはこれを元町のトンネルという。一方、麦田から本牧にかけてのエリアに住む人たちは「麦田のトンネル」という。 どちらも自分たちの住む場所の名前でよんでいるのだ。この上は山手町なので、こっちに住んでいる人たちは山手のトンネルと言うのだろうか。 豚肉と秋ナスの甘味噌炒め。 本牧・小港方面の被害状況は、コチラ。昭和20年9月2日の撮影だ。 炒飯。 古老は食べられる雑草の知識もすごかった。本牧通りから山頂公園まで一緒に歩くと、その辺に咲いている草を摘まんで、「これは◎◎。茹でて食べればいい」とか「***は天ぷらにすれば旨い」などと教えてくれた。 杏仁豆腐。 しかし、せっかく教えてくれたのに、私はまったく忘れてしまっている。残念だ……。 胡麻団子。 当日はこんな話をしなかったのだが、美味しい料理を食べながら少しだけ思い出していた。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
きっと、ご本人も喜んでくれたことでしょう。
戦争を挟んだ時代の話は、いくら聴いても
聴き足りないですよね。
もっと伺っておくべきでした。
食べられる野草とか、学童疎開で食べた食事などの話を思い出しながら、
美味しい「一楽」の料理を堪能しました。
黄金町に住んでいたラーメン屋さんの話を聴いとかなければと思っているうちに、
入院されてしまい、結局、聞くことができなかったということがありました。
あのガード下がどのように変化していったのか、
ずっと見ていた方でした。