珍しく、日本映画、しかもドキュメンタリー映画のご紹介です。先頃の東京フィルメックスでもコンペ部門に選ばれて上映され、スペシャル・メンションを獲得した広瀬奈々子監督のドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』。映画祭の時にこちらでもちょっとご紹介したように、長きにわたって本の装幀を手がけている菊地信義さんが主人公です。
(C)2019「つつんで、ひらいて」製作委員会
1943年生まれの菊地さんは、1977年に装幀者(「装幀家」という言い方を好まず、「装幀者」と名乗っておられるそうです)として独立し、以後、いろんな本の装幀を担当してきました。これまでに装幀した本は約1万5千冊。単純に計算して1年に357冊、つまりは年中無休で1日1冊仕上げる! あらためてすごい方だなあ、と思います。実は、広瀬奈々子監督のお父様も装幀をお仕事になさっていたそうで、それで菊地さんを撮ってみたい、と思ったとか。本当は、このドキュメンタリー映画が広瀬監督の監督第1作になるはずだったとかで、劇映画『夜明け』の方が先に世に出ましたが、そんなみずみずしさもたっぷりとたたえた、秀作ドキュメンタリーです。今回は、映画の基本データと、それからフィルメックスでの上映後の広瀬監督Q&Aをアップして、この愛おしい映画をご紹介します。
(C)2019「つつんで、ひらいて」製作委員会
『つつんで、ひらいて』 公式サイト
2019/日本/日本語/94分/英語題:Book-Paper-Scissor/ドキュメンタリー
監督・編集・撮影:広瀬奈々子
出演:菊地信義 水戸部功 古井由吉 ほか
製作:バンダイナムコアーツ、AOI Pro.、マジックアワー、エネット、分福
企画・制作:分福
配給・宣伝:マジックアワー
※12月14日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
<以下、11月24日の東京フィルメックス上映時に行われたQ&Aです>
市山フィルメックス・ディレクター(以下「市山」):ではまずはひと言ご挨拶を。
広瀬監督(以下「監督」):昨年は『夜明け』という映画で参加させていただいて、これが2作目になります。本日はよろしくお願いします。
市山:昨年、広瀬監督のデビュー作『夜明け』を上映しまして、スペシャル・メンションも受賞しました。今年ドキュメンタリーを撮られて、拝見したところ素晴らしい映画だったので、2年連続で来ていただきました。最初に僕の方から、一つ質問させていただきます。この作品は本の装幀という、我々も今まであまり気にしないでいたことに、こんなに手間というか、すごい時間といろんな事を費やされているのを見て素晴らしいと思ったんですが、こんな題材をなぜ撮ろうと思われたんですか?
監督:実は、『夜明け』よりも先にこの作品を撮り始めまして、このドキュメンタリーを私のデビュー作にしようと思っていました。元々は私の父が装幀家でして、もう11年ぐらい前に亡くなったんですが、あらためて装幀ってどういう仕事だったのかな、と知りたくなりました。実家の本棚には菊地さんの本があって、それまでにも名前は聞いたことがあったんですが、その本がふと目に入って読んでみたら非常に面白かったんです。筑摩書房から出ている「装幀談義」という本だったんですが、ただただ、この本はどういう紙でできていて、どういう字が使われています、という事だけなのに、装幀の仕事というものがとてもよくわかりました。それまでは装幀のことがよくわかってなくて、本のカバーをデザインする仕事だ、ぐらいに思っていたので、こんなに中身の重層的なところまでデザインしていて、あらゆるところまでやる仕事なんだ、というのがわかって、すごく興味がわきました。何よりも、アーティストであろうとするよりもあくまで裏方に徹する、そういう職人的な姿勢に非常に引かれて、菊地さんにお会いしてみました。
市山:では、前から知り合いだったのではなく、その時に初めて?
監督:はい、初めてお会いしました。映画の中にも出てくる喫茶店で、初めてお会いしたんです。
市山:その時に簡単にOKが?
監督:いえ、その時はですね、僕は映像は嫌いなんです、と言われて(笑)。ソッコー拒否ですね。でも、もう一度会うことになって、3ヶ月後だったかに会わせてもらったんですが、その時はまた全然態度が違って、いいことみつけた、って(笑)。僕の頭に小さなカメラを取り付けよう、と言い出して、おかしな人だな、と思ったんですけど(笑)。完全に演出家の気持ちになっていらしたようで、そんな風におっしゃっていましたね。
Q1(女性):ナレーションがなくて、必要なことだけが字幕で入っていますが、こういう形にしたのは?
監督:本来であればディレクターの声とかも排除すべきかな、と思ったんですが、あえて自分の声も入れて、その会話の中で見せていくような作りにしました。それで第三者を入れるのは考えにくかったのと、できるだけ、本を読むような読後感の作品にしたかったので、ナレーションという選択肢は排除しました。
Q2(男性):2つお伺いしたいです。一つは、菊地信義さんは装幀家として大家だと思うし、アーティスト的な人でもあるので、美術家的な人を撮ることについての映画監督としての緊張感、難しさというか、当然映画を見るだろう菊地さんの評価とかを意識した緊張感のようなものがありましたか? もう一つは、装幀という本に関することを映像として見せることの難しさはありましたか?
監督:おっしゃったように、菊地さんという人は演出家という側面があって、なかなか撮らせてもらえない人だったんです。私が、こういうシーンを撮りたいんですけど、とお願いすると、いや、それはちょっと違うんじゃないか、もうちょっと別のアイディアを考えてみてくれ、と言われてしまうことが多かったので、そういう緊張感は常にありました。ずっと、できあがるまでありましたね。だから、もう本当に、共作と言っていいと思います。菊地さんに見ていただいたあとは、そんなに多くを語られはしなかったんですが、僕は今第4期に入っている、というような言い方をしていて、これまでの自分の装幀家人生を振り返って、これからは第4期らしいんですけれども、非常に前向きでしたね。銀座の事務所はたたまれて、今は鎌倉のご自宅で作業をしているんですが、すごくやる気に満ちていて、これからはやりたい仕事しかやらない、と言っていました。この映画の宣伝活動とかもひっくるめて、何か全部自分のものにしているような印象を受けるんですよね。非常に生き生きしていて、しっかり世の中に認知してもらえるように、逆にこの映画が利用されているような、そんな印象を受けます。
もう一つの質問ですが(と、質問者に確認して)、菊地さんが装幀をする上で一番大切にしているのが触感、手ざわりだと思うんですが、それを映画で表現するのはすごく難しいことなので、できるだけ五感を刺激する紙の音だったりとか、そういう部分に気を配りました。あと、別撮りですね。本を撮る時には私ではなくて別のカメラマンにお願いしているんですけれども、どういう角度で照明を当てたらどういう風に紙の質感が出るとか、どういう風に活版の凹凸とかが出るとか、そういうことはかなり慎重にやって、時間を掛けて撮りました。
Q3(アップリンク浅井社長):エンディングクレジットは、菊地さんが書体を組んだんですか?
監督:いや、実はですね、あれはお弟子さんの水戸部功さんが、手書きも含めてデザインして下さいました。
Q3(続き):結構エンディングクレジットで、ロゴで企業名が読み取れなかったんですけど、何かロゴに入れない事情があったんでしょうか?
監督:基本的には、ご協力いただいた会社の方には、ロゴもしくは会社の正式名称を入れさせて下さいというお願いをして、向こうが希望するものを入れている、という形になっています。
Q4(女性):今回のドキュメンタリーは、音楽がすごく暖かい気持ちにさせてくれるというか、印象に残ったんですが、音に関することのお話をうかがいたです。
監督:難しいですね、どういう言い方をしたらいいんでしょう...。本もそうだと思いますけど、やっぱり紙であることに五感が刺激されると思いますし、映画も劇場に来ることによって五感を刺激されて、映画鑑賞という体験になっていくと思うんですが、やっぱりその時に音というのはテレビで見るのとは全然違う感覚をもたらすものだと思うので、かなり気を遣っています。でも今回は、基本的に自主映画のような形で撮り始めたので、自分でカメラを回して、ほぼカメラマイクの音なんですよね。なので結構限界もあって、ポスプロで一生懸命整音をしていった、という形でした。
音楽は、菊地さん自身がタンゴがお好きでよく聞かれていたので、そこからイメージを発想させて管楽器が合うんじゃないかと思いました。最初実はbiobiopatataさんのことは知らなくて、別の方にお願いしていたんですが、そのバンドのライブを聴きに行った時、前座でbiobiopatataさんが演奏していたんですね。で、圧倒的にそれがよくって、何と言っても手作り感があり、すごく菊地さんが目に浮かんだんです。この人にお願いするしかないな、と思って、予定を変更してbiobiopatataにお願いすることになりました。そんな経緯です。
Q5(外国人男性):エイゴデイイデスカ? 素晴らしい映画をありがとうございました。おそらく途中で、次世代の水戸部さんに引き継いでいただきたいという思いがありながらも、ある意味そこで終わりにしたいということも考えられていて、そこに引き裂かれているような印象を受けたのですが、それについてどう思われますか?
監督:そうですね、水戸部さんに引き継ぐという意思がどれぐらいあるのかちょっとわからないんですけど、自分でやめると言いながら、やめる意思がそんなにない人なのかなと私は思っていて。少しずつ作品の数も減らしていると思いますし、体力的にもどういう風に自分のキャリアを終わらせていくか、ということを視野に入れているとは思うんですけれども、あくまで自分の作品は自分の作品、水戸部さんは水戸部さんの作品、という風に捉えていると思います。今後は自宅に仕事場を移して、神保さん(東京事務所でアシスタントとして、コンピュータ処理作業等を長年やってきた方)との関係も今は解消していると思いますけど、菊地さんがデザインしたものを今は基本的には水戸部さんがデータ化して納品する、という形になってるみたいです。なので、関係がちょっと特殊なんですけど、アシスタントのような形を取りながらも、作家としては独立し合っている関係なのかな、と思います。
市山:この映画は、12月14日(土)からイメージフォーラムで公開するので、ぜひとも皆さんのお知り合いの方にお薦めいただければと思います。どうもありがとうございました。(大きな拍手)
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菊地さんは今、映画に登場した銀座の事務所からは撤収して鎌倉のご自宅にベースを移し、お弟子さんの水戸部功さんの事務所を東京の拠点にしながら、お仕事を続けておられます。先週の日曜日、12月8日の毎日新聞日曜版に、「匠の技 手作業のブックデザイン 装幀家 菊地信義さん」という大きな紹介記事が出ていて、本作『つつんで、ひらいて』の公開でさらなる注目を浴びていらっしゃるんだな、と思いました。また、昨日届いた友人の出版社木犀社の通信にも、「小社創業以来32年、ほぼすべての本の装幀をしていただいている菊地信義さんの仕事ぶりを三年間にわたって撮影した『つつんで、ひらいて』。」という一文があって、本作のことが紹介されていました。松本市にある木犀社は、関宏子さんと遠藤真広さんというお二人による出版社で、西岡直樹さんの名著「インド花綴り」等を出しています。こんな風に「菊地信義さんネットワーク」があちこちで発見されて、この映画の内容がいよいよ身近なものになりました。
最後に、「菊地信義さんネットワーク」の末端に私自身もいることをお伝えしておきたいと思います。そうなんです、拙著の1冊目、「アジア・映画の都」(1997)の装幀も菊地さんにやっていただいたのです。私が希望したのではなく、出版社めこんの担当者が依頼してくれたのですが、今回『つつんで、ひらいて』を見ていて、自分の本は菊地さんの装幀としてはちょっと異端に属するのでは、という気がしてきていました。でも、今回、この紹介を書くのでじっくりと見直したところ、表紙のタイトルが傾いだ四角に入っていたり、サブタイトルと著者名の字に少しだけ赤がかぶせてあったりと、これはやはり菊地さんしか思いつかないデザインだろう、という確信も持てて、1万5千分の1になった幸福感を味わっています。中のページでも、ノンブル(ページ数の数字)がちょっと変わった位置に振ってあり、これは出版当時めこんの担当者が、「すごくしゃれてるんだけど、版組にお金がかかって(泣)」と言っていました。32年前の「アジア映画巡礼」の出発地点を記したこの本は、私にとってとても思い出深い1冊です。菊地さん、その節はありがとうございました。
(C)2019「つつんで、ひらいて」製作委員会
面白い装幀の秘密が見られ、文化に関わる人間の仕事とはどういうものか、ということがよくわかるドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』。あなたもぜひ劇場でご覧になってみて下さい。本日が初日だったわけですが、こちらのツイートを見ていると、劇場用パンフも素晴らしいようなので、買いに行こうと思います。出版文化を高みに引き上げてくれる菊地信義さんのお仕事に、そしてそれを我々に伝えてくれる広瀬奈々子監督の映像に、おいしいコーヒーで乾杯!!