cobady的創作生活

オリジナルで製作したテディベア(ぬいぐるみ)と
教室で誕生した生徒さんの作品をご紹介しています。

たったそれだけのことなのに

2009-06-27 08:40:09 | ある日の出来事
思春期の頃から私は、自分が女性であるということを受け入れることが少しだけ難しかった。

身体的にも社会的にも。

女性らしくありたいと思ったことはなかったし、女性だから女性の役割(と社会が思っていること)を担わなければいけないという意識も持たなかった。

にもかかわらず、私の見た目はいかにも女性であり、私のふるまいはいかにも女性っぽい(らしい)。

それは多分生まれもった雰囲気と嗜好と美意識によるものであって、「女性だから」女性らしく女性の役割を担っているのとは違う。

たとえば・・・

私は女性だから裁縫をするのではない。

女性だから料理をするのではない。

女性だから掃除や洗濯をするのではない。

単にけっこう好きだから自分の仕事としてやっているだけ。

それを誰かが喜んでくれるなら、それは私にとっても大きな喜びであるわけで。

同様に、機械をいじることも日曜大工も、けっこう好きだから、やる。

夫は基本的に、私に「妻」の役割を押し付けることはしないでいてくれた。

ただ、一緒に生きるパートナー、同志として、支え合って暮らしてきた。

さすがに「嫁」の役割から私を庇いきることは出来なかったけど・・・(笑)

それでも、「嫁だから」ではなく、「みんなが喜んでくれるから」と思うことで、たいがいのことは乗り越えられた。

でも。

ここにきてひとつ、大きな壁が浮上してきた。

子供を産むか、産まないか。

35歳。高齢出産。リミットの足音が聞こえてきた。

自分が女性であることを受け入れ難い私にとって、妊娠・出産は素直に「うれしい」と思えるようなことではない。

自分は女性だという意識がないのに、身体は女性であるという事実による葛藤、違和感。

妊娠・出産・授乳は私にとって大きな苦痛でしかないかもしれない。

そして、子供のまま歳をとってきてしまった私に子供が育てられるのか??という不安。

いつも少しだけ世間からはみ出している私の性格は、子供を孤独にしてしまうのではないか・・・。

だけど、この先の数十年を考えた時、やはり子供のいる未来は明るく楽しい気がする。

血とか遺伝子とか私にはよく分からないけれど、でも自分の、そして夫の、優しさ・強さ・愛・想いを受け継ぐ子供を育てたい気はする。

う~ん。

でも、「子供が産みたい」ではなく、「子供がいたらいいかもね」くらいの気持ちで子供を作って大丈夫なのか???

結論を出すのは、まだもう少し先に延ばそう。



昨日と一昨日、二人の友人とそんな話をしていました。

多くの女性が普通に自然に当たり前にこなしている出産や育児が、ちっとも当たり前には思えない人もいる。

ほんのささいな悪気のない言葉に傷つき、理解し合えない孤独を抱えて生きている人がいる。

ただ自分が自分らしく、世界の片隅でそっと生きていたいだけなのに。



さて、今から鳥取へ行ってきます。
コメント (8)
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