りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

今年の富士山

2020-08-14 23:12:40 | 山歩き

それにしても暑い。。。
毎日、暑いっ!
こんなに暑いときは、富士山あたりを歩けば、
さぞかし涼しかろ~♪と思うのだが、
今年ばかりはそれもかなわない。
いや、ここ数年、なぜか僕は富士山に近づけない。
なんの呪いか?と思ったりもする。

富士山登頂が8回で足踏みしたままで、丸2年が過ぎた。
年に一度(あるいは二度)のチャレンジで、
まずは10回登頂を目指していたので、
普通に登れていれば昨年あたりには目標達成を見ていたはず。
なのだが、不思議な巡り合わせでずっと登れないまま、
今年の夏を迎えてしまった。

今年の富士山がどうなっているか?
気になるところではある。
が、蛮勇を奮い、社会からの顰蹙をかえりみず登ったところで、
トイレが開いていない。。。
登山道も今年は整備されていないし、
山小屋、山室も営業していないし、登山口まで続く道路も閉鎖されている。
吉田口だけは五合目まで行くことは行けるらしい。
売店なども少しは開いているらしいのだが、
実状についてはよくわからない。
つまるところ、富士登山は事実上「禁止」されている。

個人的には丸2年の我慢が丸3年に延びた
という受け止めでいる。
残念に思うけれども、頼まれたって
このタイミングでは登る気にはなれないですよ。
楽しく登れる雰囲気がまるでないもの。
思いっきり危険そうだし。

だが。
それはあくまで個人的な話。

「山登り」について、いろいろな意見、批判がある。
けれど、普通、「山登り」そのものを「禁止」することはできない。
危険があからさまに指摘されている登山でさえ、
自由をめぐる権利の問題として考えると、
話はそんなに簡単じゃない。
「禁止」というのはとても難しいことなのだが。。。
そういった議論が為された形跡を、僕の方では追えていない。
ちゃんと経緯を公開しているのかな?
仮に議論があったとしても、
その議論を追跡できないのであれば、これはかなりおおごと。
いや、わかるんですよ。
富士登山に関わるありとあらゆることが、
感染拡大を阻止することと大きく矛盾する。
救助隊や医療のことなどを考えると、
禁止という結論に至るのもわかる。
ですから、ただ禁止というだけでなくて、
少なくとも、人の行動の自由を制限するにあたって、
決定の法的根拠は示されるべきで、
決定の責任についても明確にすべき、はずですよね?
って思うわけなのだけど。
なんかすっきりしていないのである。

武漢肺炎の新型コロナウイルスに絡めてしまえば、
根拠なく命令できる?
なし崩しに決定される規制や禁止。
これを当然と受け止めるムードは本当に不思議だし、恐ろしい。

香港の問題を思い浮かべる。
あの人類史上、もっとも軽蔑すべき「香港特別行政区国家安全維持法」。
もはや人類の敵として、揺るがぬ地位を
自ら望んで確固たるものにした中国共産党でさえ、
蛮行の根拠としての法律は明らかにしている。。。

なんだか、今年の夏はいろんなことで頭がくらくらしちゃうんだけど。。。
不思議も理不尽も暑さに融けるか?
いや、いや。。。そうはならないよ。

「富士山は信仰の山なので、そう軽々しく登るべきではない」
と言った、この頃のご時世とはまったく関係のない、
もっと根本的なご意見もある。
期せずして、富士山は今年、誰も近寄れない山になった。
聖性のゆえに登れない、というのであれば、
これは根拠とか理不尽とかを遥かに越えている。

富士山のことが好きで登っていた僕にしても、
あんまり気安く登るべきではないのかな?
と長いブランクの間に幾度か考えたことがある。
富士山がもし「禁足地」であるのなら、
わざわざそれを破ってまで登ろうとは僕も考えないのかも知れないけれど。。。

かつて何度も到達したことのある山頂には、
僕にとっての大事な思い出が数え切れないほどある。
その場に行くことが禁じられている現在の状態は、
異常な中でも特別に異常な事態。
そうすると、富士山の頂上から何度も眺めたあの景色は
紛れもない自由の景色であったのか?!と。
そのことを切実に思う。






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