「飾る」ことをちょっと考えていた。
「松林図屏風」のことが子供の頃からずっと大好きなのだけど、国宝のオリジナルはいざ知らず、レプリカでさえ自宅に置く。。。飾るとなると、これはたいへんに難しいぞと(^o^;)
長谷川等伯という名前を認識するよりも前に「松林図屏風」には惚れ込んでしまっているので、偏愛歴はかなり長い。
小学4年生のときからなので(^ω^ゞ
他にいろいろ好きなものはあるけれど、「松林図屏風」は、僕の中でかなり特権的な場所で君臨し続けている。
何と言っても「松林図屏風」である。美術館で展示する、保管するというのと、生活空間に「飾る」というのとは、まったく違うことになる。
せっかく屏風なのだから、屏風として置いておくのが正しいと思う。それを壁にかけるなんて。。。ちょっとね(^o^;)
それでは、屏風の似合うひと部屋を用意できればそれでよいか?というと、そういう風にはならない(^o^;)
ひと部屋で済むはずはないのである( ・ิω・ิ)b
と考え始めると、どんどん手に負えなくなる(^o^;)
屏風を使う生活というのは、僕の中ではもはや想像の世界の話で(^o^;)
実は、やってみればどうということはないのかもしれないけどねぇ(*´ω`*)
今のところ、よくわからない(^o^;)
屏風を置く生活を想像すると、いろんなイメージが湧いてくる。妄想が膨らむのはたいへん結構なのだが、ずっと考えてると気が遠くなりそうなので、これについてはもはや残念とさえ思わなくなった。
好きだから持てるか?というと、そうでもないっていうのは、いわゆるガマンとはちょっと違いますな(^o^;)
常識的と言えば常識的な諦観ではある。
「松林図屏風」を欲しいなどと、普通は思わないものなのかもしれんが。。。。好きなものは好きなんですよね〜(^ω^ゞ
でも、普通に「松林図屏風」を置いておけるお宅というのは想像できる( ・ิω・ิ)b
「陰翳礼讃」を地で行くような日本の家屋。そんな家であれば、あっさりとおさまりそう。
それはよいなぁ〜(*´ω`*)と思う。
要はそこにあることが「自然」であるとか、「必然」であるとか。あるいは「切実」な要請があるとか。
取ってつけたような飾り方というものも、それはそれで無いではないけれども。いささかも興味を惹かれない。
「よいなぁ〜(*´ω`*)」とはならないのよね。
「陰翳礼讃」の日本家屋に「松林図屏風」。これは普通に「良い」。
そうなると、「松林図屏風」にとどまらない。いろんな「よいなぁ〜♪」が思い浮かぶ。
レプリカの「松林図屏風」より、いっそ別の本物を。。。という、至極あたりまえの考えにいたる。
但し、自分自身でそこに住むことを想像すると、と〜っても楽しいのだけど、実際にやってみたら、不馴れというか、かなりぎこちないことになるのは間違いない。
僕自身がそういう環境で暮らすことを「自然」にできるか?というと、これが甚だあやしいのだ(^ω^ゞ
僕にとっては、伝統的な日本の家に住むこと自体が一種の挑戦になっちゃうんだろうなぁ。
暮らし方の根本的なところは、日本というところでそれほど変わらないとは思うのだけど。
まぁ、ムリにあきらめて、その可能性を閉じる必要はない。
いつか、できたらよいなぁと。
ただ、現在の現実からはだいぶ遠いかな(^ω^ゞ
おっとΣ(゚∀゚ノ)ノ
暮らし方じゃなくて、飾り方の話だった(^ω^ゞ