りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

もはや怪異( ・ิω・ิ)b

2023-05-24 00:02:29 |  日 記 
お天気がちょっと気になった週末。天気予報によれば、僕らの目的地のいずれも、あまり芳しくないという。

けれど、「これ、ちょっと違くね(・o・)?」と、直感とは違う経験が僕にささやく(^o^;)
空模様が際どいときの天気予報を基本信じていない僕らは「だいじょうぶそうだね~♪」ということにして、さっさと出発することにした。この「ささやき」の方が、結果としては正確なことが多い。
それが、笑っちゃうくらい高い確率なのが、なんとも不思議。

いつも思うのだが、天気予報が普通に当たるときというのは、僕らでもたいてい容易に予測がつく( ・ิω・ิ)b
そこで天気予報の的中率を誇らしげに言われても、ありがたくもないし、ほとんど意味がない。肝心なのは自分でも「ちょっと、どうなるのかわかんないな」っていう時。そんなときは天気予報を確認する。
そして、天気予報の逆を張るようにしている( ・ิω・ิ)b
これで、面白いくらいうまくいくので、ある意味、使い方次第で天気予報はかなり正確とは言えるんだろうけど(^o^;)

お天気がどうであろうと、出かける時には出かける。よっぽどでない限り、自分たちの事情に変わりはないので、実は天気予報が当たろうが外れようが、一向に構わない。準備することが少し増えるとか。そんなもん。
ただ、スマホなる個人用の端末に、システマティックに送り込まれてくる情報が「こういうもの」として世間に受け入れられていることが本当に不思議でならない。
みんな、全然気にならないのかな(・o・)?
「無責任」を「そういうもの」として人に飲み込ませるシステム。
天気予報が当たる当たらないなんて、問題ですらない。

気にしなければどうということもない。そういうのって、世の中にはたくさんある。
また、そういうことほど、気にしはじめた途端に、納得のいかないことが次々に出てくる。芋づる式( ・ิω・ิ)b
呆れるほどたくさん出てくるのである(^o^;)

僕の中で、「限りなく詐欺に近いよね」と思っているのが「地震予知」( ・ิω・ิ)b
地震に対する備えは本当に、しかも深刻に必要だと思うし、そこを疑ったことはない。けど、「予知」が現実の安全にどれだけ貢献したのか?を考えると、意味がないどころか、むしろ真逆の効果をもたらしているとさえ思えることがある。
「地震予知」そのものが、ある種の危険を招いているようにしか思えないのである。
その論拠をあげればキリがない。特別に探さなくても、百害あって一利なしの論拠がその辺にゴロゴロ転がっている。
だいたい、世の中に「地震予知」を信じている人がいるのかな?というくらい。僕個人としては、本気で「地震予知」を可能と信じている人に会ったことがない。
にも関わらず、国の予算が「予知」にずっとつけられている。。。何十年もの間、不可能を承知で、毎年の予算が請求され、不可能が検証されることなく、これが了承される(・o・)?
「地震予知」、これはもはや怪異の一種ですな( ・ิω・ิ)b

その種の怪異は枚挙に暇がない。
「地震予知」はまだかわいい方なのだ。
ほとんど外患誘致じゃないか?と思えるような様々な利権が、例えば「健康のため」とか「環境のため」とかいう名目で、幅をきかせている。
現代社会は、よくもまあ種々様々な怪異をあちこちに育て上げてきたものだなと。
最近の怪異は、さらにあからさまというか、正体を隠すことも面倒なのか?臆面もないどころか、暴力的に自身を誇示したがる傾向にある。
コオロギ太郎?
だれ?それ?
呆れるを通り越して、哀れでさえある。


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