りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

曖昧な「ロケーション」

2023-11-22 17:57:36 | 更級日記
菅原孝標ご一行の東から西への旅についての記述は、現代の専門家にとっては第一級の紀行文として捉えられている。。。らしい(*‘ω‘ *)
紀行文(*‘ω‘ *)?
ふうむ(*‘ω‘ *)
確かに、道行きのシーンは様々に、例えば旅立ちにあたって取るべき手順などが、ざっくりではあるけど描かれていたりする。
あとは地理、地誌的なこと。
どこかの景色を眺めて、誰かが何かを言ったとか。
あんまり見るべきことはない、とか。
ここはなかなかに美しいとか。
都から逃げ出した姫が国ひとつ与えられて、この地で生涯を過ごした、という話を聞いたとか。
噂の足柄山がどんなだとか。
足柄山の山越えのくだりはそうなんだけど、ところどころ大げさなんじゃ?と思われる箇所もある。

ひとつの家が、なかなかの供揃え、結構な大人数で旅をする。ゆっくりと進んでいくキャラバンのような。大名行列とまでは言わないまでも、これは公的かつ必然的な要請で為されるべき「旅」。実際に「旅」した人の報告として見れば、確かに第一級(*‘ω‘ *)
しかしながら、紀行文としてはディテールが少々曖昧な気がする(´ε`;)
道中、長く逗留している場所などもあるのだけれど、具体的な地理などには、作者はどうもあまり関心がなさそう。「なんとなくこの辺り」という以上の明解さはない。具体的な地名や名称が出てくるのだけど、現在において、ピンポイントで「ここ!」と名指しできる場所は、道中にはあまりない。
もっとも、これは「日記」の体裁を借りた「自伝」的「物語」の叙述。そもそもが紀行文を目指したものではないのだ。その価値が第一級であるのは認めるところだが、シーンそれぞれに「物語」に資するイメージが仮託されている、として読むのが本筋ではないかと。具体的な場所というよりは、そこをどう描写したか、あるいは具体的にどんな地名、名称、名前が選択されているか。そこに描こうとしているイメージは何を表そうとしているのか。つまりは、「お話」は「お話」。そのまま受け取るのがいいんじゃね?っていうことになるんだけど(^o^;)

とはいえ(*^ω^)b
舞台は現代の現実のロケーションと文字通り地続き。
現代の地理と比較して読めるようなところもある。
神奈川県で生まれ育ったわたくしとしては、相模国のどの辺りを通って足柄山を超えたのか?なんとなく気になるところ、ではある(*‘ω‘ *)
わが故郷も「物語」の舞台にチラッと出てくる。映画とかドラマとかアニメとかだったら、「聖地巡礼」のロケーションが故郷にもあるっていうのと同等なわけである(*^ω^)/
ただし、正確に「ここ!」と言い切れない(^o^;)
なんとなくこの辺り。としか言えないのだけど(^o^;)

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