りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

ふりかえり(*´ω`*)♪

2024-01-26 17:33:18 |  日 記 
昨年に聴いた音楽はなかなかに膨大で、数だけを言うなら、僕の人生の中で特別に突出している(*^ω^)/

夏からこっち、図書館に足繁く通っては、自分たちにとっては耳新しい、けれど全体としてはかなり古めな音源を、気の向くままに聴いてきた。
時代が移り変わり、もはや店頭でCDを眺めることがなくなって久しいわけだが、だからといって慣れ親しんだメディアが完全に消え去ったというわけでもない。
ちくちく、ちまちまと買い集めてきたCDが、気づけば膨大なコレクションになっているわけだけど、自分で買うというのとはまったく別の、「借りる」というセレクトが妙に新鮮で(^o^;)
こういう楽しみ方が図書館にあったのかと、いまさらながらに思いつつ、音楽とはいえ僕にとっては不案内な領域に分け入った。

同じ音楽を聴くのでも、「買う」というのと、「借りる」というのは、まったく違う体験に違いない。
「借りる」という気安さは、「ちょっと気になる」とか、「確認してみる」とか、そういう動機で音源を鳴らすことになる。
いまどき、YouTubeやらAmazonなどでさらっと聴けてしまうというのはわかってる。が、何億曲あろうと、そこから「これを聴く」とする「きっかけ」はデータベースそのものにはない。
「ちょっと気になる」が、例えばジャケットの写真だったりというような。あるいは、読んでいた小説のある場面に流れているはずの曲とか。音楽そのものとは違う「きっかけ」が、かつての音楽のパッケージにはあったりする。
それは、現在ではサムネにあったりするのかも知れないし、検索すれば一発!ということなのかも知れないが、残念ながら、僕はそこには反応できないのだ(^o^;)
それなりに古いもんで(^ω^ゞ
そういう意味で、図書館の棚というのは、僕にとってはとっつきやすい。

だいぶ聴き進んで、そろそろ図書館の棚の全容が見えてきたかなぁ。。。と思うすぐそばから、面白い音源が現れることもあって、思っていた以上に奥行きがある。
わが地元の図書館コレクションはあなどれないのだ(*^ω^)b
気になったタイトルだけをひょいひょいと拾い上げていくだけなのだが、何が起こるか?やる前にわかったつもりでいた自分なんて、片腹痛いですな(^^ゞ
思いもよらなかった経験をたくさんさせてもらった。
知っているつもりの、でもその先を追いきれていなかった音源とか、カセットテープで聴いていた昔懐かしの音源を見つけて、ダビングしてくれた友達の優しさを思い出したりとか、昔々に聴いたことのある、でもタイトルは知らなかった曲とか。そういう「あはっ!これは!」っていう音楽と出会ったり、再会したような気分になったり。
いつか手に入れようと思っていた名盤をいくつも発見したり、貴重なBOXを丸ごと聴かせてもらったり。
そして、たまに入ってくる新しい音源の中に、驚くほどの名盤を見つけたり(・o・)!
こんなにいろいろ発見できるなら、もっと早くにやっておけばよかったと思うくらいなのだが、何事にもタイミングがというのはあるものらしい。それがこの半年間だったということなんだな(*‘ω‘ *)

新しい音源を次から次へと聴きまくる。。。というのは、個人的にはめずらしい。どちらかと言えば、気に入った音源をひたすらに、もうほんとにひたすらに繰り返して聴くのが好きなタチなので、放っておくとそればかりになる。
本当はそれだけで十分に幸せなのかもしれない。
好きな音楽をただひたすらに聴く以上のことがなぜ必要なのか?僕にしてもわかりやすい説明ができるわけじゃない。
ましてや明解に定義できてるわけじゃない。
意識的に、例えば毎日の習慣に落とし込むようにして、自分にとって新しい音源を聴くようにしてきたのは、放っておくとそればっかりになってしまう閉鎖的な耳をなんとかして開こうとして、若い頃にそう決めたからなのだけど、おかげさまでいろんな音楽と出会うことができたと思っている。

もちろん、せっかく出会った、たくさんの「お気に入り」の1枚を、どこかでゆっくり聴く時間は大事。
この半年をふりかえってみるのは、寒い季節にお誂え向きではあります(≧∇≦)


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