昨日Twitterで流れてきた噂・・・本当だと思いたくはなかった。昔からテレビで見てきたSMAP。解散してもいつかはまた5人揃ってと・・
でも一方でやっぱり自分は根っからのTOKIOファン、太一ファン。また番組でコメントしなきゃいけないんだ、って思うと昨日から辛くて。
早朝に撮られた街道インタビューとジャニーさんのコメントが流され、その後いつものように堀尾さん、太一くん、真矢さん3人揃ってのオープニング。
太一くん「元SMAPの稲垣さん、 草彅さん、香取さんがジャニーズ事務所を退社という情報、自分も今朝知りましたけど、解散の時も本当に驚きましたが今もこうやって街の声を聞いていても影響というのは大きいんだなあと感じましたね」
真矢さん「本当ですね。もうブランドですからね、SMAPさんて。・・まだ私なんかは離れたって言うよりもなんか一生離れないような繋がりがあるような気がして見えますけどね・・」
堀尾さん「街の声にもありましたけど、まだくぎりの最後のコンサートやって欲しいななんていう気持ちになってる人も多いですよね」
太一くん「ああいう声もどうか汲み取ってもらいたいなとは思いますけども」
今朝の各スポーツ紙を赤荻アナが紹介。ほとんどの新聞が一面で報道しているんですね。
ジャニーさんのコメントが読み上げられ、それを受けて、
太一くん「SMAPがデビュー前、そしてデビューしてからというのはジャニーさんとSMAPの関係性を僕は後輩としてずっと見てましたけど、ジャニーさんの中でも今までのグループとはちょっと違う、そういった形で一緒にここまで進んで来たのかなと思うんですよね。なので、音楽番組とかもなくなってきた時代にSMAPはデビューしなきゃいけない、どうやってアイドルとしてこれから活躍していけばいいんだ、それをジャニーさんとも一緒に考えたんじゃないかなと。関係性としてはいつも笑顔ではあるんですけども、SMAPとジャニーさんが厳しい目で言い合っているところも見たりとかしていて、その関係に僕は憧れてもいました。なので(ジャニーさんコメントの中の)素晴らしいっていうところもそうだし、思い出っていうのもジャニーさんの中でもたくさんあると思うし、またなにかジャニーさんの中でのプロデュース力というのもSMAPがいたからこそどんどん上がっていったのかなと。それに対するありがとうなのかなと。そしてパワーをもらったということも含まれているのかなあと思うので、このジャニーさんの言葉というのは・・沁みますね」
ジャニーさんとSMAPさんの関係性というのが単なる経営者と所属タレントとしての一方的なものではなく、また売れっ子タレントに対しておべっかを使うような なあなあ の関係でもなく、お互い厳しい目で言い合うことができるような間柄だったのだなあと。
そしてSMAPとのそうした関係に刺激されジャニーさんのプロデュース力も上がったのではと語る太一くんに、SMAPへのリスペクトをあらためて感じました。
堀尾さん「TOKIOとSMAPって直属の先輩みたいな感じなのかな?」
太一くん「そうですね。SMAPさんがデビューした翌年くらいに僕らがデビューするので」
実際はSMAPは1991年、TOKIOは1994年デビューですね。(^^;
堀尾さん「ライバルでもあり、先輩でもあり、そこらへんの太一さんのSMAPに対する気持ちってどうなんですか?」
太一くん「いつか追い越したいと思いずっと続けてきたので、ライバルだと思いながらも『絶対に俺は負けないぞ!』という気持ちはありましたけど、どこかで『同じ事をやっていたら負けてしまう』だからちょっと違う事をやりながら進んでいかなきゃいけないんじゃないかなという思いはありましたね」
太一くんは前から率直に語ってましたね、SMAPさんに対しての少し嫉妬や憧憬も含んだ自身のライバル心について。スケートボーイズからの流れでSMAPメンバーが不在の時サポートメンバーとして活動してた経験がある太一くん。負けず嫌いな人だから常にSMAPさんの事は意識してきたんだと思います。
SMAPのデビュー時からのヒット曲を辿るVTR。
太一くん「今のVTRを見ていても、名曲が多いですね。」
同意するビビットファミリー。
太一くん「それがまた学校の教科書に載っていたりと。その影響力っていうのはすごいですね、あらためて思い増すけども・・すごい人たちだったんだなって本当に思います」
SMAPの歴史。
デビュー前に武道館で初コンサート。
太一くん「SMAPさんに関してはデビュー前からかなり人気があったグループだったので、デビュー前に日本武道館でコンサートをやるって話を聞いて、僕もそこでバックをやらせてもらって。すごく思い出に残ってますね」
ここで太一くんと坂本まぁくんがスケートボーイズのメンバーだったという話。
竹山さん「そっからまた『君と、君と・・』って」
雪野さん「分かれて?」
太一くん「そうです、歌番組や情報番組なんかでSMAPが出る時は6人だったり時々僕が入って7人になったりとか。~~」
真矢さん「じゃあ太一くんがSMAPだった かも しれない?」
太一くん「それは・・ジャニーさんしか分からないですけども」
真矢さん「可能性はあったんですね」
太一くん「かもしれないですね。」
真矢さん「近くで見ていらしたんですね、いろいろね」
太一くん「そうです。西武園ゆうえんちでのCDデビューイベントなんかもすごい雨が降った時だったような気がするんですけど、あの時はSMAPさんだけだったんですけど結構西武園ゆうえんちでのイベントっていうのもSMAPさん多くてそこでバックをやらせてもらったりとか、SMAPが持ってた番組も西武園ゆうえんちで収録だったりとかして皆でロケバスで行ったりとかそういう思い出もたくさんありますね」
『夢がMORIMORI』観てたなあ。
真矢さん「衝撃でしたよね?体張るっていうね、アイドルの方が」
太一くん「SMAPがデビューした時っていうのが音楽番組がどんどん終わっていった時代、テレビで歌ってる姿をなかなか見せる事ができないっていう時に『どうしようか』って思ったと思うんですよね。SMAPだけじゃなくジャニーさんも考えたと思うんですけど。そこでバラエティ番組だったりとか、あとコントに挑戦してみようとかそういう事で後輩たちはバラエティ番組にも進出できるようになったのかなと。今こうやって僕が朝の情報番組で喋らせてもらってるのも間違いなくSMAPが前を歩いてくれたからこそ『そういう道へ行っていいんだよ』って教えられたような気がして」
先輩タレントの方々もバラエティはされてましたが、本格的にやり始めたのはやはりSMAPなんでしょうね。
太一くん「自分たちもTOKIOでコントをやってみようって思った時があるわけです。できるかもしれないと思って。」
太一くん「やりました。」
太一くん「痛い目にあいました」
笑
太一くん「竹山さん、やっぱりコントできるってこれ実力がないとできないことじゃないですか」
竹山さん「まあ、そうですね。あとやっぱりやらせてくれる土壌が。始めから100点は皆とれないワケだから。徐々に徐々にやって皆学んでいくワケだから。~~ジャニーズさんの後輩たたちにとってはテレビ界ってこう変わっていくんだなっていうのをまざまざと見せられるから、じゃあ僕らもこうやって動けばいいんだって事を教えてくれたって事ですか」
太一くん「今までジャニーズってカッコいいとかっていうところだけで売ってたと思うんですけど、先輩がちょっとメイクで変な顔作ったりする事が後輩からしたら『カッコいい』に変わったりしたんでしょうね。こんな事もやっちゃうんだって。なんか教えられたわけではないんですけど、言葉では言われてないんですけど、毎回テレビで見ていてそのカッコよさっていうのはコントでも知るようになったのかなと」
堀尾さん「かつステージではまた本当にカッコいい部分があってそのコントラストの差がね、たまらなくよかったんでしょうね」
真矢さんは一視聴者として、これまでバラエティ番組などでは芸人さんがアイドルに気を遣っている風に感じたけどSMAPはそうした垣根を取り払いまた新しい世界が開けたと感じたと。
SMAPはすごいグループでありながら身近な存在にも感じられて、そうした演出もSMAPはしていたのかなと太一くん。
ここで堀尾さんから森くんの名前が。
堀尾さん「~~脱退する前もものすごく6人で頑張ってたし、脱退した後も非常に森くんをあたたかく脱退させてあげてみたいな懐の深さも見えたような気がしたんですが」
太一くん「多分そうだと思います。僕もあんまり詳しくは聞いてないですが中居さんとご飯を食べる時とかは森くんの話が出たりとか。直属の後輩、TOKIOとかは "SMAPといえば5人ではなく6人" なんですよね。森くんも今も僕にとっては先輩になるのでそこはいろんな話し合いの中でまた新たなSMAPが生まれたのかなと思います」
さて、ビビットさんかなり時間を割いての特集でした。まだ続きはありますがもう深夜。(明日は6時過ぎに家を出なきゃいけないのに(^^;)
よってこの続きは明日にでも。
ただこれは今日のうちに言わせて。
太一くん、お疲れ様でした。
でも一方でやっぱり自分は根っからのTOKIOファン、太一ファン。また番組でコメントしなきゃいけないんだ、って思うと昨日から辛くて。
早朝に撮られた街道インタビューとジャニーさんのコメントが流され、その後いつものように堀尾さん、太一くん、真矢さん3人揃ってのオープニング。
太一くん「元SMAPの稲垣さん、 草彅さん、香取さんがジャニーズ事務所を退社という情報、自分も今朝知りましたけど、解散の時も本当に驚きましたが今もこうやって街の声を聞いていても影響というのは大きいんだなあと感じましたね」
真矢さん「本当ですね。もうブランドですからね、SMAPさんて。・・まだ私なんかは離れたって言うよりもなんか一生離れないような繋がりがあるような気がして見えますけどね・・」
堀尾さん「街の声にもありましたけど、まだくぎりの最後のコンサートやって欲しいななんていう気持ちになってる人も多いですよね」
太一くん「ああいう声もどうか汲み取ってもらいたいなとは思いますけども」
今朝の各スポーツ紙を赤荻アナが紹介。ほとんどの新聞が一面で報道しているんですね。
ジャニーさんのコメントが読み上げられ、それを受けて、
太一くん「SMAPがデビュー前、そしてデビューしてからというのはジャニーさんとSMAPの関係性を僕は後輩としてずっと見てましたけど、ジャニーさんの中でも今までのグループとはちょっと違う、そういった形で一緒にここまで進んで来たのかなと思うんですよね。なので、音楽番組とかもなくなってきた時代にSMAPはデビューしなきゃいけない、どうやってアイドルとしてこれから活躍していけばいいんだ、それをジャニーさんとも一緒に考えたんじゃないかなと。関係性としてはいつも笑顔ではあるんですけども、SMAPとジャニーさんが厳しい目で言い合っているところも見たりとかしていて、その関係に僕は憧れてもいました。なので(ジャニーさんコメントの中の)素晴らしいっていうところもそうだし、思い出っていうのもジャニーさんの中でもたくさんあると思うし、またなにかジャニーさんの中でのプロデュース力というのもSMAPがいたからこそどんどん上がっていったのかなと。それに対するありがとうなのかなと。そしてパワーをもらったということも含まれているのかなあと思うので、このジャニーさんの言葉というのは・・沁みますね」
ジャニーさんとSMAPさんの関係性というのが単なる経営者と所属タレントとしての一方的なものではなく、また売れっ子タレントに対しておべっかを使うような なあなあ の関係でもなく、お互い厳しい目で言い合うことができるような間柄だったのだなあと。
そしてSMAPとのそうした関係に刺激されジャニーさんのプロデュース力も上がったのではと語る太一くんに、SMAPへのリスペクトをあらためて感じました。
堀尾さん「TOKIOとSMAPって直属の先輩みたいな感じなのかな?」
太一くん「そうですね。SMAPさんがデビューした翌年くらいに僕らがデビューするので」
実際はSMAPは1991年、TOKIOは1994年デビューですね。(^^;
堀尾さん「ライバルでもあり、先輩でもあり、そこらへんの太一さんのSMAPに対する気持ちってどうなんですか?」
太一くん「いつか追い越したいと思いずっと続けてきたので、ライバルだと思いながらも『絶対に俺は負けないぞ!』という気持ちはありましたけど、どこかで『同じ事をやっていたら負けてしまう』だからちょっと違う事をやりながら進んでいかなきゃいけないんじゃないかなという思いはありましたね」
太一くんは前から率直に語ってましたね、SMAPさんに対しての少し嫉妬や憧憬も含んだ自身のライバル心について。スケートボーイズからの流れでSMAPメンバーが不在の時サポートメンバーとして活動してた経験がある太一くん。負けず嫌いな人だから常にSMAPさんの事は意識してきたんだと思います。
SMAPのデビュー時からのヒット曲を辿るVTR。
太一くん「今のVTRを見ていても、名曲が多いですね。」
同意するビビットファミリー。
太一くん「それがまた学校の教科書に載っていたりと。その影響力っていうのはすごいですね、あらためて思い増すけども・・すごい人たちだったんだなって本当に思います」
SMAPの歴史。
デビュー前に武道館で初コンサート。
太一くん「SMAPさんに関してはデビュー前からかなり人気があったグループだったので、デビュー前に日本武道館でコンサートをやるって話を聞いて、僕もそこでバックをやらせてもらって。すごく思い出に残ってますね」
ここで太一くんと坂本まぁくんがスケートボーイズのメンバーだったという話。
竹山さん「そっからまた『君と、君と・・』って」
雪野さん「分かれて?」
太一くん「そうです、歌番組や情報番組なんかでSMAPが出る時は6人だったり時々僕が入って7人になったりとか。~~」
真矢さん「じゃあ太一くんがSMAPだった かも しれない?」
太一くん「それは・・ジャニーさんしか分からないですけども」
真矢さん「可能性はあったんですね」
太一くん「かもしれないですね。」
真矢さん「近くで見ていらしたんですね、いろいろね」
太一くん「そうです。西武園ゆうえんちでのCDデビューイベントなんかもすごい雨が降った時だったような気がするんですけど、あの時はSMAPさんだけだったんですけど結構西武園ゆうえんちでのイベントっていうのもSMAPさん多くてそこでバックをやらせてもらったりとか、SMAPが持ってた番組も西武園ゆうえんちで収録だったりとかして皆でロケバスで行ったりとかそういう思い出もたくさんありますね」
『夢がMORIMORI』観てたなあ。
真矢さん「衝撃でしたよね?体張るっていうね、アイドルの方が」
太一くん「SMAPがデビューした時っていうのが音楽番組がどんどん終わっていった時代、テレビで歌ってる姿をなかなか見せる事ができないっていう時に『どうしようか』って思ったと思うんですよね。SMAPだけじゃなくジャニーさんも考えたと思うんですけど。そこでバラエティ番組だったりとか、あとコントに挑戦してみようとかそういう事で後輩たちはバラエティ番組にも進出できるようになったのかなと。今こうやって僕が朝の情報番組で喋らせてもらってるのも間違いなくSMAPが前を歩いてくれたからこそ『そういう道へ行っていいんだよ』って教えられたような気がして」
先輩タレントの方々もバラエティはされてましたが、本格的にやり始めたのはやはりSMAPなんでしょうね。
太一くん「自分たちもTOKIOでコントをやってみようって思った時があるわけです。できるかもしれないと思って。」
太一くん「やりました。」
太一くん「痛い目にあいました」
笑
太一くん「竹山さん、やっぱりコントできるってこれ実力がないとできないことじゃないですか」
竹山さん「まあ、そうですね。あとやっぱりやらせてくれる土壌が。始めから100点は皆とれないワケだから。徐々に徐々にやって皆学んでいくワケだから。~~ジャニーズさんの後輩たたちにとってはテレビ界ってこう変わっていくんだなっていうのをまざまざと見せられるから、じゃあ僕らもこうやって動けばいいんだって事を教えてくれたって事ですか」
太一くん「今までジャニーズってカッコいいとかっていうところだけで売ってたと思うんですけど、先輩がちょっとメイクで変な顔作ったりする事が後輩からしたら『カッコいい』に変わったりしたんでしょうね。こんな事もやっちゃうんだって。なんか教えられたわけではないんですけど、言葉では言われてないんですけど、毎回テレビで見ていてそのカッコよさっていうのはコントでも知るようになったのかなと」
堀尾さん「かつステージではまた本当にカッコいい部分があってそのコントラストの差がね、たまらなくよかったんでしょうね」
真矢さんは一視聴者として、これまでバラエティ番組などでは芸人さんがアイドルに気を遣っている風に感じたけどSMAPはそうした垣根を取り払いまた新しい世界が開けたと感じたと。
SMAPはすごいグループでありながら身近な存在にも感じられて、そうした演出もSMAPはしていたのかなと太一くん。
ここで堀尾さんから森くんの名前が。
堀尾さん「~~脱退する前もものすごく6人で頑張ってたし、脱退した後も非常に森くんをあたたかく脱退させてあげてみたいな懐の深さも見えたような気がしたんですが」
太一くん「多分そうだと思います。僕もあんまり詳しくは聞いてないですが中居さんとご飯を食べる時とかは森くんの話が出たりとか。直属の後輩、TOKIOとかは "SMAPといえば5人ではなく6人" なんですよね。森くんも今も僕にとっては先輩になるのでそこはいろんな話し合いの中でまた新たなSMAPが生まれたのかなと思います」
さて、ビビットさんかなり時間を割いての特集でした。まだ続きはありますがもう深夜。(明日は6時過ぎに家を出なきゃいけないのに(^^;)
よってこの続きは明日にでも。
ただこれは今日のうちに言わせて。
太一くん、お疲れ様でした。