cowboy-平松の部屋

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KR750 デイトナ「ご苦労さん、剛性はOK 後のセッティングは俺の仕事だ」

2019-03-13 11:42:54 | 阿部語録
尊敬すべきわが友・ライバルであった 故 阿部孝夫

2019.04.06 13回忌を迎える

それを期に
彼への敬意と親しみを込め、彼が過去に放った言葉を「阿部語録」としてここに記したい。



*阿部とオレとKR750 1975年DAYTONA



また、彼と開発した「おもしろパーツ」や「雑誌に掲載されたが、もうちょっと詳しい話」

「オレしか見てなかった面白い話」、「私を作ってくれた人」などを 続いて記したい。


*KR500テストビュー Kバリントンとオレとチームスタッフ




阿部語録 カワサキ時代-1
 1975年 KR750 デイトナで「ご苦労さん、剛性はOK,後のセッティングはオレの仕事だ」


1974年9月にスズキからカワサキに移籍しKR750のフレームを新規に設計、'75年に30台をAMAに登録
しホモロゲを取得しました。参考にしたH2Rのタンク、シートを流用し今まで設計したTR500ーⅡ、RG500
より、パイプ径をワンサイズアップし、ピボット部、ヘッドパイプ部、スイングアームの剛性UPに留意したフレームを、
2か月余りで出図しました。年開けた’75に日本から阿部と和田がデイトナにエントリーした、平松おまえ
は阿部のメカニックで行って来いとの指示がありました。私はフレーム設計で業務としてメカニックの経験
はありませんが、スズキ時代に軽4輪フロンテのKIT開発で設計、メカ作業、(ちょっとドライバーも)をこなし
おりましたので、阿部が推薦したのかも、でもKR750は一度もバラシタことが有りません
気になっていた残業務(KR250-B再設計)を又、突貫工事で行い仕上げは頼んでUS-カワサキへ
図面作業中にとりあえずパスポートと現金をポケットに入れ飛行機に飛び乗ったのでので、作業靴
Gパン、ジャンパー姿でした、その恰好から私のアメリカン・ネームはCOWBOYと呼ばれました、阿部はアベ
とアイツラも発音出来るようです、それよりビックリしたのは、阿部用に日本で整備したBIKEがイボン
用にパクラレテいました。US-カワサキの中ではイボンとチーメカ(R・ホール)が絶対エースで誰も反対できない
様です、仕方なしに自分で工具(スナップオン)を買い込み、倉庫からBIKEを引き出し、整備する事
になりました、ですからKR750はデイトナに移動するまでテストは出来なかったのです、阿部はその
間、カワサキR&Dで開発された、H2Rダブル・スイングアームのテストをしていました、平松 面白れーぞ、
このBIKE,ウイリーし難いんだよ、焼きついた時も巻き込まないんだよ、すげー面白い。くそっ、私は
チンタラチンタラ整備していたんでしょうね、そしたらR・ホールが真面目にやれだって、阿部のBIKEを
パクッテおきながらですよね。嫌なヤツ
整備も終わり、デイトナに移動、イボンは冬場のスノーモビルのレースのケガでデイトナに来てません、知るか
阿部は専有走行で4周ほど走行しPITーIN、 そして
”平松 ご苦労さん 基本的剛性は OK 後のセッティングはオレの仕事だ” 
とにかく阿部のテスト評価はすばやい、そして今できる事、出来ない事、つぎの課題の指示が的確
でしたね  まあ、基本的剛性はOK は今の出来る範囲で OKと理解してます。


*俺たちのテストを見に来たYAMAHAスタッフ