本日の散歩ルートは以下の通りです。
ルート:番田駅~田名団地の給水塔~小沢古城址~小沢城址~神奈川県企業庁水道局の水槽タンク~愛川町役場~古民家山十邸~カラーマンホール蓋(愛川町)~史跡田名向原遺跡公園~史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館~神奈川県内広域水道企業団相模原ポンプ場(当麻谷原1号墳、3号墳、4号墳)~原当麻駅
10:00頃、JR相模線の番田駅へ到着。
西方向、直線距離約1.9km先へ移動。
10:30少し過ぎ頃、「田名団地の給水塔」の近辺へ到着。
2021年10月24日の散歩でも訪れております。
装飾の無いシンプルな四角柱タイプの給水塔です。
角度によっては、シミュラクラ現象で顔のように見えますね。
西南西方向、直線距離約1.3km先へ移動。
移動途中、上の給水塔と同日に通りがかった「ひの坂」を経由しました。
今回は坂下の祠も忘れずに写真撮影。
相模川を渡る際、「高田橋」の橋の袂に「新神奈川八景:水郷田名」の碑と、
「かながわの橋100選:高田橋」の碑が設置されておりました。
川を渡って、相模原市から愛川町へ。
11:05少し過ぎ頃、「小沢古城址」の案内板がある場所へ到着。
「還浄寺」の裏山が該当する場所です。
案内板によれば、丘陵地形を生かした天然の要害だったようですが、
遺構などは残っていないようです。
南方向、直線距離約550m先へ移動。
11:30頃、「小沢城址」の案内板がある場所へ到着。
坂の上の台地部分に山城があったとされています。
城址の南側に堀跡があるとの事でした。
西北西方向、直線距離約750m先へ移動。
移動途中、坂名碑があったので写真撮影。
「梅沢坂」と言うそうです。
12:05少し過ぎ頃、神奈川県企業庁水道局の施設前へ到着。
水槽タンクのようなの施設が見えますが、詳細は不明です。
南方向、直線距離約940m先へ移動。
12:25頃、「愛川町役場」へ到着。
1Fの住民課窓口で愛川町のマンホールカードを貰いました。
写真の左側のカードは「かなキャラカード」と言って、
神奈川県内のご当地マスコットキャラクターをカードにしたもので、
愛川町では観光キャラクター「あいちゃん(着ぐるみVer)」がデザインされていました。
南南東方向、直線距離約1.6km先へ移動。
移動途中、坂名碑があったので写真撮影。
「水道坂」。
「へいしの坂」。
「熊坂」。
13:00少し過ぎ頃、「古民家山十邸」へ到着。
明治中期頃の建築物のようで、国登録有形文化財となっております。
時間の都合で、門から入口付近を眺めただけで立ち去りました。
東方向、直線距離約690m先へ移動。
13:15少し過ぎ頃、「マルエツ中津店」近辺へ到着。
この東側の歩道上に愛川町のカラーマンホール蓋が設置されています。
北東方向、直線距離約2.2km先へ移動。
相模川を渡って、再び相模原市へ。
14:25頃、「史跡田名向原遺跡公園」へ到着。
住居状遺構、竪穴住居、古墳などが復元(一部の古墳は状態保存)されています。
写真撮影のため公園内をウロウロしていたところ、
常駐していたガイドの方に声を掛けていただき、
遺跡に関する説明を”懇切丁寧に”していただきました。
公園でのガイドの後、近隣の「史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館」にも案内され、
更に詳しい話を伺いました。
掻い摘むと、1997年に約2万年前(後期旧石器時代末)のものと思われる住居状遺構が発見され、
その後遺跡公園として整備されたようです。
住居の規模から、この場所に定住していたと思われるそうですが、
近辺に同様の住居跡が見当たらない事から「住居”状”遺構(住居と推定される遺構)」という指定になったとの事。
その後、近辺からは縄文時代や古墳時代の遺物も発見されています。
何故か弥生時代の痕跡だけは見当たらないのだそうです。
15:40過ぎに施設から退館しました。
東南東方向、直線距離約470m先へ移動。
15:55頃、「神奈川県内広域水道企業団相模原ポンプ場」の近辺へ到着。
この施設の敷地内に古墳が二基、隣接する金山神社の敷地内に一基の古墳が存在します。
■当麻谷原1号墳
■当麻谷原3号墳
■当麻谷原4号墳
本日予定していた目的地は巡り終えたので、
最寄り駅を目指して、東方向、直線距離約1.3km先へ移動。
途中、坂名碑があったので写真撮影。
「ひかげ坂」。
16:30少し過ぎ頃、JR相模線の原当麻駅へ到着。
本日の散歩は以上です。
ルート:番田駅~田名団地の給水塔~小沢古城址~小沢城址~神奈川県企業庁水道局の水槽タンク~愛川町役場~古民家山十邸~カラーマンホール蓋(愛川町)~史跡田名向原遺跡公園~史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館~神奈川県内広域水道企業団相模原ポンプ場(当麻谷原1号墳、3号墳、4号墳)~原当麻駅
10:00頃、JR相模線の番田駅へ到着。
西方向、直線距離約1.9km先へ移動。
10:30少し過ぎ頃、「田名団地の給水塔」の近辺へ到着。
2021年10月24日の散歩でも訪れております。
装飾の無いシンプルな四角柱タイプの給水塔です。
角度によっては、シミュラクラ現象で顔のように見えますね。
西南西方向、直線距離約1.3km先へ移動。
移動途中、上の給水塔と同日に通りがかった「ひの坂」を経由しました。
今回は坂下の祠も忘れずに写真撮影。
相模川を渡る際、「高田橋」の橋の袂に「新神奈川八景:水郷田名」の碑と、
「かながわの橋100選:高田橋」の碑が設置されておりました。
川を渡って、相模原市から愛川町へ。
11:05少し過ぎ頃、「小沢古城址」の案内板がある場所へ到着。
「還浄寺」の裏山が該当する場所です。
案内板によれば、丘陵地形を生かした天然の要害だったようですが、
遺構などは残っていないようです。
南方向、直線距離約550m先へ移動。
11:30頃、「小沢城址」の案内板がある場所へ到着。
坂の上の台地部分に山城があったとされています。
城址の南側に堀跡があるとの事でした。
西北西方向、直線距離約750m先へ移動。
移動途中、坂名碑があったので写真撮影。
「梅沢坂」と言うそうです。
12:05少し過ぎ頃、神奈川県企業庁水道局の施設前へ到着。
水槽タンクのようなの施設が見えますが、詳細は不明です。
南方向、直線距離約940m先へ移動。
12:25頃、「愛川町役場」へ到着。
1Fの住民課窓口で愛川町のマンホールカードを貰いました。
写真の左側のカードは「かなキャラカード」と言って、
神奈川県内のご当地マスコットキャラクターをカードにしたもので、
愛川町では観光キャラクター「あいちゃん(着ぐるみVer)」がデザインされていました。
南南東方向、直線距離約1.6km先へ移動。
移動途中、坂名碑があったので写真撮影。
「水道坂」。
「へいしの坂」。
「熊坂」。
13:00少し過ぎ頃、「古民家山十邸」へ到着。
明治中期頃の建築物のようで、国登録有形文化財となっております。
時間の都合で、門から入口付近を眺めただけで立ち去りました。
東方向、直線距離約690m先へ移動。
13:15少し過ぎ頃、「マルエツ中津店」近辺へ到着。
この東側の歩道上に愛川町のカラーマンホール蓋が設置されています。
北東方向、直線距離約2.2km先へ移動。
相模川を渡って、再び相模原市へ。
14:25頃、「史跡田名向原遺跡公園」へ到着。
住居状遺構、竪穴住居、古墳などが復元(一部の古墳は状態保存)されています。
写真撮影のため公園内をウロウロしていたところ、
常駐していたガイドの方に声を掛けていただき、
遺跡に関する説明を”懇切丁寧に”していただきました。
公園でのガイドの後、近隣の「史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館」にも案内され、
更に詳しい話を伺いました。
掻い摘むと、1997年に約2万年前(後期旧石器時代末)のものと思われる住居状遺構が発見され、
その後遺跡公園として整備されたようです。
住居の規模から、この場所に定住していたと思われるそうですが、
近辺に同様の住居跡が見当たらない事から「住居”状”遺構(住居と推定される遺構)」という指定になったとの事。
その後、近辺からは縄文時代や古墳時代の遺物も発見されています。
何故か弥生時代の痕跡だけは見当たらないのだそうです。
15:40過ぎに施設から退館しました。
東南東方向、直線距離約470m先へ移動。
15:55頃、「神奈川県内広域水道企業団相模原ポンプ場」の近辺へ到着。
この施設の敷地内に古墳が二基、隣接する金山神社の敷地内に一基の古墳が存在します。
■当麻谷原1号墳
■当麻谷原3号墳
■当麻谷原4号墳
本日予定していた目的地は巡り終えたので、
最寄り駅を目指して、東方向、直線距離約1.3km先へ移動。
途中、坂名碑があったので写真撮影。
「ひかげ坂」。
16:30少し過ぎ頃、JR相模線の原当麻駅へ到着。
本日の散歩は以上です。