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散歩記録(2022/02/19)

2022-02-20 00:30:39 | 日記
#都合により翌日投稿となります。

本日(土曜日)の散歩ルートは、
晴れ寄りの天気の場合と、曇り寄りの天気の場合とで、
2パターン考えておりました。

朝方確認した天気予報では夕方からの降水確率が50%以上だったので、
曇り寄りの天気の場合の散歩ルートを選択しました。
今回の散歩ルートは以下の通りです。

ルート:西調布駅~布田崖線(上石原地区)~府中崖線白糸台緑地~府中崖線白糸台第2緑地~おっぽり坂~八幡山本願寺~まむし坂~庚申坂~瀧神社~馬坂~天地の坂~天神坂~地獄坂~金毘羅坂~国司館と家康御殿史跡広場~府中御殿井戸跡~五小のクスノキ~中坂~府中段丘本宿緑地~府中崖線西府町緑地~西府町湧水~上坂~府中段丘本宿緑地~清水坂~府中崖線分梅町緑地~光明院坂~府中駅

前回2月13日の散歩回の続きで、布田崖線から府中崖線に沿って歩きます。
府中崖線の走る区間には坂が何本かあって、
その近くには坂の名前の由来碑が設置されている事があるので、
そちらにも触れながら散歩します。

京王線・西調布駅に10:15頃到着しました。
まずは、前回最後に訪れた「布田崖線(上石原地区)」を目指します。
10:30頃に到着しました。

近くの公園から用水路越しやフェンスの隙間から写真を撮って、
前回の続きのルートを進みます。


10:55少し前頃に府中市へ入り、「府中崖線白糸台緑地」の近辺へ到着しました。

その先の「府中崖線白糸台第2緑地」でも写真撮影。

今の時期は樹木に葉が無いため緑地のイメージは弱いですが、
樹木は適度な間隔で立つ並んでいるようでした。

11:00頃、「おっぽり坂」の由来碑のある場所へ到着。

この坂の名は、大雨の折に野水の流れによって自然に掘られた「大堀」に由来するといわれます。
「おおぼり」がいつしか詰まって「おっぽり」になったのだそうです。

「おっぽり坂」の先をしばらく行くと、
11:05頃に「八幡山本願寺」の前へ到着します。

昨年11月14日の散歩回でも訪れておりますが、
その時写真に撮り逃した府中名木百選の「本願寺のサルスベリ」を写真に納めます。

しばらく崖線沿いに歩きます。

11:15少し過ぎ頃、西武多摩川線の踏切近辺に「まむし坂」の由来碑が設置されておりました。

毒蛇のまむしに由来するそうです。
昔のこの辺りは水田地帯であり湿気も多く爬虫類などが多く棲息していたようなので、
危険防止のための呼び名が定着したと思われます。

11:20少し過ぎ頃、「溝合神社」の傍を走る「庚申坂」の由来碑のある場所へ到着。

坂名は、神社に祀られている供養塔と青面金剛像の二つの庚申塔に由来するそうです。


崖線沿いに散歩を続け、11:40頃に「瀧神社」へ到着しました。

崖線からの湧水で昔から知られた場所でしたが、
1997年頃に一度枯渇してしまったとの事です。
崖上の道路を雨水が浸透するアスファルトへと変更するとともに、
住宅地に降った雨水を地下に浸透させるための雨水浸透ますを設置することで、
2009年に復活を果たしたとの事でした。


またしばらく崖線沿いを歩いていると、
12:00頃、「馬坂」と「天地の坂」の由来碑がある場所へ到着しました。

「馬坂」の方は、由来は定かではないようですが、
府中は古くから馬との係わりが深い町で、近世には馬市が盛んに行われていました。
ちなみに、近くには「東京競馬場(府中競馬場)」が存在します。
「天地の坂」の方の由来は、昔、坂の下に「天地」の屋号の家の水車があったことに因むそうです。


京王線・府中競馬正門前駅の前を横切るように進みましたが、
その辺りに「普門寺坂」の由来碑が設置してあったそうなのですが、
見落としてしまったようです。

12:15頃、「天神坂」の由来碑がある場所へ到着しました。

坂の名は、大国魂神社の末社「天神社」がまつられている天神山に由来するそうです。

そこから少し歩くと大国魂神社へと到着しますが、
境内には入らず、外周を南側へと回り込むように進みます。

12:25少し前頃、「地獄坂」の由来碑が設置されている場所に到着。
坂の名の由来は定かではありませんが、
昔のこの辺りは繁茂した竹や草木が覆っていて、
別名「暗闇坂」と呼ばれる程だったようなので、
その辺りのイメージが由来となっているのかもしれませんね。

「地獄坂」を下った先は「妙光院」の墓地となっています。
その一角には崖上にある金毘羅堂へと上る石段がありました。

この石段が「金毘羅坂」と呼ばれているようで、由来碑が置かれていました。
この金毘羅堂は妙光院の境外仏堂のようです。

そこから府中街道を挟んだ反対側に、
「国司館と家康御殿史跡広場」があるので立ち寄ってみました。

平安時代の終わり頃まで、
武蔵国を治めた行政機関の長・国司の居宅兼執務室「国司館(こくしのたち)」がこの場所にあったそうです。
また、江戸時代には徳川家康が鷹狩をする際に宿泊・休息をした府中御殿も置かれていたそうです。
現在、VR(バーチャル・リアリティ)専用スコープを通じて、
国司舘及び家康御殿のイメージ映像を見ることが出来ます。
VR専用スコープは管理事務所で無料貸出ししておりました。
この広場のすぐ近くには、「府中御殿井戸跡」もあるので写真に納めました。



またしばらく崖線沿いを歩き、分倍河原駅を越えて移動途中、
JR西府駅近くの「府中市立府中第五小学校」の前を通過する際に、
府中の名木百選「五小のクスノキ」を撮影。

この学校は120年以上の歴史を持つようで、このクスノキは、
1912年(大正元)に当時の奇秀学校が校舎を新築する際に植樹されたものとの事でした。
樹高約18m、推定樹齢100年。

その学校脇の坂は「中坂」と呼ばれていて、由来碑が設置されていました。

坂の名の由来は定かではありませんが、
旧本宿村内の坂を多摩川に沿って上流側から上坂、中坂、下坂と称したものと思われるとの事でした。
この坂の下方に「府中段丘本宿緑地」があります。


中坂から崖線の下へ移ると、崖線下の緑道を進みます。

途中には、自転車用エレベータが設置されていました。
付近に「NEC 府中事業場」があるので、その辺りと関係があるのでしょうか。

13:35少し前頃、「府中崖線西府町緑地」の近辺に到着しました。

この近くに、東京の名湧水に選ばれた「西府町湧水」があります。

その傍の階段を上って崖の上へ。


13:50頃、府中市と国立市の境にある「上坂」の由来碑の設置されている場所へ到着しました。

この坂は相模国(現在の神奈川県)の大山へと向かう「大山道」の一部です。

府中市の端までたどり着いたので、ここから折り返して府中駅を目指します。
なるべく行きと被らないルートを選びました。

14:10頃に「府中段丘本宿緑地」へ到着。


14:15少し前頃、「清水坂」の由来碑のある場所へ到着。

坂の名前は、昔はこの坂を切通しした両側から清水が湧き出ていた事に由来するようです。
先に登場した上坂・中坂・下坂ですが、「下坂」という名の坂道は無いようです。
中坂より下手にある「清水坂」が、「下坂」に相当すると思われます。
(一番左側の写真は行きの際に撮ったもの)

14:20頃に「府中崖線分梅町緑地」へ到着。


14:20少し過ぎた頃に「光明院坂」の由来碑がある場所へ到着。

坂道沿いに「光明院」がある事に因む由来のようです。

この後、分倍河原駅まで戻って来たので、
そのまま京王線に沿って府中駅を目指し、
14:45少し過ぎ頃に駅へ到着しました。

本日の散歩は以上です。

#時々雨が降るなど天気が今いちなため日曜日の散歩はお休みします。

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