「練功中には、天地人しかない。」 天、地、人というと日本の武将等の言葉に思えてしまうが、元々はそうではない。中国の古代から伝わる言葉だ。 「天、地、人」を「三才」とか「三体」とかいうと説明すれば、ああなるほどと思う人もいるだろう。「無極から太極へ、三才、五行、八卦へと変化する」という易学の話は難解になっていくが、大まかな論として捉えてほしい。 武術は、この「天、地、人」を養成するための具体的な方法、実践だと思う。中国武術全般に言えることだと思うが戴氏心意拳は、より具体的だ。人は、天地の中にある。天と地、人をつないでいくように練拳する。すぐに、人と人、その中でだけで練拳すると、自分の中の自然を忘れてしまう。「拙力」「蛮力」「力み」といったものを消し去っていき「自然」な動き、ができるようになるためには、先ず自分の中の「自然」に目を向けなければならない。 戴氏心意拳は内功を重んじる。そして内から外を導いていく。内三合と外三合。それをつないでいくことそれが練拳であり、自分の中の自然は、有機的に連環し、自然に動けるようになる。自然とは科学だ。自然は、科学が「科学」という学問として存在するずっと以前の古代から、自然という科学として存在していた。きっとそれは宇宙の始まり、いやもっと以前から自然は科学だった。(この宇宙の外も、自然という科学から成り立っているはずだと思う。話は広がり過ぎ。)話を元に戻す。抽象論ではない。自然に動けるようになることは、自然な動きで相手を制していく大きな条件になっていく。「自然の美しさ」とは、機能美だ。自然の中にある美しさは、何らかの機能や働きと結びつき美しく、機能していく。自然な動きは、美しく、力、働き、作用を生み出していく。心、意、気、力という内三合は人という自然が生み出した科学だ。それによって人は天地と融合し、自然な動きになっていく。deng勁、頂勁といった表現は、力となって表れていく。
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