祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

採気という自己生成

2013-04-26 22:37:54 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

採気という自己生成

    投稿日:2010年 6月14日(月)03時56分45秒

返信・引用 編集済

 

 

戴氏心意拳では、天や地、人、草木などから採気を行いながら練拳を行っていく。
採気というと何かから気をとり、とったものからは気がなくなるとイメージする人がいるようだがそうではない。
モノを贈るとそこからはなくなり、別のところの物になってしまう。という発想だがそれとは異なる。
PCでデータをダウンロードしても、元の所から失われるわけではない。元のものはそのまま残り、自分のPCには、元のデータと同じものが生成される。採気も同様だ。自然のものから採取するわけではない。得るのはさまざまな情報であり、それを自分の中で生成していく。得られた情報は、具体的な運動に変化していく。
美しい風景を見て、気持ちが安らぎ、リラックスし、元気が出るのは、美しい風景という情報が、五感を経て
脳に入り、その情報を体の各部に、筋肉、血管を緩ませたり、体を潤す津液の内分泌を高めたりさせる。
採気も、そのように具体的に身体に作用していく。しかし人間の面白いところは、同じ情報が入ってきてもそれがどう作用していくか、活用していくかはその人にかかっているし、その人の感受性や体力、方法などの要因により変わる。そのようなものは無意味だと思う者には、美しい風景も人の愛情も懐かしい思い出や一抹の希望,ささやかな趣味や楽しみも何の意味もない。
また、情報を何らかの意味をもたせるのは本人次第だが、その意味を正しく作用させるのは、その人が持つ力量、技量、技術=功夫だ。
  内功とは、外界の様々な情報を集め、それを自分の中で良好に作用させるトレーニングと言いかえても良いかもしれない。
 外気治療をすると自分自身が疲弊するということをよく聞く。気を出す、気を送るというは、相手との共感作用をひきださなければ治療にはならないが、自分自身からいうと発気しているのにしか過ぎない。発気は、養気とバランが取れて治療者自身も健康でいられる。発気し過ぎると、疲れる。私たちは休んで、養気し、活動して発気して生きている。その養気と発気のバランスがとれて心身ともに健康でいられるし、よく生きていくことにつながっていく。貯めてばかりではだめだし、使ってばかりでもだめ、程よく守り、程よく発する、そのバランスをとっていく感覚や方法が、戴氏心意拳とであって、すこしずつわかってきたような気がする。

 

コメント (2)
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朝の練功

2013-04-26 22:36:55 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

練功

   投稿日:2010年 6月18日(金)06時13分58秒

返信・引用

 

 

朝、夕か夜に練習するのは、気持ちよいので習慣化している。特に、朝は、陽気が上昇するのを感じながら練拳するのは,爽やかだし、夜の気が収まり落ち着いた雰囲気の中で練習するのは、集中力を高める。丹田が熱くなり、気血が足や手に運ばれるのを感じ、全身が潤おされるのを感じると、練拳はやみつきになって来て楽しい。スポーツトレーナー機器が流通し、自分の体の変化を測定し、それが変化するのは楽しい。体重が減ったとか、筋肉量が上がったとか
体脂肪率が減ったとか、何歩歩いたとか、心拍数を調整するとか。いろんな測定はできるが、私が一番重視しているのは、内的な感覚である。気が満ちてきたとか安定しているとか体が重い、軽いといった感覚。それらがへんかしていると感じたとき、練拳にも身が入るし、楽しい。

 

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煩悩を超える

2013-04-26 22:30:35 | 理論―陰陽五行、名言集

いい場所

    投稿日:2010年 7月15日(木)06時25分36秒

返信・引用

 

 

 最近転居したため、インターネット環境があまり使えなかったが、やっと開通したので、またこの掲示板にも書き込みをしていきたい。
 練功をしていくのに、場所って大事だなと思います。「練功はどこでもできるし、いつでもできる」というのはよく思うことでもあるが、なんかこの場所とは相性が合うなあとか、この樹木は私のお気に入りだなとかって言うのはある。そういう場に行くだけですっと練功の状態には入れるし、効果も大きいというのは感じる。

 

 


(無題)

  投稿者:Afen  投稿日:2010年 7月 4日(日)23時36分44秒

返信・引用

 

 

Xinyiさんが書いた文章はとても楽しみにしています。ありがとうございます。
『度一切苦厄』
実際に苦、厄の中にいないとこの実感が分からないと思います。
崖に立たされ、あの恐怖感と同じでしょうかな?!とても喩えにくいです。人生には苦、喜、哀、楽が揃って毎日に味わって生きています。人によってその割合が違います。
私は苦、厄を乗り越えたい時、一生懸命に生きたい時、その状況の中に周りから力を借りながら乗り越えて活きている、今は思うと苦、厄は悪いものではないと思います。
その代わりに感謝、幸せを人より倍を感じる人間を育てもらえた私です。父はいつも言った言葉には生、老、病、死の道はすべて人間が通る道、大金さん、貧乏人も平等になって歩みます。ですからあまりこだわらないのがいいと!
確かに煩悩は人生のつきものですが喜、怒、哀、楽の割合を自分で調整したらいいと思っています。
喜ぶ時、周りと一緒に楽しむ、怒り、悲しい時、楽しい事をさがす。
確かに難しいのようですが、人生の修業の一部だと思います。
般若心経と出会えてから私は助けられた実感があります。
般若心経の勉強は今からだと思っています。
ひとつひとつを苦労をしながら味わって生きたいです。その一つ一つの
意味が分からないところがありすぎてぜひに教えてくださいね。
よろしくお願いします。ぜひまた書いてください。

 

 

般若心経「度一切苦厄」

   投稿日:2010年 7月 3日(土)07時22分24秒

返信・引用

 

 

afenさん「一切の苦厄を度す」ってどういうことなんでしょうね。
   また、何の信心もないxinyiが般若心経を論じて良いですか?
   苦しみとか厄とか、悩みとか、生きていればきっとない人はいないと思うし、楽しさや幸せなんかと一緒に出会い   ながらみんな努力したり、もがいたりしながら生きていってるんだろうなあと思います。
    その点、般若心経って明快ですよね。
   「色即是空、空即是色」(物質的な物には、実体がなく、実体ががないものが物質的な物なのだ」この文章    の後、感覚も表象も意志も知識も、眼も耳も舌も味も触も苦しみも迷いも老いも生も死もない。すべては
   生ずることも滅することもないのだととく。ジョンレノンの「イマジン」もこんな世界ですよね。
    私は、このような般若心経やイマジンのなかにあるものを「世界ってこんなものだから苦しまなくていいよ」といっ   た道徳的なとらえ方ではなく、自然や人間、世界といった物の認識論としてとらえた方がよいのではないかと考   えています。
    話を「度一切苦厄」に戻すと般若心経は非常に短い文章ですから苦厄に対する解決法とか、苦厄から逃    れる方法とかは全く書いていませんよね。私達が日々喜び、悲しみ、苦しみ、興奮したり、叫んでみたり、こだ   わってみたりしていることを、いともあっさりと、「実体のない物であり、実体がないからこそ物質的なのだ」と言い   放つ。今私達がこだわっている喜びや悲しみは、実体がない、実体がないから喜びや悲しみという形をして表
   れる。
    また、「生きている」って感じるのは、 喜び、悲しみ、苦しみ、興奮したり、叫んでみたり、こだわってみたりする   中にあるんじゃないかと思う。鹿児島の人は「煩悩があっでやな」というのを良い意味で使います。
   ふつう煩悩というと欲望とかこだわりといった捨て去るべき物として使われますが、煩悩があっでやというときの煩    悩はむしろ人間らしい、愛情といった意味で使われます。
     私達人間は、般若心経の中にある自然、世界、体という物質の中で生き、さまざまな煩悩をもって生きて   いる。108つ煩悩があるとすれば、それを消し、捨て去りたい。というのも煩悩でしょう。煩悩はあって良いというのではなく、煩悩とともに生きていかなければならない苦厄を私達は背負っているような気がするのですがどうでしょうか?(皆さんに問うてみてもわかりにくい文章ですね)

 

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陽気

2013-04-26 22:29:46 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

陽気

    投稿日:2010年 7月21日(水)06時29分43秒

返信・引用

 

 

 夏って、陽気がどんどん上昇する季節だなってとても感じます。今まで溜まっていた梅雨の陰が陽気となって上昇し、自然を潤す。木は土の栄養分と水分を吸収し気緑の葉を上に上に茂らせ蒸散させ、雲は入道雲となって上昇する。そしてまた雨となり地に回帰する。人体もまた生命エネルギーの源泉と言われる腎陰を命門の火が温め陽気となって上昇させ、全身を潤し丹田に帰していく。ちなみに私は昨日は飲み会だったために、腎陰が少ない。陽気はあまり上昇する気配はなく。出勤する元気が余り無いからだだが、とにかく出勤しなくては・・・・・

 

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陰の気を養う

2013-04-26 21:55:38 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

散歩

  投稿日:2010年 7月26日(月)06時55分8秒

返信・引用

 

 

我が家の愛犬の散歩は、暗くなってから行きます。夏はやっぱり涼しくなる夜の方が良いですね。近くに川があるのでその近くに行くと温度も下がり、気持ちが良い。私はそのそばで丹田功などをする。よるって落ちつくんですよね。陰の気が
培われる。満月もきれいでしたね。「天有三宝、日、月、星」と戴氏でも言われ、日は太陽だから陽、月と星は陰に属します。「人有三宝、精、気、神」という。精は燃料、気はエンジン、神は、神様ではなく燃料がエンジンにより燃焼され、導き出された速さ、強さ、精巧さ・・・といったもの。精は食料や休養によって人に蓄えられる。精は人体の陰であり、陽気となって気化し神を作っていく。
 夜、よく休むことは、よく活動することにつながり、崇高な道徳性や芸術性、叡智といった神を形成していく。
よく休むためには、月を見たり、星とつながったり、静かになった音や周りの樹木、土地、環境と一体になったり、陰の気をいっぱい吸収する。きっと良い夢を見て、ゆっくりと眠る。

 

 


満月●

  投稿者:Aーfen  投稿日:2010年 7月25日(日)20時20分32秒

返信・引用

 

 

今日は仕事で指宿のホテルで泊まっています。一人夕飯、一人風呂!ちょっと淋しいです。
先に気持ちちの良い露天風呂を入って目の前に穏やかな海と満月が見えてる、なぜか満月を見ると気持ちが溢れるぐらい感動をしています、夜空を見上げてください、同じ感動をするはずでしょう。
この喜びを皆さんにも教えたいです。

 

 


夜風

  投稿者:a-fen  投稿日:2010年 7月22日(木)22時23分24秒

返信・引用

 

 

真夏が暑いですが、夜風が好きな私が家の近くトロフィンポートに一時間以上に夜風を感じながら犬の散歩をしてきた、エアーコンと違う気持良さがある、犬飼い主同士の会話も楽しいですね。
納涼船のかわいい花火、満月になってないお月様ですが,すべて綺麗に見えた、周りに散歩している人々、カップル、夫婦をみてすべて幸せそうに見えた、こんな雰囲気の中に私も幸せな独りでした。
本物の幸せがいいですね。

 

 

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