祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

指標を持つ

2013-04-25 06:00:44 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

大阪でも

   投稿日:2010年 9月14日(火)21時56分39秒

返信・引用

 

 

 私は、前回の大阪講習会で勉強会を一こまでしたが、もてたことは、よかったなあと思っています。
もちろん、内容や方法については、まだまだ直さないといけないところはたくさんあるのですが、とにかく
なにか取っ掛かりができたのは最高でした。
やっぱり、基準て大切だと思うんです。
 象を見たこともない人々が、目隠しをした状態で、象をさわり、ある人は「象とは、柱のようなものだ」「象とは、パタパタとした羽のようなものだ」「穴の開いた筒のようなものだ」「細い棒に毛がふさふさとついたものだ」と別々なことをいったというたとえ話のように、全体を見ていかなければ、象はまったく違うもの偏見に満ちたものとして認識されてしまう。
 中国武術は輸入武術ですから、遠いところで実態を見ず、噂話だけでああでもない、こうでもないとやっていれば、一人一人がまったく違った戴氏心意拳を頭に描き、オリジナルなものとまったく違う戴氏心意拳が出来上がってしまう。私たちは、途中途中の勝手な解釈を介さず、オリジナルなものに直接触れ学ぶことを主眼に
おき学び返した。もう何年も学んでいる、俺のほうがうまいとか強いとかなどという変なプライドは、それぞれが捨て、謙虚に学んでいく姿勢が自分自身を伸ばしていくのだと思う。
 王映海師父が、「いつまでたっても完成などない」と言われて今なお練拳を怠らないと言う。(ちなみに9月17日は王映海老師の誕生日である)私たちは、謙虚に学び続けなければならないのだと思う。

 日本での戴氏心意拳は、まだ始まったばかりだと思っています。素質や経験のある方が戴氏心意拳
にも集まってきてくださっていることは事実だと思います。
 ですが、戴氏を教えるほうも学ぶほうも、戴氏の初歩的で表面的な部分での練拳にしか行き着いていないように思います。
 套路や用法を学んで、中国武術を学んだ気になる時代は、もう終わりにしなければならない。私たちはその先にいかなければならないと思うし、そうでなければ、一時的なお遊びで終わってしまう。
 戴氏心意拳は、膨大に埋蔵された資源であり、それを探し当てるのは、自分自身の継続した努力と他との協力により導き出されるものなのだろう。

 

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丹田で発する!

2013-04-25 05:57:54 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

丹田で発する!

    投稿日:2010年 9月12日(日)14時06分13秒

返信・引用

 

 

今日の湯之元教室は全くの個人指導でしたので、丹田で発する、胸で発する、頭で発する、膝で発するなど練習をしていきました。戴氏心意拳はシステマティックな武術ですから、きちんと正しい方法で練習していけば、誰でも、身体のどこを使っても発することができます。丹田、頭、胸などで発するというと、いかにも難しそうに聞こえるかもしれませんが、丹田功と歩法を学んで、習熟し、方法を学べば誰でもできると思います。

 

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2013-04-25 05:56:10 | 歴史・文化・芸術・人物

何もないから

  投稿日:2010年 9月11日(土)08時41分17秒

返信・引用

 

 

 深津絵里がテレビでインタビューを受けていて、「いろいろな役ができるのはどうしてですか」という問いに
「自分には何もないからだと思います」
 何もないから、何にでもなれるんですね。
何もないというのは、以前話題にしていた「空」の思想と似ているように思います。何もないのは何もないのではなく、関係。「色即是空、空即是色」。物質は決して固定的なものでなく常に変化し、関係しあってそこにある。その変化、関係は、自己完結的なものではなく、外との関係変化でもある。
 人の心持ちとして、必要なことは「素直さ」っ。てことかも知れません。まず受け入れること、そこから考え、練っていくこと。のような気がします。
 自分はこうなんだと言った信念だったり、すぐに答え出してしまったりするとそこですべてが終わってしまう。信念や合理性、知識といったもので自分で鎧を着てしまうと外からの関係変化を断ち切ってしまう。
何もないから、というのは空であって何もないのではない。曇りのない目で吸収し、それに対応していく。自己は、そんな他との有機的な関係の中で、変化成長していくものだと思う。
 自分を空にしていくこと。それが自分を変化成長させていくもののようだ。

 

 

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