腎は、精を蓄えるところ。所謂、生命エネルギーの源泉だ。 「人有三宝。精、気、神」 車であれば、ガソリンが、精。エンジンが気、様々な機関を経て走ること、そのものが 神。そのどれもがかけても、車は車であり得ないのと同じように、人は精、気、神のどれがかけても人であり得ない。ガソリンもエンジンも、それを動かしていく様々な機関も、そのものだけでは、ただの物質にしかすぎない。それらは有機的に関連しあって初めてうごくことができるし、人は精、気、神によって、初めて生命もつことができる。 腎は、精を蓄えるところであるが、それを気化させる所でもある。腎陰は腎水と呼ばれ、腎陽は、命門の火と呼ばれる。 腎陰は、陰、静の中で養われる。休養、睡眠、リラックス、安静、静か、静功、夜・・・ 腎陽は、陽、動の中で養われる。活動、覚醒、興奮、動き、動功、朝、昼・・・・ 仕事で疲れているからっということで栄養剤を飲めば、元気が出るが、栄養剤は、腎陽を高める薬品が多く、腎陰が少ない状況の中で腎陽を高めれば、腎陰は枯渇する。栄養剤は、元気は出るが、リバウンドが来るとか、一時的にしか効かない人や場合は、腎陰が少ないことを考えなければならない。熱い温泉に入って、一時的に元気が出るが、後で疲れるというのも同様に考えなければならないだろう。そういう場合は、栄養剤や温泉よりも睡眠をちゃんと取った方がよい。 今夜、練習に来られた人がいたので、室内で練習した後、外に出て、腎陰を養う丹田功の功法を体験してもらった。「不思議な感覚だった」といっていた。 「星の王子様」ではないが、本当に大切な物って、目には見えない。 生きていること、愛すること、元気であること、生き生きすること、苦しむこと、悲しむこと、悩むこと、楽しむこと・・・それらは、単なる物質ではなく、物と物との関係の中にしか生まれてこない。生命は、空であり縁起である中にしか生まれてこない。腎陰を養うとは、人間の根元を養うことだ、ふつうの丹田功と何ら違いはない、違うのは、丹田功をする人の中に、天や地、人とつながっている感覚を身につける功法だということだ。 私は、戴氏心意拳をやってよかったと感じるのは、自分自身が生きているという感覚を見つけられたことだと思う。
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