祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

含胸と熊腰

2013-04-16 21:15:14 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

含胸と熊腰

    投稿日:2011年 3月18日(金)21時10分56秒

返信・引用

 

 

先日掲載した動画で見て欲しいのは、呑と含胸との関係です。
呑と含胸、熊腰、搬丹田との関係については、大阪講習会の「理論と実践講習」で実技した
ところを振り返ってくださるとありがたく思います。
含胸、熊腰、虎豹頭といった部分的な要求ができはじめた練拳者は、それらがどういう関係にあり、どういう関係で動かしていけばいいのかということを追求していくことが大切だと思う。一つ一つのつながり、相手とのつながりを理解していくこと、実践していくことが大切なのだと思う。

 

 

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八卦掌

2013-04-16 21:13:31 | 資料ー書籍・動画、その他

おもしろい!

   投稿日:2011年 3月31日(木)18時36分56秒

返信・引用

 

 

ショウ・ザマさんの小説、おもしろいですよ。
「バーコアザン」という小説、言わずとしれた八卦掌を題材にしたものです。
八卦いいですね!内容にもみんなでふれて話題にしたいですよね。
「武術あれこれ」では戴氏心意拳についてもたくさん話題を出してくれています。
http://mbga.jp/AFmba030.1OqMfAg2Yg.18146944/_novel_view?w=18146944

 

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書籍「原伝戴氏心意六合拳-国術叢書.第10輯」陳振家

2013-04-16 21:12:09 | 資料ー書籍・動画、その他

戴氏心意拳書籍

   投稿日:2011年 4月 1日(金)18時57分17秒

返信・引用

 

 

 書籍「原伝戴氏心意六合拳-国術叢書.第10輯」陳振家 が出版されています。
私も中国に行ったときに、著者とは何度か会ったことがある人で、一緒に磨手をやったり、
表演等の交流したこともあります。熱心に拳譜の研究などもされていました。
 王映海師父の門下の方です。内容も詳しい。日本人としてはもっと写真が欲しいところではありますが、VCDがついていて、王喜成老師、喜忠老師もかなりの分量表演されています。ちなみに、私と著者のツーショットがあったり、日本の拝師弟子の名前も載っていたりします。名前の間違いもあったり、本会や心意倶楽部がなぜか株式会社になっていたりするところもありますが、入手して良い作品だと思いますよ。
 入手方法がない方で、希望がある方は連絡いただければ取り寄せますよ。 

 

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発勁と技巧性

2013-04-16 21:07:48 | 資料ー書籍・動画、その他

戴氏心意拳 螳螂手用法練習 動画

   投稿日:2011年 4月 9日(土)21時08分26秒

返信・引用

 

 

戴氏心意拳の螳螂手の用法練習をやっています。
螳螂手の用法は、多くの使い方があるわけですが、一度に連続してやると上手くならない。
だから区切って何回の何回も練習する。連関した磨手という練習方法は、繰り返し練習しながら微妙な力のいれ具合や身法、歩法などとの関係など細かく指摘しながら上達していくいい方法だと思う。
http://sun.ap.teacup.com/dentoubujutu/

 

 


はい、といいますか…

  投稿者:TY  投稿日:2011年 4月 9日(土)11時40分6秒

返信・引用

 

 

しかし、実用を旨とする戴氏は、何かアレして、コレする…を意識して通さんとアカンと思うんですよ。

なんかカッコ良さげなヒカの動きとかは、ダンス的にトレース出来るけど、ザーシーで突く前に手をどう置く、とか、実戦的なものが、突き動作に注意がいって疎かになったり…

これの最たるものが、普通の、型が意味ない空手で、型を時間で切らないだけで、受けの動きで引き倒す動きが出来る、みたいな…

 

 


kotoba

    投稿日:2011年 4月 9日(土)08時14分2秒

返信・引用

 

 

 こういう掲示板というところは、言葉で武術を語っていくわけですから、武術を言葉にすすのは、難しい面もあるし、言葉にするとすっと入ってくるときもありますよね。
 武術ですから、まずは、練習することなしには何も生まれてこない。
そういう意味では、ダンスするように、まずはからだが動くようになることって大事ですよね。

 

 


その通り…ですが難しい。

  投稿者:TY  投稿日:2011年 4月 9日(土)03時51分4秒

返信・引用

 

 

その通りですがとても難しいんですね。

例えば、ショウ ザマさんの小説は難しいと思います。

最近、盲目の剣士が悪党狩りする劇画を読んだんですが、悪党狩りの仲間のバイク使いが、バイクの格闘で敵を引きつけて倒して、剣士のアドバイスを思い出す場面があったんですが、「僕、最近出来るけど原理解ってへんわ」と思ったんですね。
原理知ってやったら多分できてへんでしょう。
技を言葉で切り裂いたら、わかる人にはわかりますが、鈍い私には毒です。しかし、守るべき特徴の「理由」がわからないので、言わないとダメな練習になりますが…

完成させた技で描くとショウ ザマさんの小説になり神業になります。しかし、神業なんですね。

こういう描写ってのは、そのまま、我々修行者の理解の構造と、技術伝達の問題と限界になります。

この辺りが簡単になれば、楽になるんですが…
特に戴氏は丹田功中心の武術だけに注意がいるかと。「踊り」は最近のダンスは凄いとおもうんですが、出来る人が長拳流しても実用は難しいでしょう。でも「全体」を表現出来るので、場面切りはしないかと。(でも、ダンスする人は強いとか言われたのに型が軽視される現状って何でしょうね)

場面切りをしない指標が丹田功と思うんですが、離れると、場面切りになりそうな所もあり、疲れる前に頭を休めないと、全体がわからない、と改めて感じてます。

 

 


その通り!

   投稿日:2011年 4月 7日(木)20時28分59秒

返信・引用

 

 

その通りですね。手で技撃しながら、膝や太腿で引っ掛ける。さすがにTYさんは、よく技撃を受けているので、体感している。
 手と足で技を掛けているというと、じゃあ、いっしょに技掛ければいいんだということになりますが、却ってそれではかからない。1+1=2にならない。両方やろうとすることで
中途半端になったり、二兎を追う者は一兎をも得ずになってしまって、どちらの技もかからない。威力のないものになってしまいます。
そこで、二兎を追う者は一兎をも得ずにならないようにするのが、TYさんが指摘している「しかし、それも進みながら攻撃してこそ…」なんですね。手法と搬丹田は同時に至るし、二つを一緒にやるのではなく一体になるから手が至れば、足が至ることになる。足は故意に技を掛けているのではなく、規定通りに練習していけば、自然に技になっていく。
手法と身法と歩法が一体になってこそ、技って成り立ちます。だからこそ、単練はしっかりやらなければならないのだと思います。

 

 


答えちゃいます

  投稿者:TY  投稿日:2011年 4月 6日(水)01時44分42秒

返信・引用

 

 

膝等が引っかかって飛んでます。原理として馬歩の闖歩と同じ。

しかし、それも進みながら攻撃してこそ…

 

 


 

飛ぶ

  投稿者:xinyi  投稿日:2011年 4月 5日(火)21時58分49秒

返信・引用

 

 

皆さんに問題です。動画でTYさん が派手に飛んでるのには、ある仕掛けがあるんですが、どうしてでしょう?TYさん自身が一番体感してるとはおもいますが…

 

 


ありがとうございます

  投稿者:TY  投稿日:2011年 4月 5日(火)11時13分17秒

返信・引用

 

 

動画みました。最後がかなり笑えます。
おいしい所を使って頂きありがとうございます

 

 

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練法と用法

2013-04-16 21:02:27 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

用法解説

  投稿者:xinyi  投稿日:2011年 4月27日(水)19時29分54秒

返信・引用

 

 

京都のIさん。
「丹田の縦回転がありますが、
形意拳の動画では丹田は立てたまま真っ直ぐ相手に入ってくような感じ」
その通りだと思います。練の段階ではそうですね。戴氏と尚氏の間には
大きな隔たりや違いがある。
 しかし、どちらもよく練っていきさえすれば、用い方はそれほど変わらないのです。
中国武術での「練と用」は、日本人の考えている練法と用法という概念よりも
広くとらえています。「練は大きく練り、小さくまとめて用いる」という大原則があります。
 練というのは、門派によって大きく異なるし、同じ門派でも老師によってことなる。
しかし、用いるのは、さほど変わりません。高いレベルの老師の物であれば、非常に似ていると言っていいでしょう。ですから、「この門派の勁はこうで、この門派のものはこうだ」
なんていっているのは、わりと練の段階のことを言っている場合が多いと思います。
 戴氏の寒鶏歩と尚氏のかい虫歩は、形も動作も風格も全く異なりますが、練って得られる
ものは非常に似ている物がありますよ。
 連打の動画を見た別の方から、質問がありました。
「束展と連打の関係はどうなっているのか」ということでした。
練法として、はじめは、一つ打つごとに、束から展という身法を行います。これは大切な基本ですから、何年もかけて練習していく。しかし、用いる段階で、連打をするときに一回一回束展を行うわけではありません。束から展の中のどの課程を切り取っても、打つことはできるように練拳しなければなりませんし、その中で何度も打てるし、何度も打ちながら、他の身法に変化することもできるように練習しなければなりません。束展も大きく練り、小さくまとめて使っていく。身法の形が見えるような物であれば、本当は使えないのです。

 

 


尚氏形意拳

  投稿者:京都のI  投稿日:2011年 4月26日(火)19時43分16秒

返信・引用

 

 

相手が飛んでいくのは同じでも
戴氏の動画では丹田の縦回転がありますが、
形意拳の動画では丹田は立てたまま真っ直ぐ相手に入ってくような
感じでしょうか。

 

 

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