昨日のエントリー記事でも触れた「夏の甲子園」は、小生宅が購読している朝日新聞が主催です。
そんなこともあって、大会期間中は、各分野の著名人がリレー形式で『甲子園に、恋をした』という共通タイトルで、コラムを綴っていました。
今年の大会では、徳島商業でエースで4番で、元・中日ドラゴンズの投手だった坂東 英二さんが「入場行進する、孫みたいな選手たちを見ながら、不覚にもウルッときました」と語って「恋をした」ようです。
その他にも、磯山 さやか さん、萩原 聖人 さん、新日本プロレスの棚橋 弘至 さん、書道家でご主人が俳優の西村 和彦 さんである、小生の住まいのある山口県出身の國重 友美 さん、コーラスグループで、今大会の5回表終了時に流れる大会歌を歌ったサーカスの皆さんといった方々が登場され、「恋をした」ようです。
その中で、ちょっと印象的だった4名の方々が綴った「恋をした」内容について、引用して(一部、中略していますが…)紹介したいと思います。
原田 裕花 さん
ご自身のブログの8月11日の記事でも…
「朝日新聞に私が高校野球を見て感じた記事が載っています!。」
「
ハートマーク
を書くのはちょっと恥ずかしいかな?…と迷いながらも書いちゃいました
」
と語っています。
実は、このまま小生が10年同じ場所に住まいを構えれば、娘は、原田さんの小学校と中学校の「後輩」になります。
(これ以上お話しすると、小生の大まかな住まいが特定できてしまいますので、この辺でやめます…。「スッキリ」なさった読者の方は、どうか「内緒」ということで…
。)
原田さんはご存知の方も多いと思いますが、バスケットボールの現役選手時代は、ジャパンエナジー(現・JOMO)でご活躍され、アトランタオリンピックの日本代表として出場なさって、7位という成績を残しています。
小生の住まい近くでは、「凄く有名」なお方です。
そんな原田さんも、ある選手をご自身と投影させて、こんな風に語っています。
*************************************
初めて訪れた甲子園は、キラキラ
して選手を輝かせる
場所。
そこで、試合中、ずっと気にしていた選手がいました。帝京の大田君。
先発したものの、1点を失って1回ももたずにマウンドを降りました。
バスケットボールは試合中、何度でも交代できる。一度ミスしても挽回できる
チャンスはある。でも、野球は一度交代したら、チャンスはない。
だから、「全力投球」。重い言葉ですね。
代わってマウンドに上がった垣ヶ原君。
途中で試合に入るのは大変。でも流れを変えるために出ていくので、試合のカギ
を握る人間にもなれる。実はおいしいポジション。
そんな風に考えられるようになったのも、控えの立場を経験したから。
小中高、実業団、そして日本代表でも主将でした。それが、アトランタ五輪前、
右ひざの靱帯を切って手術をした。五輪予選も出られず、主将でもなくなった。
復帰して、先発の5人ではなく、6番目の選手になった。
思うようにプレーできないジレンマ、はっきりしないチームでの立場。
「自分が、自分が」と思ってチームの一員になりきれなかった。
そんな時、メンタルトレーニングの先生に言われたんです。
「チームのために何が出来るか…考えなさい」。それで気持ちが吹っ切れた。
予選に出てない私が五輪に出たということは、はずれた選手がいるということ。
バックアップしてくれる人の大切さにも気づきました。
垣ヶ原君は、最後の甲子園で大田君に代わって背番号「1」をつけた。
試合後、「ピンチの場面も楽しいと思わないと」と言った。
色々な経験が彼を鍛えた。エースですね。
一方の大田君。ずっとつけていた「1」を譲るのは、悔しくないはずがない。
高校3年の時、一度監督から、キャプテンをやめろ、と言われたことがあった。
わたしはキャプテンがつける背番号「4」にプライドを持っていた。
「何くそ」と奮起しましたが、かなりショックでした。
降板した後の大田君は少し、元気がなさそうだった。
でもチームが勝って、大田君の甲子園も、まだ続く。
長丁場の大会を勝ち抜くには、きっとその力が必要とされるはずです。
がんばれ、大田君。これからの試合を、楽しみにしています。
*************************************
原田さんが、アトランタオリンピックに出場したその年に、小生は山口に初めて来たのですが、原田さんのオリンピック出場を祝う、応援の横断幕がとにかく凄かったですね。
原田さんの母校の中学校が、当時住んでいた独身寮の目と鼻の先にあったのですが、横断幕が外周をぐるり一周するほどでした。
同期入社の仲間にも、バスケットボールが好きな者がいて、小生もその影響で見るようになり、そこで初めて原田さんの凄さを、職場の地元の方からお話を聞いて知りました。
同時に、原田さんの「苦しい状況」もその時に知りました
。
輝いている時代と、そうでない時代…共に経験した原田さんだからこそ、大田君を自身に投影させて語ることができ、その論調はとても優しく、説得力があります。
だからこそ、現役を退いた現在でも、バスケットに留まらず、様々なスポーツのコメンテーターとしてご活躍なさっているのでしょうね
。
今後の原田さんのご活躍…凄く期待しています
。
片岡 篤史 さん
小生と同級生で、PL学園時代の1987年に、現在も中日ドラゴンズで現役を続けている立浪 和義 選手と、元・読売ジャイアンツの橋本 清 投手と、元・横浜ベイスターズの野村 弘樹 投手らと共に、春夏連覇を達成しています。
日本ハムファイターズから2002年に阪神タイガースに移籍し、昨年現役を引退されるまで、第一線でご活躍されましたね
。
結局「甲子園で負けを知らなかった」片岡さん…今回は、仲間との絆や敗退校にもスポットを当てて、こんな風に語っています。
*************************************
僕たちが春夏連覇を達成した年から、ちょうど20年。それ以来、現役中は
テレビでみるばかりだったから、甲子園での観戦は初めてになる。
阪神の試合がある時とは別の球場みたいだ。
常葉菊川と大垣日大の対戦は、めったにない春の決勝の再戦。
見られるなんてラッキーだな。
連覇を目指す常葉菊川には今回も負けられないという思いがあるし、大垣日大
には今度こそ勝つという気持ちがあるはず。その大垣日大が先手を取った。
受けて立つ方が追う。面白い展開だ。
僕たちは春の優勝で自信がついた。大阪大会を勝つのは大変だったけれど、
夏も無敗のまま最後まで行く気だった。でも春夏連覇と同じくらい誇りに思って
いるのは、寮生活やつらい練習を一緒に乗り越えた仲間たちとのつながりだ。
同級生17人全員が、春と夏の優勝メダルを、どちらか一つは持っている。
毎年1度、みんなで集まるし、僕が現役を引退した後もお疲れさん会を開いてくれた。
(大垣日大の森田投手が8回に4点を失って…)彼の高校生活最後のマウンドに
なるかもしれないな。
3年生はみんな、そんな思いでプレーしている。僕も決勝がそうだった。
9回、前の打席で三振していたから、3番の立浪に「回してくれ」と言った。
「任せろ」と答えた立浪が出塁してくれたおかげで、もう一度打席に立てて
ヒットを打てた。
(負けた大垣日大がグラウンドを出る時、温かい拍手が起き…)ああ、高校野球
にはこういうシーンがあるんだ。だから、ふだんと違う甲子園だと感じたのか。
久しぶりに、何というか、ジーンときた。
僕たちは3年と春と夏で11回も校歌を歌うことができた。負けてベンチの前で
相手の校歌を聞いたことがない。勝った嬉しさでいっぱいだったし、高校生だから
相手を見る余裕なんかなかった。
今日、甲子園で試合を見て、初めて分かった。
負けたチームに対するこの温かさ。これがあるから、高校野球なんだ。
*************************************
現役を退くまで、常に野球と共にあり続け、高校生の時は、結局甲子園で負けを知らずに大学へ…そしてプロの世界でも活躍なさった片岡さんならではの感想ですよね。
でも、勝った負けたよりも大事になっていたのが、仲間との絆。
小生も、応援団を3年間続けて、最後は同期が5名になりましたが、小生が結婚して間もない頃、カモが声をかけてくれて、同期5人全員が集まった時は、嬉しかったですね。
結局、翌日の始発電車が動くまで、飲んでいましたから
。
有森 裕子 さん
紹介は…必要ないですね
。
もう皆さんご存知の、今年2月の東京マラソンで競技生活に別れを告げた、オリンピックのマラソンのメダリストです。
しかし、有森さんの青春に、高校野球が絡んでいたとは…。
それに、「応援」がいかに自身の力になるか…。
このことも含めて、こんな風に語っています。
*************************************
甲子園で野球を見るのは初めてです。テレビで見るのとは雰囲気が違う。
バットにちゃんと当たると、いい音がするんだ。カキーンって。やっぱり現場。
土もきれい。球児が持って帰るのも分かりますね。
中学、高校時代に好きだった男の子が野球部でした。
高校時代、彼が試合をしている野球場の外を練習中にわざと走って、のぞき込んだ
こともありました。片思いだったんですけどね。
高校野球って、ゆかりのある土地の学校を応援したくなります。郷土愛を感じる。
高校時代、私も郷土の代表になりたかったんです。「岡山」と書いたおそろいの
ユニフォームが欲しかった。でも、いつも脇役。
駅伝の補欠は人数が少なかったけど、野球はいっぱい。
ボールボーイの子もいますね。どういう気持ちなんだろうな。
でも、出られない悔しさを自分にぶつけて、プラスに生かして欲しい。
私はあの頃の悔しさがあったから、五輪に出られた。
それにしても、今年の夏は暑いなぁ。五輪のマラソンも、真夏を走ります。
よく、暑かったでしょう、と聞かれますが、集中していたら暑さなんて感じない。
高校球児も大変でしょうが、一緒だと思います。暑さを感じているチームなんて、
負けてしまいますよ。
球場全体が緊張しているのが分かる。1球1球にドキドキしますね。
ずっと走り続けるマラソンでは、このドキドキ感は味わえないな。
(長崎日大 vs 京都外大西戦で、長崎日大が勝ち越して…)長崎日大の応援団が
踊っている。逆に京都外大西の応援は静かになっちゃったな。
でも、こういうときに応援しないと。
どんな形であれ、応援は選手の力になります。私が走っている時、応援の声が
しっかり聞こえました。球児たちにも聞えているはずです。
最後はダブルプレーで終わった。突然の結末に京都外大西の選手はぼうぜんと
している。まだ、やりたかったんだろうな。
試合時間は2時間31分。私の初マラソンが2時間32分51秒でしたから、ほとんど一緒。
マラソンでもそうですが、集中していると、あっという間に終わっちゃう。
いい試合だったから、いっぱい手に汗をかいちゃいました。
*************************************
有森さんの感想を拝読すると、やっぱり「応援」って、選手の支えになる「縁の下の力持ち」なんですね。
小生は、観客の皆さんと一緒に母校を応援する「お手伝い役」でしたから、下級生の時は、観客の皆様のリアクションでしか、試合の動向を知ることができなかったのですが、やっぱり、一体感を演出するのには、「応援指導部員としての集中力」は必要でしたね。
最近、「熱中症」でダウンしましたが、当時は黒尽くめの学ランを真夏に着ていても、そんなことはなかったな…と、懐かしく思いました。
やっぱり、「集中力」の差なのでしょうか
。
それにしても、有森さんの青春時代にそんな淡い思い出があったとは…。
ヒューマニズムが現れていて良いですね~。
最後は、特にインパクトが強い部分だけを…。
何しろ、物書きの「プロ」のお方ですから。
重松 清 さん
*************************************
ウォーー。あれを捕ったか。佐賀北の馬場崎君だ。
(対帝京戦の)延長13回、センターをおそった大きな当たり。
ヘッドスライディングばかりしていた子だ。後方の難しい打球をよく追いついたね。
馬場崎君もすごいけど、彼が捕球から立ち上がった時、帝京の応援団も大きな拍手を送った。あの拍手、オレ、一生忘れない。あの拍手こそが、本日のベストプレーだ。佐賀北が逆の立場でも同じことをしたと思う。そこが甲子園のいいところじゃないか。
甲子園といえば、やっぱり、かち割り。このかち割り、少年の味がする。
スポーツドリンクなんかじゃなく、水が一番おいしかった時代の味だ。
すこし汗っぽい。う~ん。うまい。
佐賀北は昔ながらの地味なユニフォーム。いいね。日本人は素人っぽさを
どこかで求めている。常連校より応援の勝手もわからないようなチームを応援
したくなる。現代は成果主義、実力主義というけど、そうじゃないものを
どこかでみんな求めている。それがここにもあるような気がする。
へたりこんだ帝京よ。泣くな。二塁手、上原君のバックトス、みごとだった。
負けたけど、思い出をたくさん持っていた方が幸せなんだ。それがたとえ、
いまはつらく苦い思い出であっても。20年たったら、全部いい思い出なって
いるから。大丈夫。オジサンが保証するよ。
*************************************
重松さんが語っている序盤の部分は、『応援団バカ』の視点から見ても、実は仁義という意味でも非常に大切です。応援団の基本であって、これができるかどうかが、試合の全体の雰囲気にも大きく影響します。
好プレーには敵味方なく、惜しみなく声援を贈るのが、応援の礼儀です。
「マナー」といっても過言ではないかもしれません。
帝京…なかなかやりますね。お見事です
。
ところで、重松さん…作家ですから、表現力は当然非の打ちどころがないのですが…何だかあるお方のブログで、よ~くお目にかかっているような…
。
そうです。「同じ薫り」と申し上げたら良いのかもしれませんが…風屋さんと似ている気がするのは小生だけでしょうか
。
そして、最後の部分…「負けたけど、思い出をたくさん持っていた方が幸せなんだ。それがたとえ、いまはつらく苦い思い出であっても。20年たったら、全部いい思い出なっているから。大丈夫。オジサンが保証するよ。」…
これ、小生も、保証します
。
そうでなければ『応援団に捧げた青春』のシリーズ化記事の存在は、あり得ませんから
。
それにしても、甲子園はいろいろなお方を「恋のとりこ」にしてしまう、神聖で素晴しい場所のようです。
小生も、存命のうちに、母校の応援にたった一度でもいい…是非行ってみたいです
。
でも、母校の応援のために、初めて足を運んだその時は、感激のあまり、涙
でバックスクリーンがかすんで見えなくなってしまいそうな気がしますね
。
そんなこともあって、大会期間中は、各分野の著名人がリレー形式で『甲子園に、恋をした』という共通タイトルで、コラムを綴っていました。
今年の大会では、徳島商業でエースで4番で、元・中日ドラゴンズの投手だった坂東 英二さんが「入場行進する、孫みたいな選手たちを見ながら、不覚にもウルッときました」と語って「恋をした」ようです。
その他にも、磯山 さやか さん、萩原 聖人 さん、新日本プロレスの棚橋 弘至 さん、書道家でご主人が俳優の西村 和彦 さんである、小生の住まいのある山口県出身の國重 友美 さん、コーラスグループで、今大会の5回表終了時に流れる大会歌を歌ったサーカスの皆さんといった方々が登場され、「恋をした」ようです。
その中で、ちょっと印象的だった4名の方々が綴った「恋をした」内容について、引用して(一部、中略していますが…)紹介したいと思います。

ご自身のブログの8月11日の記事でも…
「朝日新聞に私が高校野球を見て感じた記事が載っています!。」
「



と語っています。
実は、このまま小生が10年同じ場所に住まいを構えれば、娘は、原田さんの小学校と中学校の「後輩」になります。
(これ以上お話しすると、小生の大まかな住まいが特定できてしまいますので、この辺でやめます…。「スッキリ」なさった読者の方は、どうか「内緒」ということで…


原田さんはご存知の方も多いと思いますが、バスケットボールの現役選手時代は、ジャパンエナジー(現・JOMO)でご活躍され、アトランタオリンピックの日本代表として出場なさって、7位という成績を残しています。
小生の住まい近くでは、「凄く有名」なお方です。
そんな原田さんも、ある選手をご自身と投影させて、こんな風に語っています。
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初めて訪れた甲子園は、キラキラ


そこで、試合中、ずっと気にしていた選手がいました。帝京の大田君。
先発したものの、1点を失って1回ももたずにマウンドを降りました。
バスケットボールは試合中、何度でも交代できる。一度ミスしても挽回できる
チャンスはある。でも、野球は一度交代したら、チャンスはない。
だから、「全力投球」。重い言葉ですね。
代わってマウンドに上がった垣ヶ原君。
途中で試合に入るのは大変。でも流れを変えるために出ていくので、試合のカギ
を握る人間にもなれる。実はおいしいポジション。
そんな風に考えられるようになったのも、控えの立場を経験したから。
小中高、実業団、そして日本代表でも主将でした。それが、アトランタ五輪前、
右ひざの靱帯を切って手術をした。五輪予選も出られず、主将でもなくなった。
復帰して、先発の5人ではなく、6番目の選手になった。
思うようにプレーできないジレンマ、はっきりしないチームでの立場。
「自分が、自分が」と思ってチームの一員になりきれなかった。
そんな時、メンタルトレーニングの先生に言われたんです。
「チームのために何が出来るか…考えなさい」。それで気持ちが吹っ切れた。
予選に出てない私が五輪に出たということは、はずれた選手がいるということ。
バックアップしてくれる人の大切さにも気づきました。
垣ヶ原君は、最後の甲子園で大田君に代わって背番号「1」をつけた。
試合後、「ピンチの場面も楽しいと思わないと」と言った。
色々な経験が彼を鍛えた。エースですね。
一方の大田君。ずっとつけていた「1」を譲るのは、悔しくないはずがない。
高校3年の時、一度監督から、キャプテンをやめろ、と言われたことがあった。
わたしはキャプテンがつける背番号「4」にプライドを持っていた。
「何くそ」と奮起しましたが、かなりショックでした。
降板した後の大田君は少し、元気がなさそうだった。
でもチームが勝って、大田君の甲子園も、まだ続く。
長丁場の大会を勝ち抜くには、きっとその力が必要とされるはずです。
がんばれ、大田君。これからの試合を、楽しみにしています。
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原田さんが、アトランタオリンピックに出場したその年に、小生は山口に初めて来たのですが、原田さんのオリンピック出場を祝う、応援の横断幕がとにかく凄かったですね。
原田さんの母校の中学校が、当時住んでいた独身寮の目と鼻の先にあったのですが、横断幕が外周をぐるり一周するほどでした。
同期入社の仲間にも、バスケットボールが好きな者がいて、小生もその影響で見るようになり、そこで初めて原田さんの凄さを、職場の地元の方からお話を聞いて知りました。
同時に、原田さんの「苦しい状況」もその時に知りました

輝いている時代と、そうでない時代…共に経験した原田さんだからこそ、大田君を自身に投影させて語ることができ、その論調はとても優しく、説得力があります。
だからこそ、現役を退いた現在でも、バスケットに留まらず、様々なスポーツのコメンテーターとしてご活躍なさっているのでしょうね

今後の原田さんのご活躍…凄く期待しています


小生と同級生で、PL学園時代の1987年に、現在も中日ドラゴンズで現役を続けている立浪 和義 選手と、元・読売ジャイアンツの橋本 清 投手と、元・横浜ベイスターズの野村 弘樹 投手らと共に、春夏連覇を達成しています。
日本ハムファイターズから2002年に阪神タイガースに移籍し、昨年現役を引退されるまで、第一線でご活躍されましたね

結局「甲子園で負けを知らなかった」片岡さん…今回は、仲間との絆や敗退校にもスポットを当てて、こんな風に語っています。
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僕たちが春夏連覇を達成した年から、ちょうど20年。それ以来、現役中は
テレビでみるばかりだったから、甲子園での観戦は初めてになる。
阪神の試合がある時とは別の球場みたいだ。
常葉菊川と大垣日大の対戦は、めったにない春の決勝の再戦。
見られるなんてラッキーだな。
連覇を目指す常葉菊川には今回も負けられないという思いがあるし、大垣日大
には今度こそ勝つという気持ちがあるはず。その大垣日大が先手を取った。
受けて立つ方が追う。面白い展開だ。
僕たちは春の優勝で自信がついた。大阪大会を勝つのは大変だったけれど、
夏も無敗のまま最後まで行く気だった。でも春夏連覇と同じくらい誇りに思って
いるのは、寮生活やつらい練習を一緒に乗り越えた仲間たちとのつながりだ。
同級生17人全員が、春と夏の優勝メダルを、どちらか一つは持っている。
毎年1度、みんなで集まるし、僕が現役を引退した後もお疲れさん会を開いてくれた。
(大垣日大の森田投手が8回に4点を失って…)彼の高校生活最後のマウンドに
なるかもしれないな。
3年生はみんな、そんな思いでプレーしている。僕も決勝がそうだった。
9回、前の打席で三振していたから、3番の立浪に「回してくれ」と言った。
「任せろ」と答えた立浪が出塁してくれたおかげで、もう一度打席に立てて
ヒットを打てた。
(負けた大垣日大がグラウンドを出る時、温かい拍手が起き…)ああ、高校野球
にはこういうシーンがあるんだ。だから、ふだんと違う甲子園だと感じたのか。
久しぶりに、何というか、ジーンときた。
僕たちは3年と春と夏で11回も校歌を歌うことができた。負けてベンチの前で
相手の校歌を聞いたことがない。勝った嬉しさでいっぱいだったし、高校生だから
相手を見る余裕なんかなかった。
今日、甲子園で試合を見て、初めて分かった。
負けたチームに対するこの温かさ。これがあるから、高校野球なんだ。
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現役を退くまで、常に野球と共にあり続け、高校生の時は、結局甲子園で負けを知らずに大学へ…そしてプロの世界でも活躍なさった片岡さんならではの感想ですよね。
でも、勝った負けたよりも大事になっていたのが、仲間との絆。
小生も、応援団を3年間続けて、最後は同期が5名になりましたが、小生が結婚して間もない頃、カモが声をかけてくれて、同期5人全員が集まった時は、嬉しかったですね。
結局、翌日の始発電車が動くまで、飲んでいましたから


紹介は…必要ないですね

もう皆さんご存知の、今年2月の東京マラソンで競技生活に別れを告げた、オリンピックのマラソンのメダリストです。
しかし、有森さんの青春に、高校野球が絡んでいたとは…。
それに、「応援」がいかに自身の力になるか…。
このことも含めて、こんな風に語っています。
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甲子園で野球を見るのは初めてです。テレビで見るのとは雰囲気が違う。
バットにちゃんと当たると、いい音がするんだ。カキーンって。やっぱり現場。
土もきれい。球児が持って帰るのも分かりますね。
中学、高校時代に好きだった男の子が野球部でした。
高校時代、彼が試合をしている野球場の外を練習中にわざと走って、のぞき込んだ
こともありました。片思いだったんですけどね。
高校野球って、ゆかりのある土地の学校を応援したくなります。郷土愛を感じる。
高校時代、私も郷土の代表になりたかったんです。「岡山」と書いたおそろいの
ユニフォームが欲しかった。でも、いつも脇役。
駅伝の補欠は人数が少なかったけど、野球はいっぱい。
ボールボーイの子もいますね。どういう気持ちなんだろうな。
でも、出られない悔しさを自分にぶつけて、プラスに生かして欲しい。
私はあの頃の悔しさがあったから、五輪に出られた。
それにしても、今年の夏は暑いなぁ。五輪のマラソンも、真夏を走ります。
よく、暑かったでしょう、と聞かれますが、集中していたら暑さなんて感じない。
高校球児も大変でしょうが、一緒だと思います。暑さを感じているチームなんて、
負けてしまいますよ。
球場全体が緊張しているのが分かる。1球1球にドキドキしますね。
ずっと走り続けるマラソンでは、このドキドキ感は味わえないな。
(長崎日大 vs 京都外大西戦で、長崎日大が勝ち越して…)長崎日大の応援団が
踊っている。逆に京都外大西の応援は静かになっちゃったな。
でも、こういうときに応援しないと。
どんな形であれ、応援は選手の力になります。私が走っている時、応援の声が
しっかり聞こえました。球児たちにも聞えているはずです。
最後はダブルプレーで終わった。突然の結末に京都外大西の選手はぼうぜんと
している。まだ、やりたかったんだろうな。
試合時間は2時間31分。私の初マラソンが2時間32分51秒でしたから、ほとんど一緒。
マラソンでもそうですが、集中していると、あっという間に終わっちゃう。
いい試合だったから、いっぱい手に汗をかいちゃいました。
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有森さんの感想を拝読すると、やっぱり「応援」って、選手の支えになる「縁の下の力持ち」なんですね。
小生は、観客の皆さんと一緒に母校を応援する「お手伝い役」でしたから、下級生の時は、観客の皆様のリアクションでしか、試合の動向を知ることができなかったのですが、やっぱり、一体感を演出するのには、「応援指導部員としての集中力」は必要でしたね。
最近、「熱中症」でダウンしましたが、当時は黒尽くめの学ランを真夏に着ていても、そんなことはなかったな…と、懐かしく思いました。
やっぱり、「集中力」の差なのでしょうか


それにしても、有森さんの青春時代にそんな淡い思い出があったとは…。
ヒューマニズムが現れていて良いですね~。
最後は、特にインパクトが強い部分だけを…。
何しろ、物書きの「プロ」のお方ですから。

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ウォーー。あれを捕ったか。佐賀北の馬場崎君だ。
(対帝京戦の)延長13回、センターをおそった大きな当たり。
ヘッドスライディングばかりしていた子だ。後方の難しい打球をよく追いついたね。
馬場崎君もすごいけど、彼が捕球から立ち上がった時、帝京の応援団も大きな拍手を送った。あの拍手、オレ、一生忘れない。あの拍手こそが、本日のベストプレーだ。佐賀北が逆の立場でも同じことをしたと思う。そこが甲子園のいいところじゃないか。
甲子園といえば、やっぱり、かち割り。このかち割り、少年の味がする。
スポーツドリンクなんかじゃなく、水が一番おいしかった時代の味だ。
すこし汗っぽい。う~ん。うまい。
佐賀北は昔ながらの地味なユニフォーム。いいね。日本人は素人っぽさを
どこかで求めている。常連校より応援の勝手もわからないようなチームを応援
したくなる。現代は成果主義、実力主義というけど、そうじゃないものを
どこかでみんな求めている。それがここにもあるような気がする。
へたりこんだ帝京よ。泣くな。二塁手、上原君のバックトス、みごとだった。
負けたけど、思い出をたくさん持っていた方が幸せなんだ。それがたとえ、
いまはつらく苦い思い出であっても。20年たったら、全部いい思い出なって
いるから。大丈夫。オジサンが保証するよ。
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重松さんが語っている序盤の部分は、『応援団バカ』の視点から見ても、実は仁義という意味でも非常に大切です。応援団の基本であって、これができるかどうかが、試合の全体の雰囲気にも大きく影響します。
好プレーには敵味方なく、惜しみなく声援を贈るのが、応援の礼儀です。
「マナー」といっても過言ではないかもしれません。
帝京…なかなかやりますね。お見事です

ところで、重松さん…作家ですから、表現力は当然非の打ちどころがないのですが…何だかあるお方のブログで、よ~くお目にかかっているような…

そうです。「同じ薫り」と申し上げたら良いのかもしれませんが…風屋さんと似ている気がするのは小生だけでしょうか

そして、最後の部分…「負けたけど、思い出をたくさん持っていた方が幸せなんだ。それがたとえ、いまはつらく苦い思い出であっても。20年たったら、全部いい思い出なっているから。大丈夫。オジサンが保証するよ。」…
これ、小生も、保証します

そうでなければ『応援団に捧げた青春』のシリーズ化記事の存在は、あり得ませんから

それにしても、甲子園はいろいろなお方を「恋のとりこ」にしてしまう、神聖で素晴しい場所のようです。
小生も、存命のうちに、母校の応援にたった一度でもいい…是非行ってみたいです

でも、母校の応援のために、初めて足を運んだその時は、感激のあまり、涙

