今日はちょっと『入魂』の記事をエントリーしたいと思います。
8月31日に、明治大学応援團に関する『暗い影』という記事をエントリーしました。
その後、現在までに、調査結果がほぼまとまりつつあり、紫紺の八木崎健児先輩のご尽力と、拙ブログのコメント欄に、先輩が2度にわたりお寄せ下さった『調査報告』により、進展している状況にあります。明治大学応援團のホームページでも、「詳細については追って御連絡致します。」とコメントが掲載されるまでに、徐々にですが、状況は良い方向に向かっていっているように思います。
なので、それを信じて待ち、もう暫くお時間を頂戴し、先輩のこれまでの調査結果報告(最終報告もあるかもしれませんが…)をじっくり拝読し、反芻してから改めて本件は小生なりの思いを記事にするつもりでいます。
その参考となる、大変貴重なコメントを頂戴した、紫紺の某OBさん、現役の慶應義塾大学應援指導部リーダー部員である黒太郎さんにも、改めて感謝を申し上げたいと思います。
そんな中、『暗い影』の記事のコメント欄に、明治大学ではありませんが、東京六大学に属する、某大学の応援団に所属しながら途中退部されたごんぞーさんから、胸が一杯になるコメントを頂戴しました。
それを先ずは全文を引用して、改めて紹介させていただきます。
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はじめまして。私は学生時代に六大学のひとつ某大応援部(明治ではありません)を途中退部した者です。
私はもともといわゆる応援団らしい(と思われている)タイプの男ではなく、体力もなくどちらかというと軟弱でおとなしいタイプの人間でした。しかし、入学後ぶらぶらしていたときにたまたま見た「六旗の下に」でしびれるほど感動し、自分もやってみたいと思い、でもこんな自分でも大丈夫だろうかと恐る恐るながらも自ら応援団の扉を叩いた変わり者(?)です。(当時は軟派なテニス・スキーサークルが雨後の筍のように現れていた時代でした)
にもかかわらず私が結果的に途中退部したのは、リーダーとして厳しい練習を続けてきたにもかかわらず、体力的にも精神的にもどうしても他の同級の仲間とは見劣りするような感じが自分でぬぐえず、このままでは上級生として下級生の指導をする自信が持てない、上級生になる資格がないと思ったからでした。当時退部の際には他の部員の仲間が何度も説得にかけつけてくれましたが、それはいやがる部員を強引に引き止めるというものでは決してなく、厳しくも楽しく貴重な経験を一緒に積んできた仲間としての友情がひしひしと伝わるもので、辞めると決めた私も涙が出てくるほどでした。
このような経験を有する者からみると、今回の明治の事件での部内の「いじめを苦に」といったような報道には違和感を覚えます。ただ、辞めると決意した者を強引にいつまでも縛り付けるような制度や因習がもしあったのであれば、それは重大な決心をして辞めていく者にとっては本当に重しとなるのでただちに撤廃すべきだと思います。
ちなみに、私は退部した後しばらくぽっかり心に穴が開いたようで、続けていればよかったと思うことも何度もありました。残った同期の仲間が立派な幹部になった姿をみると、自分ももう少しがんばればこんな風になれたのかもしれないと思うときもありました。今でも少し後悔しています。それくらい応援団は魅力的なのです。私は途中で辞めてしまいましたが、それでも他の学生には決して味わえない貴重なすばらしい経験をさせてもらったと思っています。
神宮に六旗が並び立たないのはあまりにも寂しい。詳しいことは承知しませんが、明治応援団内部の人間関係や慣習にもし問題があったのならきちんと自己反省し、自浄作用で立ち直ってほしいと思います。
以上、元落ちこぼれ団員の拙文、失礼しました。
*************************************
ごんぞーさんのこのコメントを改めて拝読し、気になる『2つのことば』があります。
それは、『落ちこぼれ』と『品格』の2つです。
本題に入る前に紹介したいコメントがいくつかありますが、先ずは、このごんぞーさんのコメントに対し、紫紺の八木崎健児先輩も、以下のような激励のメッセージをコメント欄に残して下さっています。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ごんぞ-さんこんにちは.あなたはここまでのことをこのブログで告白できる以上決して落ちこぼれではありません.
私自身社会に出てから応援団出身であったことを過信して世間はずれなことをしたし,そのため多くの人たちに迷惑をかけてきました.応援団幹部を務めても平気で他人を裏切ったり,だましたりする人間もいます.人生は人から応援されたり,人を応援したり人生すべてが応援団.第二の応援団で,お互い頑張ろう!
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
そして、応援団に魅せられたわらさんも、同様に素晴らしいコメントを残されています。
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ごんぞーさん こんにちは
あなたは、不安を抱きながらも、恐る恐るながらも応援団の扉を叩かれ、応援団の世界に飛び込まれたのですから、扉を叩くことさえしなかった、ましてや扉を開くことさえしなかった私から見れば素晴らしく、また羨ましく思います。
やめられた理由も、辛いから、きついから、遊ぶ時間が無くなったからなどというのではなく、純粋に思い悩まれての決断だったのだと推察します。また、説得に駆けつけた部員の方の気持ちを考えても胸につまるものがあります。
ただ一つ言わせて頂ければ、当時の先輩や同級生の仲間たちも、皆、下級生を指導するのに不安が無かったということはないでしょう。自分自身にあまりにも自信がある人は、後で大きな落とし穴に落ちる危険性があるのではないでしょうか。自信がないから、不安だから努力するものだと思っています。
途中で退部されたのは残念なことでしたが、あなたはご自分でも仰るとおり貴重な素晴らしい体験をされたのですから、応援団の心を持って退部されたのでしょう。
最初にも書きましたが、応援団の経験がない私から見れば羨ましい。
素晴らしいコメントを寄せられたごんぞーさんと、この場を提供されているDanchoさんに感謝します。
相変わらずの駄文 ご容赦を
では
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さらに、先にご紹介した慶應義塾大学應援指導部リーダー部員の黒太郎さんからは、以下のコメントを頂戴しています。
身が引き締まる思いですよね。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
こんにちは。私は慶應義塾大学應援指導部リーダー部の二年で現役部員を務めております、黒太郎と申します。宜しくお願いします。こちらのページは部員としては非常に参考になるヒントに満ちており、しばしば閲覧させて頂いております。
所で…私が情報提供するのはやや僭越ではございますが、先週の明東戦のエール交換について東京大学運動会応援部の同期から聞いた事をお話し致します。まず明治大学応援團の吹奏楽部責任者が登壇され「(天下に冠たる)明治大学校歌」と口上を言い校歌の最中は壇上で腕を振り、エールはやはりテクを振らず口上だけを切っていらっしゃいました。もちろん團旗も揚がっておりません。ただこの厳しい現状の中で、明治大学なりのリーダーの重みを守りつつも、神宮でのエール交換を行い抜いた事に、応援團としての心意気を私は感じております。六大学で一二を争ってきた学生動員数も、今シーズンは大きく落ちているとも聞きますが、90年近く脈々と続く威厳を感じつつ今週末の慶明戦に備えて参ります。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて本題に入りたいと思います。
以上のコメントを拝読して、改めて『落ちこぼれ』ということばと、『品格』ということばの持つ意味を再考させられます。
そこで、この2つのことばを辞書で調べると、以下のように載っています。
『落ちこぼれ』
①落ちて散らばっているもの。
②残りもの。あまりもの。
③教科の進度についていけない児童・生徒。
『品格』
①その物から感じられるおごそかさ。品位。
そこでコメントから深く考え、辞書の内容も照らし合わせてみても、紫紺の八木崎先輩や、わらさんのおっしゃるように、ごんぞーさんは、ご自身と真摯に対峙した結果として、『応援団リーダー部』が自然と醸し出している『品格』が備わっていないと判断されての決断の末に、退部という道を選択されただけだけのことであり、ご自身で、③の『落ちこぼれ』イメージを膨らませすぎただけのことではないかと、小生は考えます。
実は、ごんぞーさんの周りの仲間は、そんな風には思っていなかった可能性だってあるわけです。
したがって、ごんぞーさんは小生にも決して『落ちこぼれ』ではない様に思えてなりません。
では、日本相撲協会や横綱力士に対しても「求められる」とされる『品格』ですが、これについては、nanaponさんが『横綱の品格』という記事で、しっかり触れられていますね。
拝読しましたが、興味深い内容のエントリー記事だと思います。
こと応援団における『品格』がどうか…といえば、これも、実は現役リーダー部員達は無意識に自分自身の中に作った「イメージ」に植え付けてしまうか、『応援団リーダー部』の世間一般的に作られたイメージによって植えつけられてしまい、いつしかその「根」が深くなっていくようなことばのような気がします。
もっと申し上げれば、自身では気付かないところで、実は徐々ではあるけれど、自然に備わってくるものではないかと思います。
「求める」とか「求められる」という次元のものではないような気がします。
自然と『品格』が備わると、黒太郎さんのようなコメントを残すことができるようになる…と、小生は思うのです。
応援団における『品格』とは、上手にいえませんが、そういうものではないでしょうか。
明治大学で大團長を歴任なさった紫紺の八木崎健児先輩も、ご自身の振る舞いを省みて、自戒を込めて赤裸々に…
「私自身社会に出てから応援団出身であったことを過信して世間はずれなことをしたし,そのため多くの人たちに迷惑をかけてきました」
と語っておられます。
小生も先輩と同じです。
わらさんの…
「ただ一つ言わせて頂ければ、当時の先輩や同級生の仲間たちも、皆、下級生を指導するのに不安が無かったということはないでしょう」
というご指摘は、実は鋭く、小生の図星を突いています。
『応援団に捧げた青春』シリーズでも、ずっと後なって明らかにしますが、小生自身も2年生の時は、3年生幹部に迷惑ばかりかけた「悩ましい人材」となってしまいました…。
こんな2年生が後輩達を指導できるのか…応援指導部にとって「お荷物」なのではないか…とさえ思ったことも、実はあります。
あの当時の小生は、自身に負けてしまっていたのです。
ただ、愚直に53番との約束を守ることや、TSさんに寄せる想いを叶えるために、「意地」で応援指導部にしがみついていたように思います。
良い思い出も、苦い経験も、苦しかった胸の内もあったからこそ、それを是非整理するべきではないかと考え、『応援団に捧げた青春』シリーズを始めてみたのです。
いざ始めてみると、何人かの読者の方が楽しみにして下さっていることがわかり、それが今の励みにもなっています。
したがって、その時感じたことをさらけ出すことが、このシリーズを楽しみになさっている読者の皆さんへの誠意ではないかと思っています。
そして、紫紺の八木崎健児先輩のおっしゃる…
「人生は人から応援されたり、人を応援したり人生すべてが応援団」
これが本質を突く、『全て』ではないでしょうか。
そして、わらさんのコメントにある…
「あなたはご自分でも仰るとおり貴重な素晴らしい体験をされたのですから、応援団の心を持って退部されたのでしょう」
の部分には、小生も全く同感ですね。
でなければ、拙ブログ(ごんぞーさんから見た場合は、他人のブログ)のコメント欄に、ご自身のことを赤裸々には語れません。小生なら…まずできないですね。
実際、ネットの世界では、これ良しとばかりに酷い人もいて、ひょっとしたら、ごんぞーさんのコメントを読んで、言葉尻だけを捕まえて人格批判してしまう心貧しいコメンテーターは、残念ながらごまんといます。
小生も、ある有名人のブログのコメント欄を通じて、その点は苦い思いをしました。
寂しいことですが、実際に批判しかできない「かわいそう」な人がいるのも事実なのです。
ssayさんがかつて…
「意見に対する反論はあってしかるべきだけど、コメント内容から人格批判につながってしまうことはあってはならない」
と語っていますが、小生もその通りだと思うのです。
そういう心貧しいコメンテーターの人格批判を浴びるかもしれない内容を、勇気を振り絞ってコメント欄に残すことができるだけで、『落ちこぼれ』では繰り返しになりますがないですし、応援団としての『品格』がないだなんて、小生からは、口が裂けても申し上げることはできませんね。
応援団を最後まで続けたから『品格』が備わるものでもなければ、途中退部の道を選択されたから『落ちこぼれ』では、決してないのです!。
もし、『品格』がないのであれば、2年生部員だった当時の小生の方です。
自身との闘いに負けて、「悩ましい人材」へ転落したのですから…。
でも、それでも、現在OBとなって、慕ってくれる後輩達や、紫紺の八木崎健児先輩や、小生を可愛いと思ってくださるKT先輩と、OB会の席で酒を酌み交わし、お話できる機会に恵まれたことに対して、本当に感謝で一杯です。
また、拙ブログを通じて、ごんぞーさん素晴らしいコメントを端に発し、コメント欄を通じて、紫紺の八木崎健児先輩とわらさんも加わって、「会話」がなされているような錯覚を、コメントを拝読していているうちに小生は感じました。
嬉しいですね。管理人冥利に尽きます。
わらさんは、拙ブログへコメントを寄せるたびに…
「この場を提供されているDanchoさんに感謝します」
と結ばれますが、感謝を申し上げるのは、むしろ小生の方です。
コメント欄は、本来こうありたい…という管理人の望み通りの展開にお導き下さっています。頭が上がりませんね。
ちょっと熱くなってしまい、まとまりもなく、読者の皆さんには恐縮ですが、応援団における『気になる2つのことば』を再考することによって、『応援団の魅力』を掘り起こすきっかけになった気がしています。
最後になりますが、黒太郎さんと、同じ慶應義塾大学應援指導部の“現役部員”様から、貴重なコメントを頂戴していますので、改めて、掘り起こされた応援団の魅力みたいなものについて、小生の感じるまま、近々綴ってみたいと思っている次第です。
8月31日に、明治大学応援團に関する『暗い影』という記事をエントリーしました。
その後、現在までに、調査結果がほぼまとまりつつあり、紫紺の八木崎健児先輩のご尽力と、拙ブログのコメント欄に、先輩が2度にわたりお寄せ下さった『調査報告』により、進展している状況にあります。明治大学応援團のホームページでも、「詳細については追って御連絡致します。」とコメントが掲載されるまでに、徐々にですが、状況は良い方向に向かっていっているように思います。
なので、それを信じて待ち、もう暫くお時間を頂戴し、先輩のこれまでの調査結果報告(最終報告もあるかもしれませんが…)をじっくり拝読し、反芻してから改めて本件は小生なりの思いを記事にするつもりでいます。
その参考となる、大変貴重なコメントを頂戴した、紫紺の某OBさん、現役の慶應義塾大学應援指導部リーダー部員である黒太郎さんにも、改めて感謝を申し上げたいと思います。
そんな中、『暗い影』の記事のコメント欄に、明治大学ではありませんが、東京六大学に属する、某大学の応援団に所属しながら途中退部されたごんぞーさんから、胸が一杯になるコメントを頂戴しました。
それを先ずは全文を引用して、改めて紹介させていただきます。
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はじめまして。私は学生時代に六大学のひとつ某大応援部(明治ではありません)を途中退部した者です。
私はもともといわゆる応援団らしい(と思われている)タイプの男ではなく、体力もなくどちらかというと軟弱でおとなしいタイプの人間でした。しかし、入学後ぶらぶらしていたときにたまたま見た「六旗の下に」でしびれるほど感動し、自分もやってみたいと思い、でもこんな自分でも大丈夫だろうかと恐る恐るながらも自ら応援団の扉を叩いた変わり者(?)です。(当時は軟派なテニス・スキーサークルが雨後の筍のように現れていた時代でした)
にもかかわらず私が結果的に途中退部したのは、リーダーとして厳しい練習を続けてきたにもかかわらず、体力的にも精神的にもどうしても他の同級の仲間とは見劣りするような感じが自分でぬぐえず、このままでは上級生として下級生の指導をする自信が持てない、上級生になる資格がないと思ったからでした。当時退部の際には他の部員の仲間が何度も説得にかけつけてくれましたが、それはいやがる部員を強引に引き止めるというものでは決してなく、厳しくも楽しく貴重な経験を一緒に積んできた仲間としての友情がひしひしと伝わるもので、辞めると決めた私も涙が出てくるほどでした。
このような経験を有する者からみると、今回の明治の事件での部内の「いじめを苦に」といったような報道には違和感を覚えます。ただ、辞めると決意した者を強引にいつまでも縛り付けるような制度や因習がもしあったのであれば、それは重大な決心をして辞めていく者にとっては本当に重しとなるのでただちに撤廃すべきだと思います。
ちなみに、私は退部した後しばらくぽっかり心に穴が開いたようで、続けていればよかったと思うことも何度もありました。残った同期の仲間が立派な幹部になった姿をみると、自分ももう少しがんばればこんな風になれたのかもしれないと思うときもありました。今でも少し後悔しています。それくらい応援団は魅力的なのです。私は途中で辞めてしまいましたが、それでも他の学生には決して味わえない貴重なすばらしい経験をさせてもらったと思っています。
神宮に六旗が並び立たないのはあまりにも寂しい。詳しいことは承知しませんが、明治応援団内部の人間関係や慣習にもし問題があったのならきちんと自己反省し、自浄作用で立ち直ってほしいと思います。
以上、元落ちこぼれ団員の拙文、失礼しました。
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ごんぞーさんのこのコメントを改めて拝読し、気になる『2つのことば』があります。
それは、『落ちこぼれ』と『品格』の2つです。
本題に入る前に紹介したいコメントがいくつかありますが、先ずは、このごんぞーさんのコメントに対し、紫紺の八木崎健児先輩も、以下のような激励のメッセージをコメント欄に残して下さっています。
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ごんぞ-さんこんにちは.あなたはここまでのことをこのブログで告白できる以上決して落ちこぼれではありません.
私自身社会に出てから応援団出身であったことを過信して世間はずれなことをしたし,そのため多くの人たちに迷惑をかけてきました.応援団幹部を務めても平気で他人を裏切ったり,だましたりする人間もいます.人生は人から応援されたり,人を応援したり人生すべてが応援団.第二の応援団で,お互い頑張ろう!
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そして、応援団に魅せられたわらさんも、同様に素晴らしいコメントを残されています。
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ごんぞーさん こんにちは
あなたは、不安を抱きながらも、恐る恐るながらも応援団の扉を叩かれ、応援団の世界に飛び込まれたのですから、扉を叩くことさえしなかった、ましてや扉を開くことさえしなかった私から見れば素晴らしく、また羨ましく思います。
やめられた理由も、辛いから、きついから、遊ぶ時間が無くなったからなどというのではなく、純粋に思い悩まれての決断だったのだと推察します。また、説得に駆けつけた部員の方の気持ちを考えても胸につまるものがあります。
ただ一つ言わせて頂ければ、当時の先輩や同級生の仲間たちも、皆、下級生を指導するのに不安が無かったということはないでしょう。自分自身にあまりにも自信がある人は、後で大きな落とし穴に落ちる危険性があるのではないでしょうか。自信がないから、不安だから努力するものだと思っています。
途中で退部されたのは残念なことでしたが、あなたはご自分でも仰るとおり貴重な素晴らしい体験をされたのですから、応援団の心を持って退部されたのでしょう。
最初にも書きましたが、応援団の経験がない私から見れば羨ましい。
素晴らしいコメントを寄せられたごんぞーさんと、この場を提供されているDanchoさんに感謝します。
相変わらずの駄文 ご容赦を
では
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さらに、先にご紹介した慶應義塾大学應援指導部リーダー部員の黒太郎さんからは、以下のコメントを頂戴しています。
身が引き締まる思いですよね。
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こんにちは。私は慶應義塾大学應援指導部リーダー部の二年で現役部員を務めております、黒太郎と申します。宜しくお願いします。こちらのページは部員としては非常に参考になるヒントに満ちており、しばしば閲覧させて頂いております。
所で…私が情報提供するのはやや僭越ではございますが、先週の明東戦のエール交換について東京大学運動会応援部の同期から聞いた事をお話し致します。まず明治大学応援團の吹奏楽部責任者が登壇され「(天下に冠たる)明治大学校歌」と口上を言い校歌の最中は壇上で腕を振り、エールはやはりテクを振らず口上だけを切っていらっしゃいました。もちろん團旗も揚がっておりません。ただこの厳しい現状の中で、明治大学なりのリーダーの重みを守りつつも、神宮でのエール交換を行い抜いた事に、応援團としての心意気を私は感じております。六大学で一二を争ってきた学生動員数も、今シーズンは大きく落ちているとも聞きますが、90年近く脈々と続く威厳を感じつつ今週末の慶明戦に備えて参ります。
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さて本題に入りたいと思います。
以上のコメントを拝読して、改めて『落ちこぼれ』ということばと、『品格』ということばの持つ意味を再考させられます。
そこで、この2つのことばを辞書で調べると、以下のように載っています。
『落ちこぼれ』
①落ちて散らばっているもの。
②残りもの。あまりもの。
③教科の進度についていけない児童・生徒。
『品格』
①その物から感じられるおごそかさ。品位。
そこでコメントから深く考え、辞書の内容も照らし合わせてみても、紫紺の八木崎先輩や、わらさんのおっしゃるように、ごんぞーさんは、ご自身と真摯に対峙した結果として、『応援団リーダー部』が自然と醸し出している『品格』が備わっていないと判断されての決断の末に、退部という道を選択されただけだけのことであり、ご自身で、③の『落ちこぼれ』イメージを膨らませすぎただけのことではないかと、小生は考えます。
実は、ごんぞーさんの周りの仲間は、そんな風には思っていなかった可能性だってあるわけです。
したがって、ごんぞーさんは小生にも決して『落ちこぼれ』ではない様に思えてなりません。
では、日本相撲協会や横綱力士に対しても「求められる」とされる『品格』ですが、これについては、nanaponさんが『横綱の品格』という記事で、しっかり触れられていますね。
拝読しましたが、興味深い内容のエントリー記事だと思います。
こと応援団における『品格』がどうか…といえば、これも、実は現役リーダー部員達は無意識に自分自身の中に作った「イメージ」に植え付けてしまうか、『応援団リーダー部』の世間一般的に作られたイメージによって植えつけられてしまい、いつしかその「根」が深くなっていくようなことばのような気がします。
もっと申し上げれば、自身では気付かないところで、実は徐々ではあるけれど、自然に備わってくるものではないかと思います。
「求める」とか「求められる」という次元のものではないような気がします。
自然と『品格』が備わると、黒太郎さんのようなコメントを残すことができるようになる…と、小生は思うのです。
応援団における『品格』とは、上手にいえませんが、そういうものではないでしょうか。
明治大学で大團長を歴任なさった紫紺の八木崎健児先輩も、ご自身の振る舞いを省みて、自戒を込めて赤裸々に…
「私自身社会に出てから応援団出身であったことを過信して世間はずれなことをしたし,そのため多くの人たちに迷惑をかけてきました」
と語っておられます。
小生も先輩と同じです。
わらさんの…
「ただ一つ言わせて頂ければ、当時の先輩や同級生の仲間たちも、皆、下級生を指導するのに不安が無かったということはないでしょう」
というご指摘は、実は鋭く、小生の図星を突いています。
『応援団に捧げた青春』シリーズでも、ずっと後なって明らかにしますが、小生自身も2年生の時は、3年生幹部に迷惑ばかりかけた「悩ましい人材」となってしまいました…。
こんな2年生が後輩達を指導できるのか…応援指導部にとって「お荷物」なのではないか…とさえ思ったことも、実はあります。
あの当時の小生は、自身に負けてしまっていたのです。
ただ、愚直に53番との約束を守ることや、TSさんに寄せる想いを叶えるために、「意地」で応援指導部にしがみついていたように思います。
良い思い出も、苦い経験も、苦しかった胸の内もあったからこそ、それを是非整理するべきではないかと考え、『応援団に捧げた青春』シリーズを始めてみたのです。
いざ始めてみると、何人かの読者の方が楽しみにして下さっていることがわかり、それが今の励みにもなっています。
したがって、その時感じたことをさらけ出すことが、このシリーズを楽しみになさっている読者の皆さんへの誠意ではないかと思っています。
そして、紫紺の八木崎健児先輩のおっしゃる…
「人生は人から応援されたり、人を応援したり人生すべてが応援団」
これが本質を突く、『全て』ではないでしょうか。
そして、わらさんのコメントにある…
「あなたはご自分でも仰るとおり貴重な素晴らしい体験をされたのですから、応援団の心を持って退部されたのでしょう」
の部分には、小生も全く同感ですね。
でなければ、拙ブログ(ごんぞーさんから見た場合は、他人のブログ)のコメント欄に、ご自身のことを赤裸々には語れません。小生なら…まずできないですね。
実際、ネットの世界では、これ良しとばかりに酷い人もいて、ひょっとしたら、ごんぞーさんのコメントを読んで、言葉尻だけを捕まえて人格批判してしまう心貧しいコメンテーターは、残念ながらごまんといます。
小生も、ある有名人のブログのコメント欄を通じて、その点は苦い思いをしました。
寂しいことですが、実際に批判しかできない「かわいそう」な人がいるのも事実なのです。
ssayさんがかつて…
「意見に対する反論はあってしかるべきだけど、コメント内容から人格批判につながってしまうことはあってはならない」
と語っていますが、小生もその通りだと思うのです。
そういう心貧しいコメンテーターの人格批判を浴びるかもしれない内容を、勇気を振り絞ってコメント欄に残すことができるだけで、『落ちこぼれ』では繰り返しになりますがないですし、応援団としての『品格』がないだなんて、小生からは、口が裂けても申し上げることはできませんね。
応援団を最後まで続けたから『品格』が備わるものでもなければ、途中退部の道を選択されたから『落ちこぼれ』では、決してないのです!。
もし、『品格』がないのであれば、2年生部員だった当時の小生の方です。
自身との闘いに負けて、「悩ましい人材」へ転落したのですから…。
でも、それでも、現在OBとなって、慕ってくれる後輩達や、紫紺の八木崎健児先輩や、小生を可愛いと思ってくださるKT先輩と、OB会の席で酒を酌み交わし、お話できる機会に恵まれたことに対して、本当に感謝で一杯です。
また、拙ブログを通じて、ごんぞーさん素晴らしいコメントを端に発し、コメント欄を通じて、紫紺の八木崎健児先輩とわらさんも加わって、「会話」がなされているような錯覚を、コメントを拝読していているうちに小生は感じました。
嬉しいですね。管理人冥利に尽きます。
わらさんは、拙ブログへコメントを寄せるたびに…
「この場を提供されているDanchoさんに感謝します」
と結ばれますが、感謝を申し上げるのは、むしろ小生の方です。
コメント欄は、本来こうありたい…という管理人の望み通りの展開にお導き下さっています。頭が上がりませんね。
ちょっと熱くなってしまい、まとまりもなく、読者の皆さんには恐縮ですが、応援団における『気になる2つのことば』を再考することによって、『応援団の魅力』を掘り起こすきっかけになった気がしています。
最後になりますが、黒太郎さんと、同じ慶應義塾大学應援指導部の“現役部員”様から、貴重なコメントを頂戴していますので、改めて、掘り起こされた応援団の魅力みたいなものについて、小生の感じるまま、近々綴ってみたいと思っている次第です。