Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・冬物語 その2

2024-05-12 22:12:16 | 旅行

【お知らせ】 下記に順次、引っ越しますので、宜しくお願い致します。

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen2

 

2024年の記録

1月から3月までの旧足尾町「冬」の散策記録。

 

 

1889年~1920年まで稼働していた小滝選鉱場の写真。(出所:足尾まちなか写真館)

 

 

備前楯山の地底にある足尾銅山には、三つの坑口(通洞坑、本山坑、小滝坑)があるが、内部はアリの巣のように複雑に繋がっている。また、南北に流れる渡良瀬川沿いに発電所、製錬所、機械工場、幹部社宅などの施設があった。

 

 

国鉄足尾線開通後、交通の要所となった足尾駅は、貨物の入換用線路がならび、小荷物積み込み用の屋根付きのホームもあった。現在は、JR時代に活躍した気動車が係留されている。

ホーム先端に信号所、駅前にはお決まりの赤い円筒型ポストがある。

 

 

足尾キリスト教会は、1908年(明治41年)竣工、木造平屋建、鉄板葺の国指定の登録有形文化財となっている。正直なところ、そこまでの歴史的建造物には見えない。

 

18世紀末の英国の鉱山王 グリン・ビビアンの「自己の遺産を以て全世界の一国に一教会を」との意思により、日本では国内屈指の足尾銅山が選ばれ、現在の教会堂が建立された。現在は、福音伝道教団に活動が受け継がれている。

 

 

重機械系の製造業がそうであるように鉱山で使う機械は、欧州からの輸入に始まり、その整備を自社で、さらに技術を蓄積して自社で製造するようになった。その原点となっている工場である。

 

 

足尾町掛水は、足尾谷の中で最も日あたりの良い一等地である。足尾鉱業所事務所(2025年5月復元予定)、掛水倶楽部(貴賓客の接待や宿泊施設として使用された国指定登録有形文化財、冬季閉鎖)、そして、写真の幹部社宅(現在も居住者がいる)がある。

 

幹部社宅街は、有名無名の映画のロケ地として、しばしば利用されている。

 

 

足尾には、水力発電所があり(旧足尾町内の発電所は閉鎖され、旧日光市内に中禅寺湖の水を利用した水力発電所がある。) 、最近まで、電気は無料だった。そのため、暖房も煮炊きなど熱源は、すべて電気だった。ちなみに僕の居宅も、すべて電気である。

 

 

国道122号線を外れ、銀山平にある「かじか荘」に向かう山道の途中に小滝坑や鉱山設備、集落があった。その中で、現存しているのが、1926年(大正15年)架設の小滝橋である。現在は、錆に覆われ、ほとんどスクラップ状態だ。

 

その小滝集落の人口は、最盛期の大正年間に1万人となったと記されている。まさに「つわものどもの夢のあと」である。

 

 

四季の彩りに風薫る足尾の宿 かじか(旧 国民宿舎かじか荘)でのお薦めは、温泉と食事。

 

庚申温泉(アルカリ単純泉)は、身体かつるつるする泉質もさることながら、露天風呂から見る雪景色は絶景。僕のお薦めの食事メニューは、写真の通りです。

写真左:岩魚のひつまぶし丼、写真手前:頂鱒(イタダキマス)、写真奥:岩魚の唐揚げ(骨まで食べられる)

 

 

 

 

【メモ】

今、日本は、値上ラッシュだ。取引先が、「来社したい」と言って来れば、十中八、九は、値上の話だ。それどころか、発注側から「価格転嫁(値上)しなくて大丈夫ですか?」と声を掛けろ、というのが、政府のご指導だ。好景気ならともかく、僕の業界の景気は悪い。稀にある増産、短納期にも、働き方改革、時間外規制で、瞬発力もなくなった。バイヤーにとっては、「国内の取引先は、面倒臭い」が本音だ。

 

日本企業の9割以上が、中小零細企業だから取引の価格交渉と無関係の多数の一般社員には、政府主導の“値上振興”は、ウケが良いのかもしれない。

 

ただ、発注側も指を咥えて見ている訳じゃない。モデルチェンジを機に発注先を海外にシフトするケースは増える。円安が続いていても、不景気な中国は、安値攻勢を掛けてきている。

 

日本の製造業の空洞化は、残念だけど、必至だと思う。日本は、益々貧しくなるんじゃないだろうか。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・冬物語

2024-05-06 17:35:54 | 旅行

【お知らせ】 下記に順次、引っ越しますので、宜しくお願い致します。(当面併行)

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2024年の記録

赴任準備のため2023年12月の訪問時と2024年1月から3月までの旧足尾町「冬」の散策記録。

 

 

冬は寒く、交通アクセスも悪い過疎地だが、「住めば都」だ。

 

 

足尾銅山、足尾鉱毒事件の舞台となった旧足尾町は、旧今市市、旧日光市ほか町村との合併により、現在は日光市足尾地区となっている。

20世紀初頭、日本の銅産出量の40%ほどを占める世界有数の大銅山は、東京から意外に近いところにある。(現在でも、埋蔵量は世界上位に位置するものの、鉱石の品位が悲しいほど低く、採掘されていない。)

 

 

旧足尾町は、群馬県みどり市、桐生市とわたらせ渓谷鐡道(旧JR足尾線)で結ばれているにも関わらず、行政区画は、(細尾峠を越えた)栃木県となっている。奇異に思い調べてみた。

 

旧国鉄足尾線開通以前の群馬県側へのアクセスは、細尾峠越え以上に悪かったようで、廃藩置県以前から下野国(現栃木県)に属している。群馬県側へ流れる渡良瀬川は、海運に利用できる河川ではなく、足尾銅山で採掘された銅鉱石は、足尾で粗銅(純度約99%)に製錬され、馬で細尾峠を越えて、日光市清滝にある精錬所に運ばれ、電気銅(純度約99.5%)に精錬されていた。

 

旧国鉄足尾線が開通すると、足尾で製錬された粗銅は、旧国鉄足尾線経由で、出荷されるようになった。その後の足尾銅山閉山後は、旧国鉄足尾線で、輸入銅鉱石を足尾製錬所へ搬入していた。そんな関係で、群馬県との関係が深まり、旧足尾町の市外局番は、群馬県の局番となっていた。

 

その一方で、群馬県庁との確執もあった。旧足尾町は、栃木県に属していたので、足尾の税収は、栃木県に納税されるが、重金属を含んだ鉱廃水は、渡良瀬川を流れ、群馬県側に公害被害をもたらした。群馬県庁が、面白くないのも、理解できる。

 

銅山閉山、輸入銅鉱石の製錬休止で、旧国鉄足尾線の輸送量は、激減する。一方で、旧日光市と繋ぐ日足トンネルが開通すると、再び栃木県側との関係が深まり、市街局番は、栃木県上都賀地区の「0288」に変更された。

 

 

鉱都と呼ばれている足尾は、閉山以降衰退の一途を辿る。製錬所休止、警察署閉署、銀行の支店閉店、県立高校廃校となった。商店街のほとんどが閉店。日足トンネル近くに奇跡的にコンビニがあるものの夜になると棚はガラ空き。

 

そんな訳で、近隣にスーパーマーケット、ドラックストア、コンビニ、ガソリンスタンドのある日光市七里の物件を見に行った。リゾート感のある街なみ、ペット可の物件だったのだが、職場まで峠を越えて30~40分と遠いいことが唯一の難点。

 

僕は二番札で、僕のあとに内覧した一番札の人が、即決してしまったので、結果的に悩むこともなく、旧足尾町にある社宅に入居することになった。

 

 

着任の朝は、雪掻きから始まった。降雪は10日に1回ほどで、晴天になれば、嘘のように道路上の雪は消える。もちろん、除雪で積みあげられた雪と山肌の雪は残る。

 

 

社宅は、駅前の一等地にある、と言っても、足尾駅は、無人駅。島式ホーム、線路が複数あり、かつての繁栄が偲ばれる。

 

 

足尾駅構内の留置線には、JR足尾線時代の気動車、ディーゼル機関車、貨車が保存されている。

 

社宅から徒歩圏内唯一の萬屋・北村商店。足尾駅前にあり、ひと通りのものは揃うが、品揃え、価格は、それなりである。1週間分の食料品を旧今市市で、調達することが、日課となった。

 

 

足尾の街の中心は、足尾駅ではなく通洞駅となる。かつての商店街も通洞駅周辺に広がり、足尾町役場(現・日光市役所足尾支所)も通洞駅近くにある。

 

駅舎は、柱や梁が外に出ている北方ヨーロッパの木造建築技法であるハーフティンバー様式である。駅舎及びプラットホームが登録有形文化財として登録されている。

 

 

わたらせ渓谷鉄道の終着駅となる間藤駅。旧JR足尾線時代は1.9km先の足尾本山駅まで貨物専用線が伸びていた。

 

わたらせ渓谷鉄道の駅舎は、冬季はイルミネーションで飾られる。

 

 

間藤駅頭上の岩壁、かつては、煙害で岩肌が剝きだしていたが、30年に及ぶ植林事業で、少しずつであるが、植生が蘇ってきている。

 

 

渡良瀬川上流の松木川沿いに北進し、半月峠を越えた山の向う側は、中禅寺湖である。

 

 

15時をすぎると急激に寒くなる。山に囲まれた谷に位置するので、日没は早く、再び厚い雲に覆われると、明朝は、雪掻きか?

 

 

田元交差点から足尾市街に向かう旧道は、渡良瀬川上流の松木川と神子内川に挟まれて進む。僅か1㎞ほどの僕の通勤路でもある。

 

 

足尾は、ほぼ南北に延びた谷あいの街なので、夕焼けを見ることが、ほとんどない。夕焼けを映した山肌が、紅く染まった。

 

 

【メモ】

「鉱都足尾・冬物語」の投稿が、1ヶ月以上も滞ってしまい、季節は冬から春へ、さらに初夏へと移ろうとしている。この1ヶ月、色々なことがあった。

仕事が、想定以上に繁忙を極めたこともあったし、愛犬の具合が悪くなり(脳梗塞か何かで痙攣を2度発症し、動物病院に1泊した)、退院後も視力を失い、真っ直ぐ歩けなくなり、1日中右旋回を繰り返し日々が続いた。(お陰様で、痙攣前の8、9割まで回復した。) そんな訳で、毎週帰省していたため、執筆する精神的な余裕も無くなっていた。それに加え、決定的だったのは、ブログのログインができなくなり、ログイン状態を維持しているPCが唯一のアクセス危機になってしまったことだ。事務局へ連絡しても、解決の糸口を見つけられず、やむなく新しくBeing on the Road2 (https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen2)を立ちあげた。当面の投稿は、両サイトにアップしていく予定です。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/さらば東京の夜

2024-03-24 21:07:29 | 旅行

【お詫び】2週間ほど前からGooBLOGにスマホからアクセスできなくなりました。ただでさえ、クルマ通勤になりアクセス時間が確保できず、皆さまのBLOG拝見の機会減少に輪を掛けてです。鋭意、復旧を試みていますが、今しばらくのご無礼をお許し願います。

 

2023年の記録

2023年・冬、コロナ禍が終息し、夜の東京駅周辺を散歩した時の記録。

 

 

2028年3月の高さ390mを誇る超高層ビル「トーチタワー(Torch Tower)」竣工に向けて、朝日生命日本橋ビルの解体が、ほぼ完了した。

 

 

 

 

高層ビルが連なる東京駅日本橋口、ビルの隙間から晴天の夜空が覗く。

 

 

八重洲口に拡がる飲み屋横丁。コロナ禍で淘汰が進んだもの少しずつ賑わいが復活している。

 

 

東京駅構内を抜けて、西側の丸の内口にある美しい赤レンガ建築の駅舎。

 

 

【メモ】

最近、自宅の愛犬の具合が良くない。チワピン(チワワとピンシャのミックス犬) メス 15歳。年齢も年齢だからどうしようもないのかもしれない。食が細くなり、エサ皿からエサを食べられなくなり、運動量も減り、昼間眠り、夜に部屋の中を徘徊することもある。その様子を見るのは、とても悲しい。それは、明日の我が身なのかもしれない。

 

僕の両親は、比較的若く亡くなったので、老いた両親を知らない。老いた自分というものも想像できない。でも、生きていれば、確実に到来する現実なのだ。

 

以前、会社の上司の母親が亡くなったとき、上司は、「ホッとした」と言っていた。痴呆症で、徘徊や奇行を繰り返していたと聞いていたが、そのこと自体の煩わしさではなく、子供の頃の優しかった母親の美しい記憶に奇行を繰り返す痴呆症の母親の記憶が上書きされて、消えてしまうことを憂慮していたという。

 

ポケットの中に入ってしまうほど小っちゃかった仔犬が、あれよ、あれよという間に成犬になり、急な階段を登って二階の居間に来るようになった。老犬となった今は、抱っこしてやらないと、2階には、来られない。犬も人も、そして社会も、「できなかったことが、できるようになる」時代が終わると、「できたことが、できなくなる」のである。幸い僕は、過去の自分を目標に頑張った経験もない。しかし、確実に到来する「できたことが、できなくなる日」に言い知れぬ不安を感じている。

 

 

旅は続く

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館4日目

2024-03-09 22:14:12 | 旅行

2023年の記録

帰京する日の朝、赤レンガ倉庫群と末広町を散策。その後、昼すぎのフライトまで、JR函館駅前で時間を潰した4日目の記録。

 

 

赤レンガ倉庫街での散策、買い物も今日が最後。

 

 

HakoBA Hakodateは、伝統的建造物群に近く、ホテル自身が歴史的建造物であることから投宿を決めた。立地は、文句なく◎だが、シェアキッチンで自炊するか、中2階のレストラン&バーを利用することになる。函館で話題の“朝食バイキング戦争”とは無縁になってしまった。ちょっと残念。

キャリーバックがなければ、ブラブラと駅まで歩ける距離であるし、ブラブラあるいて楽しい街だ。

 

 

日本近代建築の1類型にすぎない赤レンガ建造物であるが、インパクトは強く、赤レンガ・フェチには、堪らなく魅力的だ。

 

 

最後の散策は、赤レンガ倉庫に隣接する末広町。一階和風二階洋風の函館洋式の家屋がならぶ。文明開化、大正モダンの風が、函館の街に吹く。

 

 

朝の散策から1度ホテルに戻り、さらっと仕事のメールをチェックしたあと、チェックアウト。末広町電停から市電でJR函館駅へ移動。

 

 

JR函館駅発着は、北上して新函館北斗(新幹線乗換駅)、札幌に繋がる函館本線と西に延びる (第三セクター鉄道・旧江差線)。アルミボディの函館本線には、興味が沸かないが、旧国鉄時代に製造された道南いさりび鉄道キハ40形は、塗装色は、カラフルになっているが、懐かしくなってカシャ!

 

 

函館最後の食事、ほんとうは、海鮮丼といきたいところだが、昨日のガッカリのトラウマから安心印のラッキーピエロへ。あえて変わり種は選ばず、最もオーソドックスな「ハンバーガ」を選ぶ。

 

 

お土産の試食を兼ねて、メルチーズ生キャラメル プティ・メルヴィーユと珈琲のセットを注文。試食合格、お土産決定となりました。蛇足ながら、僕は冬でもアイス珈琲を愛飲。

 

 

【メモ】

函館旅行からすでに2ヶ月半が経過した。その間に色々なことがあったが、世界にとって良い話は稀。日経平均株価が、最高値を更新するも、好況は感じられない。株価は、マネーゲームの様相。

 

「モノを買う仕事」携わっているので、簡単に解説すると、モノの値段は、「モノを買うことによって得られる価値(効果)」、「モノを作るための原価+利益」のどちらかで決まる。「発注企業に原価の上昇分値上を受け入れなさい。」といった政府主導の“値上令”は、後者に由来している。しかし、これが、機能するのは、「需要≧供給」の時。景気が悪化すれば、 (利益を削って) 値下してでも、販売量を確保して、利益の総額を維持したいと考えるのが、売り手の理屈。最後に貧乏くじ(賃金相場の下落)を引くのは、株価などと無縁の一般庶民じゃないかな。

 

株のことは、門外漢だけど、株も土地も持っているだけでは、利益を生まない。持ち株がっても、それを売ったときだけで、夢は終わる。リスキーな売買ゲームに参戦しないと、夢は続かないのだ。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館3日目後編

2024-02-29 21:41:26 | 旅行

2023年の記録

クリスマスイブの朝、昨晩から快晴。ちょっと足を延ばして、トラピスチヌ修道院に行き、復路は函館駅から徒歩でホテルまで散策、夕方には、再び教会に行った3日目の記録。

 

 

イブの夜、月明かりに照らされたカトリック元町教会の尖塔。

 

 

クリスマスイブ後編、中華會館からスタート。中華會館→屯所の庵→弥生小学校→旧函館西警察署庁舎→太刀川家住宅兼店舗→大町→末広町→十字街電停。一旦、HakoBA Hakodateに戻り、その後、八幡坂を登り、ハリストス正教会→聖ヨハネ教会→カトリック元町教会→日本基督教団函館教会。夕食は、質素にラッキーピエロ。(後編)

 

 

昨日の吹雪の中に佇んでいたことが、嘘のような真っ青な空の下の中華會館を見る。

 

 

蔵を改造して、出窓を設けた蔵の宿「屯所の庵」は、函館らしく和の中に洋を見る。

 

 

弥生小学校の美しい校舎の前に停まる軽自動車、休日に出勤した先生のマイカーだろうか。

 

 

旧函館西警察署庁舎も青空の下で見ると、昨日とは別の表情をしている。

 

 

太刀川家住宅兼店舗は、整いすぎるほど整っている。国重要文化財かつ函館市景観形成指定建築物となっている。1901年(明治34年)造のレンガ積みの土蔵造りで、洋風アーチを取り入れ、左右に卯建(=うだつ、防火用袖壁)がついているのが特徴である。

 

 

太刀川家から市電通りに出て、通り沿いに大町、末広町と十字街電停を目指して歩くと、函館の伝統的な家屋が続く。

 

 

電停十字街で、JR函館駅から来た市電が、谷地頭方面と函館ドック方面に分岐する。東京都や長崎市の路面電車と同じく、函館市電も車両形式もカラーリングも異なる車両が行き交う。僕は、鉄チャンではないが、見ていて飽きない。

なお、キノコのような構造物は、操車塔と呼ばれ交差点で電車信号現示とポイントの切り替えを手動による遠隔操作のため1939年(昭和14年)に設置されたもので、現存する路面電車の操車塔としては、最古である。1995年(平成7年)まで、使用されていた。道路改良に伴い現在地に移設、形態保存されている。

 

 

1度ホテルに戻り、八幡坂を登って元町教会群へ。

 

 

ライトアップされた白壁が浮き立つハリストス正教会。

 

月明かりに照らされた聖ヨハネ教会。

 

異教の教会を巡ったあとにクリスマスミサ参列のためにカトリック元町教会へ。クリスマスミサは、23時ごろから始まり、日を跨いで執り行われるものと思っていたが、19時前に終了し、信者さんたちは、「良いお年を!」と挨拶を交わし、家路についた。

 

 

最後に日本基督教団函館教会を見て、夕食を買いに戻る。

 

 

ラッキーピエロのハンバーガで、質素なクリスマスイブの夕食を摂る。

 

 

【メモ】

ロシアのウクライナ侵攻から2年、その戦争の最中にイスラエルとハマスの戦闘が始まった。西側からすれば、悪いのはロシア・プーチンだ。ハマスにも問題があるが、パレスチナ人に対するイスラエルの仕打ちは最悪だ。そんなことを考えた時に日本のバンドグループ・SEKAI NO OWARI の「Dragon Night」の歌詞を想起した。

 

今宵は百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日

終わりの来ないような戦いも今宵は休戦して祝杯をあげる

 

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない

だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ

 

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう

ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード

今宵、僕たちは友達のように踊るんだ

 

今宵は百万年に一度太陽が夜に遊びに訪れる日

終わりの来ないような戦いも今宵は休戦の証の炎をともす

 

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない

だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね

 

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう

コングラッチュレイション、グラッチュレイション、グラッチュレイション

今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ

 

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう

ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード

今宵、僕たちは友達のように踊るんだ

(作詞:Fukase)

 

 

歌詞のように、休戦して祝杯をあげ、友達のように歌い、友達のように踊り、戦いは終わる。

そんな日が来ることを信じている。

 

 

旅は続く