Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

Go to West ! 第2回 / タシケント

2021-01-31 11:35:50 | 旅行

2019年の記録

新しく建設されたレストラン街の中央アジアらしい雰囲気の外壁

 

昨晩、タシケント空港に到着し、旧市街にあるウズベキスタンホテルに直行した。4ツ星だが、僕の基準(中国基準)だと3ツ星レベルかな、というのが僕の評価。夕食は、ホテル内の売店でパンを買って済ませたが、食べられないほど不味い訳でも、目が飛び出るほど高くもないが、絶賛するほど美味しくもなかった。「寝るだけならば、充分に快適」といった評価に尽きる。タシケントは、トランジットなので、朝の飛行機でブハラに移動。

 

アラル海、カスピ海といった“海”が目につくが、塩湖であり大きさ故「×××海」と呼ばれるが、国際連合条約では、“海”と認められていない。

 

日本とウズベキスタンでは、(かなり西方にあるが)4時間しか時差がない。とはいっても4時間も時差があると入国翌日の早起きは、苦にならない。夜が明けるのを待って、8時半の国内線に乗るまでの隙間時間にホテル周辺を散策した。

 

早朝、清掃車や散水車で綺麗になった街は、忍び寄る秋の冷涼感からロシアを感じる。

 

ウズベキスタンは、ソ連から独立した国なので、ロシア色が色濃く残っている。ホテル周辺は、完全にロシアの雰囲気だと思う。(訪露経験がないので、あくまでも個人的なイメージです。) 実際、経済的には、ロシアに依存せざるを得ない部分も多い。何しろ、前回のブログで既述したように二重内陸国である。しかも、国境を接する国には、経済を牽引できる国はない。経済的に頼れるのはロシア、ということになるだろう。

 

集会場やレストラン、新しい建築物は、中央アジアらしいウズベキスタン色が出ている感じがする。

 

一方、文化的には、ロシアから一定の距離を置いているのかもしれない。ウズベキスタンの公用語は、ウズベク語だが、隣国のカザフスタン、キルギス(旧キルギスタン)の公用語はロシア語だ。ただし、カザフスタンの国家語(国語)はカザフ語、キルギスの国家語はキルギス語。エッ~、意味わからない? 多分、国家語は、国民が広く使っている言語で、公用語は、政府機関が公告や法令などに使う言語ということになるのかな。(隣国の話なので、これくらいにする。ご存知の方は、是非コメください。) ロシア語の看板が目立つものの日本の英語看板程度。ロシア語のわからない人も少なくないと聞くが、僕自身、ロシア語能力ゼロなので、問題にならない。ウズベク語も限りなくゼロだが、ボディランゲージで、危機的な状況を回避できることを経験的に知っているので、そんなに心配していない。まぁ、最後の最後は、通訳のアジさんを頼りにしている。

 

 

旅は続く

 


Go to West ! / タシケントへ

2021-01-27 22:38:54 | 旅行

2019年の記録

雲の上から眺めるユーラシア大陸

 

20歳の頃の僕は、なぜか“北”を目指していた。北海道に憧れ、さらにその北にあるサハリン、シベリアへと想いを馳せていた。しかし、それが、気がつくと“西”になっていた。路線バスで、地を這うように西に向かって旅をする。目的? 東洋から中東、西洋へと変わるグラデーションを肌で感じたい。と言っても、サラリーマンの今は、できない。いや、厳密に書けば、それを実行するだけの度胸がないだけだ。

 

むかし、船で世界一周するといって、飛行機にばかり乗っている弁護士に会ったことがある。彼は、休みがとれると、飛行機でA港に行き、そこからB港に船で移動し、Bから飛行機で帰国する。次の休みには、飛行機でB港に行き、そこからC港へを繰り返していた。今の僕は、彼より酷い。彼の旅は、“線”で繋がっていたが、僕の旅は、それもない。でも、いつの日か、“線”を繋げる。それまでは、脈絡のない“点”を目指した旅を続ける。

 

飛行機から眺める大地は、西に向かうに従い緑から茶褐色へと変わる。

 

ところで、「タシケントって、どこ?」、「ウズベキスタンの首都」、「そもそも、ウズベキスタンって?」これが、ふつうの日本人だと思う。日本に留学していた通訳のアジさん曰く「ウズベキスタンから来た。」と話すと、「母国、戦争で大変ですね。」と同情される。アフガニスタンと混同されているのである。

 

国境を接する全ての国が内陸国である内陸国、つまり海に行くには、2度国境を越えなくてはならない二重内陸国であるウズベキスタン。日本のほぼ真西にある。

 

ウズベキスタンの“スタン”は、ペルシャ語由来の「〇〇の土地」、あるいは「〇〇が多い場所」といった意味で、旧ペルシャ文化圏の国名、地方名として使われている。

 

旧ソ連から独立した国、というのは何となく知られているが、意外に知られていないことは、二重内陸国あること。四方を海に囲まれた日本とは真逆なのである。

 

国名が示す通り、ウズベク人が人口の8割以上、ウズベク人も含め、人口の98%が、トルコ系民族(コーカソイドとモンゴロイドの混血とされている。) で、同様に98%がイスラム教徒である。まぁ、それ以外の僕の知っていることは、次回以降、少しづつ書いていきたい。

 

日没の時間に西に向かう飛行機に乗ると、夕焼けを延々と見続けてられる。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/ はとバス 'O Sola mio

2021-01-24 21:22:19 | 旅行

2019年の記録

はとバス 'O Sola mioは、僕の会社のある東京駅丸の内南口から出発する。

 

大連から仕事に来ている友人を連れて東京観光。実は、僕も初はとバスだ。以前からオープントップの二階建てバスが気になっていたので、グット・チャンスだ。

 

オープントップの二階建てバスから見る東京の夜景は? 友人は、とても喜んでくれたが、僕としては、期待には届かなかった。色使いなど、好みの違いがあると思うが、僕は、大連の夜景には敵わないと思う。大連には、二階建ての路線バスが走っている。次は、大連の夜景をバスの二階から眺めたいな。

 

東京駅~国会議事堂~東京タワー~レインボーブリッジ~銀座~東京駅の約1時間のドライブ。

 

旅先で見た夕景、夜景の美しさが忘れられないということがあるが、ほんとうは、勤務先や自宅から見る夕景、夜景だって、同じくらい美しいはずなのだ。なぜ、そう思えないのか?それは、慌ただしい日常では、夕景、夜景を眺める心に余裕がないだけなのだと思う。

 

週末に友人は、大連に帰り、僕はウズベキスタンへと旅立つ。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/ 下野市天平の丘

2021-01-23 14:38:23 | 旅行

2019年の記録

蝋燭の灯を見ていると、晩夏と和を感じる。

 

前回の日記の後、上海日帰り圏内の仕事が続いた。朝6時に起床、6時半朝食、7時ホテル発、夜は会食の後、21時前後にホテルに戻る。真面目なサラリーマン生活と言うか、“あそび”のない生活である。ホテル前の教会に行くことが、唯一の心の平安か?(笑)

 

日本の旧盆あとの週末、「(会社の)暑気払いやるけど、戻ってくる?」といった連絡があったので、「はい、戻ります。」と返事すると、「ほんと?」といった本心を見透かすような反応。上海をウロウロできる楽しい週末を棒に振りたくないと思っていたのは、事実である。腹を括って(ちょっと大袈裟) 「私もサラリーマンなので・・・・」という訳で、金曜日の夕方、羽田空港に降り立ち、キャリーバックをガラガラ引きずって会場へ。15分ほど遅刻なので、席は埋まっている。空いているのは、上座のド真ん中だけ。末席には、空きがない。「そこって、常務の席じゃないの?」「常務、夏風邪で、欠席です。」 「エ~・・・・・」

下野市は、下都賀郡国分寺町を含む3町が合併、関東平野のほぼ中央に位置する。

 

前置きが、やたらと長いのだけど、“一瞬の夏”ならぬ“一瞬の日本の休日”に日本的な「しもつけ燈桜会」に行ってきた。

 

歴史と自然に満ちた桜の名所「天平の丘公園」にろうそくの灯りが燈る幻想的な夏の3日間 灯り燈る公園の中を散策するもよし、あなたの願いを灯りに込めて燈すもよし あなたの新たな夏の思い出に、栃木県下野市の新たな夏の風物詩 「しもつけ燈桜会 (とうおうえ)」

(下野市、下野観光協会 観光ポスターより)

https://www.city.shimotsuke.lg.jp/manage/contents/upload/5d3f90d07e32c.pdf

ほんとうは、「夏桜と蝋燭の灯」が撮影のお題なのだろうが、そんなことは、考えずに足元の蝋燭の灯の写真ばかり。2020年は、コロナ禍によって中止、「夏桜と蝋燭の灯」の撮影ができる日は来るのだろうか?

 

旅は続く

 


上海の街角から 第2回(徐家匯聖イグナチオ大聖堂)

2021-01-19 23:11:38 | 旅行

2019年の記録

 

青空に映える大聖堂、上海の空も驚くほど綺麗になった。現政権の唯一の成果か?

 

上海の常宿も変遷があるが、今は、徐家匯の大聖堂のホテルを常宿にしている。僕にとって、とても便が良い。その気になれば、出勤前に大聖堂へ寄ることもできるし、部屋から大聖堂を見下ろすこともできる。(ただし視界を遮るビル建設中)

 

東トルキスタンでは、イスラム教施設はもちろん、キリスト教施設までもが閉鎖されていたことを見てきたが、上海では、ミサもあり、自由に参列することもできる。「上海で許される信仰の自由が、東トルキスタンでは、なぜ許されないのか?」 簡単に答えれば、「上海には多くの外国人が住み、海外の目があるから」ということである。意外に思うかもしれないが、中国政府は、海外の目を気にしている。

 

ちょっと脱線するが、外国人が来る国際空港は、驚くほど綺麗にしている。(2000年頃まで中国で最も綺麗な公衆トイレは、上海浦東国際空港の国際線のトイレだったと思う) インターネットも同じで、上海ならばアクセスできる海外のサイトが、地方に行くとアクセスできないとか、アクセスできてもコメントが送信できないとか、なんてことは、よくある。海外から「中国政府は、情報統制している」と批判されたくないのだ。と、書くと、「嘘だろ!」の声が聞こえる。確かに今の国際社会での中国の“やりたい放題”の振る舞いは、海外の目を気にしているとは思えない。きっとGDP2位の経済大国に成長した過信と、元来の周囲に無頓着な国民性の悪しき結実なのかもしれない。

 

中国政府の肩を持つ訳ではないが、地方では情報を統制しなくてはならない真っ当な理由もある。地方には、ネットに氾濫するフェイクニュースをフェイクと判別できない人も少なくない。海外の怪しいサイトを自動翻訳した奇怪な情報が流布されれば、大混乱になる。ちょっと昔の話だが、遥か彼方の福島原発事故の時、「食塩に含まれるヨウ素が放射能汚染を防ぐ」といった情報が中国で拡大し、食塩の高騰と買いだめの大パニックになった。確かにヨウ素には、放射能汚染を防ぐ効能があるものの、食塩に含まれるヨウ素は微量で、効能が得られるほどのヨウ素を摂取するには、気が遠くなる量の食塩を摂取しなくてはならない。ヨウ素の効能を得る以前に塩分の過剰摂取によって、健康を害し、ひとつ間違えれば死んでしまう。そんなこと、考えれば、わかるはずだが、考えないで行動する人が、地方にはゴマンといるのも現実なのである。

 

すっかり堅苦しい話になってしまった、次回は、もう少し柔らかい話にします。

 

 

旅は続く