Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野の北、奥州の南 第2回

2021-08-31 21:42:53 | 旅行

2021年の記録

 

龍王峡は、日光市の鬼怒川上流部に発達する峡谷。鬼怒川温泉と川治温泉の中間に位置し、日光国立公園に属する景勝地である。

 

 

東京の緊急事態宣言は、6月20日に解除されるも7月12日は、再び緊急事態宣言が発令される。関東は6月14日に梅雨入りしたこともあって、6月はステーホーム。7月16日の梅雨明けとともに散策再開。川治温泉で前泊して前回訪問できなかった会津若松を散策した時の記録。

 

 

久しぶりに龍王峡に行った。早朝だったこともあり、ほとんど誰にも会うことなく散策できたが、以前と比べると荒れている気がした。

 

 

日本基督教団若松栄町教会は、1911年(明治44年)に起工の木造下見板張りのゴシック式教会堂で、会堂部の外郭はラテン十字を描く。ヴォーリズ設計の福島教会(2011年3月11日の東日本大地震で被害を受け、取り壊された。) を手本としている。2000年登録有形文化財(建造物)登録。

若松栄町教会創設者の藤生金六が開いた英語塾には野口清作(後の野口英世)が英語を学ぶために通っていた。藤生金六は、1895年(明治28年)に野口清作に洗礼を授けている。

 

 

カトリック会津若松教会は、日本基督教団若松栄町教会から徒歩数分のところにある。聖堂は意外に古く1912年(大正元年)年竣工。

 

 

2つの教会がある西栄町に隣接する七日町は、蔵が建ち並ぶノスタルジックな通りがあり、大正浪漫を感じられる。今回は、時間が取れずスルーしたが、是非とも再訪したい。

 

 

【メモ】

緊急事態宣言下の7月23日“コロナに打ち勝った証” の東京オリンピックが開会する。IOCと日本の為政者五輪4人組は、日本国民の犠牲も厭わずオリンピックを強行、まさにコロナによる五輪延期、中止に打ち勝ったのである。多くの国民は、コロナに打ち勝つとは、コロナ終息と、大きな誤解をしていただけのことだった。

緊急事態宣言を発令しても、東京都の1日の新規感染者数は、ジリジリと上昇した。

「平和の祭典、つまり“お祭り騒ぎ”でも、一般国民は、家でおとなしく!」

「アスリートの活躍は、ステーホームをあと押しする?」と宣う都知事、自宅でしかテレビを見られないのは昭和の話。

「小学校の運動会を中止して、参加者が国境を跨いで来るオリンピックは中止しないの?」といった子供の質問に日本の為政者は、何て答えるのだろうか?

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/ふらっと群馬

2021-08-30 08:31:37 | 旅行

2021年の記録

 

碓氷第三橋梁は、廃線となってからすでに半世紀、酷な表現をすれば廃墟、しかし美しいと思う。

 

 

白河に行った翌日に県境を越えて隣接する群馬県を散策したときの記録。緊急事態期間中は、外食を控え、弁当持参&飲食店のテイクアウトを利用して車中食に徹したので、自宅を中心に逆方向の散策をすることにした。訪問した教会3ヶ所は、いずれも日本基督教団の教会、偶然である。

 

 

安中教会新島襄記念会堂は、新島襄の召天30周年を記念して1919年(大正8年)に完成している。東正面のロマネスク様式の会堂で大谷石による石造。東南の隅に角形の鐘塔を建て、外壁には控壁を付けている。2004年(平成16年)登録有形文化財登録。

訪問当日は、門が閉じられて敷地に入ることも叶わないところだったが、隣接する旧碓井郡役所の方の計らいで敷地内に入ることができた。

 

 

原市教会は、安中教会から約4キロ旧中仙道を南西に走ったところにある。安中教会から分離した教会で、現在の礼拝堂は、1952年(昭和27年)起工。狭い旧中仙道からさらに路地を入ったところにある。

 

 

碓氷峠めがね橋、正式名称は、碓氷第三橋梁。碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋である。設計者は、イギリス人技師のパウナルと古川晴一で、1893年(明治26年)に竣工し、高崎駅と直江津駅を結ぶ路線(後の信越本線)が全線開通となった。

1963年(昭和38年)に新線が建設され、アプト式鉄道が廃止されるまで使用された。全長91 m、川底からの高さ31 m、使用された煉瓦は約200万個に及ぶ。現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模である。1993年(平成5年)に「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定された。

 

 

伊勢崎教会は、東武伊勢崎線新伊勢崎駅前にある。僕の近代建築散策のバイブルにしている「近代建築寫眞館」の写真と異なり、改装しているとしても1938年(昭和13年)竣工には見えない。声を掛けてくれた牧師と話をして合点がいった。東日本大震災で被災、安全上の問題で解体、新築していたのである。歴史的建築物が失われることは残念だが、礼拝堂は、信徒の祈りの場である、安全が優先されるのは必然、キリスト教会であっても、諸行無常である。

 

 

【メモ】

5月21日、IOCのジョン・コーツ調整委員長は、緊急事態宣言下でも五輪を開催すると断言、5月24日には、トーマス・バッハ会長の「われわれはいくらかの犠牲を払わなければならない」といった発言。

今にしてみると、五輪と言う名の“狂宴”の始まりを確信することになった。バッハ会長の非常識を超えた行動は、不要不急の銀ブラ、パラリンピック開会式への再来日と続き、怒りを通り越して呆れるばかりになっていった。

国民の8割が、五輪の中止、延期を望んでいることを知りながら五輪4人組(菅総理、小池都知事、橋本組織委会長、丸川五輪相)は、IOC幹部に何ひとつ言わない。日本は民主主義の国だ、直接選挙でなくとも、国民が選んだ総理である訳で、その愚行の責任の一端は、我々国民にもあると思っているが、あまりにも酷い、情けない。

五輪の「アスリート・ファースト」は、真っ赤な嘘、真実は「(IOCの)マネー・ファスト」、「フェイス(為政者のメンツ)・ファースト」。IOCは、アスリートのやりがい搾取と開催都市からぼったくるブラック・エンターテメント拝金集団「いっぱい・お金・ちょうだい」だ。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野の北、奥州の南

2021-08-26 22:44:13 | 旅行

2021年の記録

 

おしらじの滝は、沢の水が少ないため、美しい滝を見られるのは稀だが、ブルーの滝つぼは枯れることなく、大自然にひっそりと佇んでいる。

 

 

3回目の緊急事態宣言下、県内の名瀑を訪問するも、滝を見ることができず、禁を破り県境を越え福島県白河市を散策した時の記録。

 

 

おしらじの滝は、矢板から塩原に繋がる県道から10分ほど下ったところにある。この周辺は、多くの滝がある中で、知名度があり(パワースボットだとか)、駐車場からも近く、なおかつ行ったことがなかったので、軽い気持ちで、行ってみた次第。パワースボットに興味はないが、パワースポットでもあるようだ。

 

 

おしらじの滝だけ見て帰宅すると、間違いなく欲求不満になるので北上した。2020年夏に喜多方に行った時に寄れなかった会津若松へ向かったものの、天気予報は思わしくない。塩原から南会津、下郷に入ったところで、目的地を白河に急遽変更。国道289号線の道の駅・下郷で休憩するも強風に風花が舞う寒さ。

 

 

白河ハリストス正教会は、1915年(大正4年)竣工の木造平屋建て(鐘塔部二階)で、ビザンチン様式の雰囲気を漂わせている。設計は、当時のニコライ堂副輔祭であった河村伊蔵、施工は地元白河の棟梁中村新太郎で、白河の信徒とロシアのロシア正教会信徒の献金で建設された。2011年(平成23年) 福島県指定重要文化財(建造物)指定

訪問当日は、福島県もコロナ感染者が増加していることもあり、教会敷地内の立入も禁止されていた。(5月14日(金)、福島県独自の緊急事態宣言「福島県新型コロナウイルス感染症非常事態宣言」を発出した。) 教会周辺には、ノスタルジックな建造物群があるものの今回はスルーし、JR白河駅に寄って帰宅した。

 

 

JR白河駅舎は、1923年(大正12年)に建てられた大正浪漫の薫りが漂うレトロな駅舎で、建物正面にはステンド装飾が施されており、和洋折衷の当時流行のモダン様式の建物である。

かつては、東北本線を走る特急、急行も停車した白河市の中心駅だったが、新幹線開業後に設置された新白河駅にその任務を譲り、上り下り線各1線、早朝夜間駅員不在のローカルステーションとなった。

 

 

【メモ】

名古屋出入国在留管理局の収容施設で、3月に亡くなったウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)の遺族が来日、5月16日に名古屋市内で葬儀が営まれた。その後の遺族の3ヶ月以上の滞在で、事実の一片が明らかになった。

訪日外国人は、日本への夢と期待を持って来る。その夢や期待は、人それぞれ異なるかもしれないが、夢を叶えることに最大限の力を貸し、期待に応えることが、迎える国の義務だと僕は思っている。なぜなら、訪日する外国人の99%が、日本が好きか、信用しているか、だからだ。それが、草の根の“安全保障”だと僕は思っている。

日本に貢献した人に礼を尽くすことはあたりまえのことで、むしろ法を犯した人であっても、“きちんと”(人権を尊重し、友好的に)対処するか、否かで、日本という国の価値が決まるものだ。

ウィシュマ・サンダマリさんの真実が、どんなものであっても、夢と期待を持って来日した人が、幸せな気持ちで帰国できない、ましてや亡骸となって帰国するなど、許されることではない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/彩の国散策物語 第4回

2021-08-22 20:14:26 | 旅行

2021年の記録

 

三学院・極楽殿までは400m。近くに美しい寺院があることは、喜ばしいことだと思う。

 

 

3回目の緊急事態宣言下、ワラビスタンの徒歩圏内(400m圏内)の散策の記録。

 

 

以前にも紹介した三学院・極楽殿、手入れの行き届いた寺院。This is Japan.といった風情だ。関係者に対して不謹慎かもしれないが、視覚的な美しさに絶賛僕もする。

縦カットの写真2枚は、いわゆるオールドレンズ(銀塩マニュアルカメラ時代のレンズ)のSPタムロン17mmF3.5で撮影。レンズのクモリのためか、柔らかい写り。僕はコントラストの高い、カチッとした写りを好むが、これは、これで味がある。

 

 

旧中仙道蕨宿、国道17号線と並行して続く約1kmに古風な建物がならぶ。その中の1軒、お気に入りの薬屋。

 

 

和楽備神社(ワラビジンジャ)も以前の弊ブログで紹介している。三学院・極楽殿と同様手入れの行き届いた神社である。

 

 

【メモ】

4月25日発令の緊急事態宣言、さすが3回目になると、国民に響かない。これまでに感染(厳密には発症)していない国民には、根拠なき(感染しない)自信が蔓延している。加えて、政府のコロナ感染対策が、“国民のため”ではなく“五輪開催のため”になっている疑念は根深い。人流を抑制することもできず、ジリジリと新規感染者数が増加。一部の業界の経営を疲弊させるだけの緊急事態宣言が、ダラダラと続くことになる。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第10回

2021-08-21 07:28:27 | 旅行

2021年の記録

 

東京聖十字教会は、かまぼこ型の特徴ある木造建築である。

 

3回目の緊急事態宣言発令までのつかの間の平安、あまり行くことのなかった世田谷方面を散策したときの記録。

 

 

東急世田谷線(軌道線=いわゆる路面電車)松陰神社前駅近くにある東京聖十字教会は、1961年(昭和36年)竣工の特色的な外観の木造平屋建ての教会である。設計は、チェコ系アメリカ人建築家・アントニン・レーモンド。前々回紹介した聖オルバン教会も・レーモンドの設計である。レーモンドの木造建築は、贅沢な素材をふんだんに使ったものが多いが、集成材(柱状合板)が多く使われ、必要以上の装飾を排した清貧を良しとする、この教会の慎ましさ・誠実さが伝わってくる建築である。

 

 

東京聖十字教会から30分ほど歩いたところに富士見丘教会がある。1936年(昭和11年)竣工の木造2階建て鋼板葺。外壁はモルタルにクリーム色の吹き付け塗装を施し、屋根はカラー鋼板(緑青色)で葺いている。2003年(平成15年)国登録有形文化財登録。

 

 

富士見丘教会から東京ジャーミイへは、徒歩15分(約1.9キロ)ほどである。弊ブログで何度も紹介している“トルコ共和国東京飛地”だ。建物の美しさとイスラームの開かれた包容力に心癒される。

 

 

旅は続く