Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野市

2021-04-27 22:03:41 | 旅行

2020年の記録

 

定点撮影を続けている畑の中の1本の樹

 

栃木県下野市は、下都賀郡国分寺町、石橋町、河内郡南河内町との合併で誕生した。北は県庁所在地の宇都宮、南は栃木県第二の都市・小山市に接する。

 

現在、人類を苦しめているコロナウイルス感染症と感染者が報告されたのは2019年。しかし、実質的には、2020年がコロナ元年だろう。そのような意味で、2020年の正月は、Before Covid 最後の平和な正月だった。

 

根っからの天邪鬼の僕は、大晦日の夜、紅白歌合戦を見ることもなく、除夜の鐘を聞くころには、寝ている。クリスチャンなので、初詣に行くこともないので、朝は目が覚める9時頃まで、たっぷり睡眠をとる。(僕は目覚ましのアラームがなければ、何時に寝ても9時頃まで目が覚めない。) 雑煮の遅い朝食を摂り、それでも正午になれば、ちゃんと昼食を食べる。その後は、親戚に形式的な挨拶回り。夕方になり、散歩にでかける。

 

初詣に行った訳ではない、金井神社の前を偶然通りかかったので、ちょっと覗いた。夕方になると人影は疎らになっていた。

 

国道4号線を渡ったところに旧日光街道小金井一里塚がある。旧街道に特別興味がある訳ではないが、二本立つ樹のシルエットは、いつも美しいと思っている。

 

定点撮影を続けている樹、夕焼けをバックにしたシルエットを何年撮り続けているだろうか。定点撮影といっても、西の空が紅く染まり、時間と気持ちに余裕があると撮影するレベル。

 

正月休みも終わる頃、季節外れの藁ロールが田んぼに転がっているのを見つけた。稲藁は、牛の餌に混ぜられる。麦藁は、牛が食べると腸内で発酵するので、牛舎に敷かれることが多い。下野には、牛の肥育農家も多いので、秋になると、しばしば目にする。下野市周辺は、ビール麦の生産量を佐賀県と競うほどの麦作が盛んだが、麦の収穫のあとは、すぐに田植えを始めるため、夏には北海道のような景色を見ることはない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/桐生とみどり市

2021-04-22 21:13:00 | 旅行

2019年の記録

 

やはり紅葉は、赤が紅葉らしくて、僕は好きだ。

 

 

桐生市は、群馬県の東部にある織物で有名な街、ご存知の方も多いと思う。一方、みどり市は、新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村のいわゆる平成の大合併で誕生した。市民には、申し訳ないが、取ってつけたような、どこにあるのかもわからないありきたりの地名だ。

 

近隣で紅葉が見られて、でも、あまり有名でなく、混雑していないところといった、ちょっと失礼な理由から白羽の矢を立てて行ったのが、渡良瀬川中流にある高津峡である。確かに渋滞も、人混みもなく、のんびりと紅葉狩りができた。

 

桐生は、旧市街は、雰囲気の良い古い町並みが残る。また、渡良瀬川の支流・桐生川の源流林は、苔の美しい渓谷があり、僕は何度も通っている。(源流林の紅葉は、すでに終わっている。) 今回は、今まで寄ることなかった群馬大学工学部同窓記念会館(旧桐生高等染織学校本館・講堂)に寄った。

 

大学構内にある現存・現役の近代建築は少なくないのだが、コロナ禍では、大学敷地内への入場制限があり、結果的には、今のところ最後の大学構内近代建築訪問になったと共に2019年最後の記録写真である。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/笠間

2021-04-18 21:21:45 | 旅行

2019年の記録

 

犬連れだったので、屋外にテーブルのあるカフェを選んだ。

 

笠間市は、茨城県のほぼ中央、水戸市の東隣にあり、北関東自動車道、JR水戸線が、横断している。

 

小春日和の休日、誘われて、ふらっと笠間に行った。笠間と言えば、笠間稲荷神社と笠間焼なのだが、そのいずれにも興味がない。“やる気が感じられない最低のブログ”と酷評されるかとビクビクしながら書いている。(そんなら、書くな!) とは思いつつも、日本らしい穏やかな休日は、幸せな記憶だ。

 

笠間城の下屋敷跡とその周辺が、佐白山麓公園として整備された。時鐘楼がアクセントになっている。

 

笠間稲荷神社、東門だけが、僕の心に響いた。東門は、文化13年に再建された入母屋造建築、再建とといっても時の重みがある。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/姫路

2021-04-14 22:51:21 | 旅行

2019年の記録

 

姫路城は、姫路の象徴。姫路の人にとっては、心のよりどころなのかもしれない。

 

滋賀県に続き姫路も日帰り出張を敢行、といっても新幹線で往復、訪問先は1社のみなので、日帰りで充分な出張。午後1番に訪問することにしていたので、姫路駅に10時前に着くように早めに出発し、2時間ほど姫路駅周辺を散策したときの記録。

 

姫路と言えば、姫路城と言うほど姫路城が有名だが、姫路城の西側の旧陸軍第十師団司令部の跡地に建つカトリック姫路教会ザビエル館を訪ねた。

 

カトリック姫路教会ザビエル館と道路を挟んで向かい側に赤レンガ造の旧姫路陸軍兵器支廠西倉庫がある。戦後は姫路市役所として利用され、現在は姫路市立美術館となっている。

 

姫路城のことは、僕が今さら説明するまでもないだろうから極めて個人的なエピソードにおつきあいください。

 

2015年平成の修理を終えた直後に姫路城に行った友人から姫路城の白壁は刻々とくすむので、行くなら早く行くべき、といった話を大阪の取引先のカメラ好きの社長に話すと、「Zhenさん、そんなことないよ、10年経ったって白鷺がカラスになる訳ないじゃないよ」(原文はコテコテの大阪弁)。ところが、1ヶ月後に件の社長に会うと、「姫路に行くついでに姫路城に行ったところ、いやいや、くすんでますよ。Zhenさん、用事作って今週中にでも行った方がいいよ」と手のひらを返したようなアドバイス。日々くすんでいるか、否かを僕には、わからないが、姫路城の白壁は、スーパーホワイトだと思う。(コロナ禍の現段階での見学を推奨するものではありません。悪しからず。)

 

蛇足ながら姫路には、取引先が2社あって、今日訪問した1社とは取引終了の打合せ。何かと問題があって、何度も訪問したのだが、姫路とは、今後は疎遠になってしまうかもしれない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/大津と京都

2021-04-12 20:32:55 | 旅行

2019年の記録

 

まるで日本の城のような教会

 

滋賀県日帰り出張が16時頃に終わったので、帰りにちょっと寄り道して2時間ほど散策を楽しんだ。

 

新幹線で京都着、ちょっと早めのランチ。京都らしく上品なステーキ、1,000円ほどのステーキで満足する安あがりな男だな、僕は。

 

カトリック大津教会は、商店街を抜けて、坂を登ったところにある真っ青な屋根の昭和14年竣工の木造二階建ての教会である。教会らしからぬ外観は、バーン司教の「信仰の土着化のためには、教会建築は、絶対に日本風であるべき」という信念によるものだと言われている。

 

「開け放たれた扉」は、子供の頃に教わった「いつでも、誰でも受け入れる」教会の包容力の象徴である。しかし、防犯やコロナ禍のため、固く閉じられた教会の扉を目にすることが増えた、とても悲しいことだ。

 

烏丸通と三条通が交わる交差点に建つ「みずほ銀行京都中央支店ビル(旧第一銀行京都支店)」は、1906年竣工の辰野式建築を2003年に復元されたレプリカである。僕は、歴史的な価値の有無と関係なく、感覚的に美しいと思ったものにシャッターをきるが、やはりレプリカは“軽い”。しかし、風雨にさらされ、時を経ることで“重み”が熟成されるのかもしれない。

 

みずほ銀行京都中央支店から三条通を100米ほど歩くと、中京郵便局がある。明治35年竣工のネオルネッサンス様式の旧庁舎の外壁の一部と屋根を保存して、昭和53年に改築された現役の郵便局である。

 

旧日本銀行京都支店は、京都文化博物館別館として使用されている。旧第一銀行京都支店同様辰野金吾その弟子長野宇平治設計による赤レンガ造の辰野式建築である。銀行として使われていないので、“剥製”と言えば、“剥製”であるが、僕の好きな赤レンガ造の近代建築である。

 

2018年に神戸、大阪、京都と教会巡りをした時に行けなかった近代建築を出張帰りに敢行した足早な散策だった。

 

 

旅は続く