Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第11回

2022-09-27 23:32:15 | 旅行

2022年の記録

9月最後の3連休最終日、青空の下、近所を散策した時の記録

 

 

彼岸花は、墓地で見ることが多く、子供の頃の僕には、毒々しい赤が、埋葬された人の血を吸って育った証のように思えて、気味悪く思っていた。

 

 

神社仏閣には、興味のない僕だが、被写体を求めて、鹿沼市の観光案内に掲載されていた常楽寺を訪問した。旧粟野町市街地から粕尾峠へ続く県道の脇にある。

 

 

台風が去り、青空が覗き、粟野地区では、ソバの白い花が咲く。ソバは、冷涼でやせた土地でも、そして比較的手間が掛からないため高齢化した農村で栽培されることも多い、と言っても、栃木産の多くは、自家消費で、自ら蕎麦を打ち食される。

蛇足ながら、知人の蕎麦打ち曰く、「下手な国産よりは、高級な中国産の方が、味は良い。」 

 

 

大人になってから彼岸花を見る僕の目は、少し変わった。晩夏に咲くうら寂しい花であると共にその赤に妖艶を感じる。

 

 

【メモ】

9月21日、ロシアのウクライナ侵攻に大きな動きがあった。ロシア国内の動員令発令、ロシア支配地域の4州の住民投票実施、そして「核行使は脅しではない」のプーチン発言である。もしかすると、この日は、ロシア連邦終わりの始まりかもしれない。

 

ロシア国民にとって、ロシアのウクライナ侵攻は、ある意味で、自らの生命に関係のない他人事だったのかもしれない。政府は、情報が少ない極東地域からの動員の比重を高くする巧妙な施策をとっているが、予備役対象といって、実際には、予備役以外の国民を招集している。このことで、すべての国民が自分事として考え、プーチン大統領の支持率は、急降下するかもしれない。

 

支配地域の住民投票は、誰にでも解る詭弁だ。武力で支配された人々が、本心の投票などできる訳ないのだ。満票でロシア連邦の一員になった先には、ウクライナ侵攻の人間の盾として動員される悲劇が待っているだろう。ウクライナからロシアの人道回廊を非難した人の多くは、極東の僻地に送られた。旧日本軍捕虜が、極東開発に酷使されたのと同じ構図だ。

 

そして、プーチン大統領は、「核は脅しじゃない」と発した以上、実際に使わなければ、脅しにすぎなかったことになる。自身の言葉の呪縛から核を使うことになるかもしれない。今、世界の国家は、3つに大別される。反ロ姿勢を表明する西側諸国と親ロのベラルーシ、そして、態度を明確にできない中国、インド、アフリカ諸国ほかである。キーは中国である。中国が核を使ったロシアを擁護する姿勢を示せば、中国は、完全に米欧の敵になる。一方、中国の水面下の経済支援(貿易)がなくなれば、ロシアは、経済的にも干され、終わりを迎えるだろう。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第10回

2022-09-24 13:54:55 | 旅行

2022年の記録

9月最初の3連休初日、奥日光までドライブした時の記録

 

 

天候が崩れる直前、ほんとうに清々しく美しい空だった

 

 

日光までは、1時間ちょっと。散策先を欲張らなければ、前日の夜、天候を確認して、翌朝早めに出発すれば、渋滞に巻き込まれることなく散策して、昼すぎに帰宅できる。

 

 

日光市街地からいろは坂を登ったところにあるのが中禅寺湖。北側にある男体山の噴火でできた堰止湖である。人造湖を除く広さ4km2以上の湖としては、日本一標高の高い所にある湖で、栃木県最大の湖である。1周約25km。箱根の芦ノ湖、日光の中禅寺湖だと、僕は思っている。

 

 

英国大使館別荘は、英国の外交官アーネスト・サトウ*が、明治29年(1896年)に好きな登山や植物採取などを楽しむための山荘として建設している。その後、英国大使館別荘となり、平成20年(2008年)まで利用されていた。現在は、展示室とサトウが愛した中禅寺湖畔の“絵に描いたような風景”を眺めながられるCaféがある。

*「サトウ」はスラヴ系の希少姓で、スウェーデン領生まれドイツ系人の父の姓である。日本の「佐藤」姓との関係はないが、親日家のサトウは漢字を当てて「薩道」または「佐藤」と日本式に姓を名乗った。

 

 

イタリア大使館別荘は、1928年(昭和3年)、アメリカ人アントニン・レーモンドの設計で建設された。1997年(平成9年)まで歴代イタリア大使が使用、その後、修築、復元し2001年(平成13年)に国の登録有形文化財に登録された。木造2階建、瓦葺。

 

 

イタリア大使館別荘本邸から少し離れたところに副邸が建つ。本邸のような華やかさはないが、本邸と同じ木質を活かした外壁を施されている。現在は、国際避暑地歴史館として使用されている。

 

 

立木観音交差点まで戻り、左折して国道120号線を進み、奥日光・湯ノ湖畔まで行き、奥日光の足湯へ。木陰で早めの軽い昼食、その後、折り返して光徳牧場でデザートにアイスクリームを頂く。欲張りをせず、これくらいの時分で帰路につけば渋滞にハマることもない。

国道120号線沿いにあるふだらく本舗に寄って、お薦めの“ゆばむすび”(2個450円)を買う。

 

 

東武日光駅前の日光さかえや 揚げゆばまんじゅう本舗に寄る。小豆餡が嫌いな僕でも塩味が効いて美味しいと思う。揚げたてアツアツがお薦めだ。ただし、物価高騰のため200円→220円→240円と着々と値上げを進めている。値上しても、選ばれる味の強みだが、円高に反転、物価が沈静化した時には、値下げするのだろうか?

東武日光駅からクルマで1分、JR日光駅は、1912年(大正元年)現在の2代目駅舎が落成。ネオ・ルネサンス様式のハーフティンバー様式木造洋風建築2階建て、鉄道院技手・明石虎雄が設計。(長らく設計者は不明であったが、2012年に地元の郷土史家の研究で、ほぼ間違いないと判明した。)

 

 

【メモ】

2022年9月23日に西九州新幹線が開業した。報道過多のような気がしている。小難しい話をすれば、鉄道はネットワークに接続して、本来の効果が生まれる。つまり、今般開業した西九州新幹線は、東京~新大阪~博多~鹿児島中央と繋がる新幹線網に接続していないのだ。接続区間の新鳥栖・武雄温泉間の開通は未定である。チグハグ感を否めない。フリーゲージ開発の技術的頓挫をカネで解決 (カネの掛かる全線標準軌化) できないところに日本経済衰退を感じる。仮に接続問題が解消しても、新幹線開通と地方活性化には光と影がある。

 

観光客が大挙して押し寄せ街が活性化する、というのは、“光”の側面である。観光業は、観光資源があることが大前提であるし、インバウンド観光客が減少し、国内観光客を頼りにすれば、季節、平日休日との繁閑差に苦しむことになる。また、都市に近すぎれば、カネを落とさない日帰り観光客が増えるといった、脆弱性を孕んでいる。

 

一方の“影”は、大都市とのパイプが太くなると引力の大きい都市へと人材は吸い寄せられ、ややもすると過疎が進行する。企業の営業所は閉鎖され、商談は出張で済むようになると、雇用は縮小する。若者は都会の学校に進学し、そのまま都会に就職してしまう。

 

西九州新幹線の沿線は、観光資源にも恵まれている。しかし、全線が開通しても、東京や大阪から観光客が新幹線に乗って来るとは考えられない。逆に福岡の観光客は、日帰り観光に切り替えるかもしれない。

 

すべてが、僕の杞憂に終わることを祈る。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第23回

2022-09-21 22:01:20 | 旅行

2022年の記録

中秋節の9月10日に王子、赤羽を散策した時の記録。

(スマホで撮影した写真を白黒ネガ調に加工してみた。)

 

 

通勤途中の王子、車窓から気になっていた情景をパチリ。

 

 

現在、王子、赤羽は、東京都北区だが、かつては埼玉県(旧浦和県)だったことは、あまり知られていない。

 

 

現在の北区王子は、1871年(明治4年)に王子村が浦和県(現:埼玉県)から東京府に編入されている。

 

 

1911年には王子電気軌道の路面電車(現在の都電荒川線)が王子駅をターミナルとして営業を開始以来、現在もJRから路面電車への乗換駅の1つとなっている。

 

 

王子駅の路面電車と反対側の高台は飛鳥山公園となって、蒸気機関車や路面電車が静態保存されている。

 

 

赤羽も王子と同様1871年(明治4年)に、浦和県(現埼玉県)赤羽根村(のちに赤羽村)から東京府北豊島郡に編入されている。

 

 

今までにも何度も紹介しているカトリック赤羽教会は、駅から徒歩2、3分のところに白亜の教会堂を構えている。

 

 

“せんべろの聖地・赤羽”を代表するOK横丁と一番街。コロナが下火になった今、休日の昼過ぎには、賑わいが始まり、顔を赤くした老若男女が闊歩している。

 

 

中秋節の月と和楽備神社

 

 

【メモ】

過去最強と言われた台風も、(被災された方には恐縮だが)大災害を発生させることなく、日本列島を走り去った。コロナ第七波もピークを越え沈静化に向かっている。一方、ウクライナへの軍事侵攻は続き、円安も物価高騰も底なしの様相。世界も僕も1年後にどうなっているのか想像すらできない。

まぁ、今晩のおかずに迷うことはあっても、困ることはない。とても幸せなことだと感謝の気持ちを忘れてはいけない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第22回

2022-09-18 16:18:52 | 旅行

2022年の記録

9月に入り、遠方に出かける計画もなく、職場近くを散策した時の記録

 

 

日比谷公会堂と背中合わせになっている市政会館は、昭和を代表する官庁建築である。

 

 

東京駅から徒歩圏内と言って良いのかむずかしいところ。最も遠いい国会議事堂までは、約2.5キロ、約30分。いつもならば、域内の近代建築を隈なく散策するが、当日は、やや覇気に欠け、旧日比谷公園事務所をスルーしている。

 

 

赤レンガと御影石の外観を持つ法務省旧本館は、旧司法省庁舎として1895年(明治28年)にお雇い外国人のドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマン設計(実施設計と工事監理は河合浩蔵)により竣工している。

1945年(昭和20年)の空襲により内装の大部分と屋根を焼失し、改修後は、法務省本館として利用された。

1994年の改修工事では、文化財としての観点から創建時の外観に戻され、重要文化財に内装を除いて指定されている。

※平日は見学可能であるが、土曜日に訪問したため厳重な警戒で敷地内に入場することもできなかった。近々に仕事を早めに切りあげて訪問の予定。

 

 

法曹会館は、昭和12年(1937)竣工。全面に薄いグレーのタイル貼りでるため、古さを感じさせない。また、両側に尖塔屋根のある塔屋もあるが、真上にあるため良く見えないのが残念。現在も結婚式場ほかとして利用されている。

 

 

 

東京都千代田区・日比谷公園の一角に位置する市政会館と日比谷公会堂は、両者が一体として存在する異色の建築物で、1929年(昭和4年) 鉄骨鉄筋コンクリート造竣工。

時計塔が印象的な会館部分は全体の建設者でもある財団法人東京市政調査会が管理、一方、公会堂部分は、1929年(昭和4年)の落成直後より東京市(当時。現在は東京都)の管理に委ねられて現在に至っている。

 

 

日比谷公会堂は、2014年(平成26年)に施設の老朽化及び耐震化を理由とした大規模改修工事計画が立案されたものの創建時に近づける(重要文化財指定目的)と興行場法の定めるトイレ数を確保できなくなる問題が判明、現在は、施設使用休止のまま放置されている。

個人的には、創建時を忠実に再現し、重要文化財に指定されなくとも早期に回収し、公会堂として使用して欲しいと思う。まぁ、複雑な大人の事情(補助金等の経済問題ほか)が、あるのだろう。

 

 

市政会館は、塔時計と茶褐色のタイル張りの外壁を持ち、現役のオフィスビルとして使用されつつ、現行法規に適合すべく修理・修繕を施されている。日比谷公会堂と明暗を分けた結果となっている。

 

 

国会議事堂は、1936年(昭和11年)に鉄骨鉄筋コンクリート造り地上3階(中央部分4階)、地下1階として竣工されている。

外装は3種類の花崗岩を使った石積みで、内装には33種類の大理石、2種類の蛇紋岩をはじめ、沖縄県宮古島産珊瑚石灰岩(貝を含む巨石、トラバーチン)、橄欖岩、黒髪石、尾立石、日華石などが使用されている。特に外装に多く使われたのが、広島県倉橋島の桜御影と呼ばれる桜色をした御影石で、議事堂に使用されたことから「議院石」という呼び名もつけられている。

建築材料や設備の素材のうち、郵便ポスト、ドアノブの鍵(マスターキー)、ステンドグラスを除き、すべて純国産品が使用された。

 

 

【メモ】

以前から不満に思っていたことだが、集合住宅のポストには、おびただしい量のチラシが、投げ込まれる。不動産販売、フードデリバリー・・・・・・・挙句の果てには、廃品回収まで。いずれのチラシも僕には無用のチラシである。大切な郵便物が埋もれて探すのに難儀する。そもそも、ゴミ箱に直行する訳で、1枚1枚は微々たる量でも、森林資源を破壊し、焼却処分すれば二酸化炭素を排出する。まったく困ったものだ。

 

コロナ感染が拡大し、マスクが必需品になった当初、洗ってリユース可能なウレタンマスクを愛用していたが、感染抑止効果が低いことが判明してからは、使い捨ての不織布マスクを使っている。日本在住者の大半の人が、不織布マスクを毎日使い捨てしている。すべてが焼却されているので、それによって多量の二酸化炭素が排出されている。だからといって、布マスクやウレタンマスクに戻ることはないだろうし、使用済の不織布マスクをマテリアルリサイクルするのもむずかしい。

コロナ感染が拡大し、使い捨てられるものが増えた。会議室、応接室、フリーアドレスのオフィスでは、アルコール消毒のために多量の紙ナフキンを消費している。ホテルのバイキング会場では、やはり多量のビニール手袋が廃棄される。

 

ウクライナでは、ミサイルが飛び交い、施設が破壊、焼損し、想像できないほど無意味な二酸化炭素が排出される。北朝鮮は、問題外として、東アジアでも、威嚇だか、演習だか知らないが、何の建設的な意味のないミサイルが発射され、エネルギーが消費され、二酸化炭素が排出されている。「クレタさん、かつての元気で、ロシアと中国のプーさんに噛みついてくれ!」

 

僕は環境意識の高い方の人間だと勝手に思っているが、どうも欧州発の環境保護活動には、手放しで賛同できない。二酸化炭素をバカバカ輩出し、インフラを整え、すでに豊かになった国の人間に、「二酸化炭素の排出はダメ、地球温暖化、気候変動して、一番の被害は、みなさんたちよ」と新興国の依然として貧しい人が言われても、素直には頷けないと思う。酷く穿った見方をすれば、米国や新興国に対する欧州の反撃ツールに思えてしまうのは、僕だけか。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第9回

2022-09-11 13:37:56 | 旅行

2022年の記録

夏の象徴・ひまわりを8月最後の休日に撮影した時の記録

 

 

ひまわり畑の写真は、青空の下で撮影したいと思っている。盆休み中は、天候に恵まれず、断念した経緯がある。(益子町のひまわり畑を計画していた)

 

上三川町(かみのかわまち)は、栃木県南部に位置し、河内郡に残る唯一の「町」である。町の西端をJR東北新幹線・宇都宮線(東北本線)が縦断しているが、旅客駅はなく、貨物駅の「宇都宮貨物ターミナル駅」があるのみ。高級乗用車を製造する日産自動車栃木工場が町の中央に位置している。

 

 

ひまわり畑の撮影は、2020年福島県・布引高原2021年栃木県小山市を訪問している。冒頭に記述した益子町もコロナ前に訪問している。一昨年、昨年は、コロナ禍によるイベント中止はもちろん種蒔きから中止のケースも散見した。今年も、イベントは中止となっているが、種蒔きは実施され、イベントなし公開のみのケースが多い。(日本のひまわり畑は、休耕田を利用して、観光目的に栽培されているケースが大半である。)

 

 

前段で記述したように日本のひまわり畑は、観賞用、そのための種採取用である。一部、地元の土産食品生産用もあるが、ウクライナのような商業生産はない。

そのウクライナでは、国花でもあり、生産量は2位ロシアを抑え1位だったが、今後はウクライナ侵攻次第で、順位の逆転もある。ウクライナ産のひまわりは、主に食用油に加工されるので、世界の食用油市況にも影響する。早期の侵攻終結を祈る。

 

蛇足ながら日本では、ひまわりの種は、リスの餌で、人は食べないが、中国では、口が寂しい時に食べるポピュラーな乾きものである。

 

 

【メモ】

英国・エリザベス女王が、日本時間9月8日に96年の生涯を閉じた。「謙虚」と「毅然」、そしてチャーミングな振る舞いが、世界から愛された理由だろう。もちろん、女王も人間、息子のスキャンダルは、女王の負の内面を映したものだと思うが、そのような内面を自らの表に出さないことも「女王としての人生」を生きるということなのだろう。9月19日、国葬が執り行われる。

 

一方、日本の安倍前首相の国葬。国葬そのものの意義や効果について言及しない。自民党は、旧統一教会との関係を断つと言っていることと、その旧統一教会と深い関係のあった安倍前首相の葬儀を国葬とすることにチグハグを感じる。そもそも、国会議員が宗教と関係を持ってはならないということはないのであるが。

 

脱線するが、国葬された吉田茂元首相は、カソリック教徒である。旧統一教会と関係のあった議員リストに名を連ねる麻生自民党副総裁(元首相)もカソリック教徒である。つまるところ、票に目がない“政治屋”にとって、旧統一教会は、宗教団体ではなく、便利な集票団体との認識だったってことだ。集票団体の旧統一教会を宗教法人としていることも矛盾だ。宗教法人が、宗教以外の活動をしてはならない法律はないが、旧統一教会は、経済的カルトだ。旧オウム真理教と同様の宗教法人登記抹消を検討すべきだろう。

 

まぁ、安倍元首相の国葬費用の説明の仕方も胡散臭い、最初は、2.5億円と警備費、外国要人接遇費(事後報告)と説明した。一般国民は、警備費等の相場など知らないので、総費用は、2.5億円プラスαだと勝手に思ってしまう。「見積できない訳ないだろう」といった世論に押されて公開すると16.6億円。勝手に想像していたものの騙された感は強い。先輩でもある岸田首相を応援したい気持ちだが、この胡散臭さは、かなりヤバイと思う。

 

 

旅は続く