2015年の記録
東トルキスタン最後の訪問からまる3年、正直、行きたくて、行きたくてしょうがないのだが、まだ、ちょっと行けそうにないので、8年前の写真で想いを馳せることにした、第4回。
皮を剥いだ羊がぶらさげられ、お客の希望する部位を切り取り量り売り。グロテスクに見えるが新鮮。そして、店主も客も陽気だ。
新彊ウイグル自治区は、中国の西方にある。その中でもカシュガルは、西端に位置する。非公式の新彊時間(北京時間-2時間)は、区都ウルムチを基準にしているので、さらに西方のカシュガルは、感覚的には、北京時間-3時間ほど。(北京時間は、日本時間-1時間)
カシュガルからクチャまでは、700キロ以上の距離、東京から岡山までに匹敵する距離、しかも、日本のような新幹線ではない。
人民路の北側、エイティーガル寺院の周囲と職人街周辺、それに国際バザール周辺が、カシュガル旧市街になる。
国際バザール前から見た老城。はるか彼方に摩天輪が見える。
開場前でも、バザール前は、露店がならび、人、人、人。
バザールの開場まで時間があるので、人混みを避けて道路の反対側を散策。レンガと土の住居があり、ナン屋、果物屋、万屋もある。日本人と分かると、果物屋のオヤジがミカンを勧めてくれる。ありがたく頂いたが、ともかく、親日的。
肉屋の兄ちゃん、ボクサーのような面構え、殴り合いをしたら負けるだろうなぁ。(笑)
バザール内のレストラン、肉屋ではなく、あくまでもレストランの調理場が、店頭にある。そして、出来立てのポロ(羊肉とニンジンの炊き込みご飯、黄色いのがニンジン)。蛇足ながら、僕の好物、東トルキスタン滞在中の昼食の常食。日本にいても、骨付きの羊肉を使って、自炊するも、現地の味には、遠く及ばず。
バザール内のウイグル土産物屋。
19時といっても、ほぼ昼下がりに寝台列車に乗り、クチャへ。硬臥(2等寝台)3段の下段なので、いたって快適。軟臥(1等寝台)は、個室2段といっても、知らない人との相部屋なので、ある意味オープンの硬臥の方が気を遣わず良い。
市街地を出ると緑のオアシス、土漠と赤い岩山が続く、日本では、見ることのできない風景が続く。
中国の寝台は、乗車のあとに車掌にチケットを預け、下車駅近くに返却される。なぜ、そうなっているのか不明だが、とても便利だ。何しろ、下車駅に近くになれば、車掌が叩き起こしてくれるのだ。
蛇足ながら、新彊ウイグル自治区内の寝台バスでは、パスポートか、中国人民証を預けなくてはならず、これは気持ちが良いものではない。(途中の検問通過で必要なためだと思う。)
【メモ】
新型コロナ「5類」移行の方針を、政府が決定した。大雑把に書くと、ワクチンや治療療養費が、自己負担へと移行するってことだ。政府の本音は、財政的に耐えられなくなったってことだと思う。“コロナ禍”を何らかの形で終結させないと、支出は増え続け、税収は減り続ける。
自分自身が、コロナに感染し、何もかもが自己負担となるのは嫌だが、だからといって、何でもかんでも公費負担にしておけば、国の借金が増える。国の借金といっても、それは、国民の借金だ。自分の子や孫にその借金を背負わせることを考えれば、自分の代で清算したい。どうも国民は、“国の”となると、まるで他人事だ。
旅は続く