Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの青い空/ クチャ 第3回

2023-07-29 23:13:08 | 旅行

2016年の記録

カシュガルのシクジリから1年、やっぱり東トルキスタンへの想いを断ち切れず、お世話になったクチャを散策した時の記録。

 

 

ともかくウイグルの人たちは、フレンドリーなんだ。大人も子供も喜んでモデルになってくれる。

 

 

新彊ウイグル自治区は、中国といっても、日本人に馴染みのある沿海部の遥か西方にある。文化的にもイスラム圏、中東と言っても過言ではない。(その部分がウイグル問題の根底にある。)

自治区と言っても広大かつ、沙漠も多いため、自治区内の主要都市と区都・ウルムチは、空路で結ばれている。(良い、悪いは別に中国国家資本が投下されてのことで、仮にも中国でなかったとしたら、ない話で、高速道路さえないだろう。)

 

 

聖なる天山山脈から連なる山々の頂きは、夏でも雪に覆われている。「天山の天然かき氷」といったブランドを作れば、中国内で爆発的にヒットするんじゃないかと考えるのは下賤か?

 

 

クチャは、観光地があるため外賓(外国人宿泊可能なホテル)があるが、県級都市(日本の郡部に近いイメージ)の小さな町である。

 

 

誰に声を掛けても満面の笑みで応じてくれる。

 

 

クチャは、ナンの本場なので、どこに行っても立派なナンがならべられている。

 

 

おしゃべりをしながら仕事をしているおじさんたちが、店先にいて、異邦人である僕にも穏やかなまなざしを向けてくれる。

 

 

ゴミの散乱していない市街地路地裏の住宅地。ウイグルの人たちは、綺麗好きで、漢族の街とは、ちょっと雰囲気が違う、と言っても、まったくゴミが落ちていない訳じゃないけどね。

 

 

街はずれにある林基社区に向かう路線バスの車中、幼い女の子が、お道化たり、澄ましたりとモデルになってくれた。最初は、おばあちゃんが気になって見ていた。

 

 

前回の訪問時にモデルになってもらった林基路社区のナン屋を訪ねると、とても驚きながらも家の中に招き入れてくれ、おかあさんが、即興で打ったラグメンで、になった。写真を撮らせてもらい、プリントした写真を持って再訪する。まさに僕の旅のスタイル。

 

 

男の子ふたり、これ以上ない満面の笑み。

 

 

新彊ウイグル自治区60周年、それは、何を意味するのだろうか?

「新彊」とは、清国による征服によって、「新しい土地」を意味する清国側からの呼称だ。アメリカを「新世界」と呼んだのと同じで、その土地に住んでいたウイグル族にとっては、新しくも、何でもない失礼な呼称なのだ。蛇足ながら、「東トルキスタン」の呼称も中国内では、分離・独立に通じるNGワードになっている。

 

 

 

顎髭のおじいちゃんを撮影していると、通りかかった孫を連れたおばあちゃんも合流して3人をカシャ、幸せな時間が流れる。

箒で道路を掃除していたおじいちゃんは、奥さんを呼んで、撮影に応じてくれる。

 

こちらも前回の訪問時に撮影に応じてもらった小売部(万屋)のオヤジに写真を渡しに行き、再び奥さんに息子を加えて撮影させてもらった。三人とも、目が線になっているのが、微笑ましい。

 

 

集落のモスク、その周りを自転車で走る子供、平和な日常の光景だ。

 

 

【JUST NOW】

日本では、「これでもか」ってほど、ビックモーター事件が報じられている。経営陣の記者会見は、炎上を鎮火させるのではなく、“油を注ぐ” そのもの。社長(会見で辞任を発表)は、「悪いのは現場、従業員。社長を辞任しても、私は株主なので、今後に期待しますよ」的な他責の高みの見物。新社長は、新社長で、謝罪会見で、社長の功績を称える社長忖度なKY男。呆れてモノが言えないとは、このことか。急遽雇われたPR会社の進言など、聞く耳持たずだったのだろう。

 

そもそも中古車販売、自動車修理は、利益率の高い業態で、売上があれば、確実に儲かるのである。また、自動車保険代理店も薄利とは言いながらも、基本的にリスクゼロの商売なので、自動車販売と兼業であれば、良い商売だ。以前、保険会社に勤めていた知人曰く、商品の差別化がむずかしいので、代理店に媚びを売るどころか、少々の違法請求にも目をつぶっている。(無保険の物損事故でも代理店に捩じ込まれれば、保険契約後の事故にしてしまう。)

 

何はともあれ、儲かる商売とは言え、耳を疑う悪行を重ねていても、業績拡大を継続できたというのは、TVなど一方行の情報で集まる顧客が、一定数いたのだろう。双方向のネット世代に話を聞くと、2年ほど前からビックモーターの悪行は、ネットにアップされていたと言う。

 

世論は、「悪人は社長以下経営者」といった見方をしているが、従業員も従業員だ。中古自動車販売、修理業の平均給与が1千万円超は、どう考えたって尋常でないことは明白だ。従業員自身、同業に転職すれば、同じ水準の給与が得られないことなど百も承知だろう。高額給与を維持するための(違法行為加担を含めた)働き方を選ぶか、まっとうに働いて得られる給与を選ぶかを意識無意識に選択していたのである。

 

ビックモーターの明日は、極めて厳しいものになるだろう。コンサルの知人の話では、売上は9割減でも従業員への給料は払い続けなくてはならず、早々に資金ショートする。融資に応じる金融機関はないだろうし、M&Aもないだろう。不正に不感症になっている従業員を受け入れる企業などない。在庫の中古車をオークションで大安売りして、資金を確保せざるを得ないが、在庫が枯渇すればそれまで。

 

昭和的な上意下達のオーナー企業と数字偏重の成果主義が結合すると、ビックモーターのようなモンスターが生まれるのかもしれない。日本企業のほとんどが、オーナー系非上場であることを考えると、第二第三のビックモーターが生まれるかもしれない。

 

 

旅は続く


人民中国の残像/嘉善西塘鎮 第2回

2023-07-23 22:40:33 | 旅行

2001年の記録

嘉善西塘鎮の風景区をひと通り散策したあと、一般居住区を散策。たくさんの笑顔に出会った時の記録。

 

 

まだ、スマホのない時代、カメラそのものが珍しかったのかもしれない。出会った子供たちには、撮影をお願いするのではなく、ねだられた時代が懐かしい。

 

 

西塘鎮は、上海市に隣接する浙江省嘉善にある。鉄道でも、クルマでも上海市内から約1時間。

 

 

橋を渡ると、庶民の日常がある。

 

 

道端で果物を売る露天商の兄ちゃん、清々しい。

 

 

上海市内にいるガキンチョとは違う、素朴さを感じる子供たちだった。

 

 

水路に平行に商店が建ち、雁木(がんぎ)のような軒下の通路が続く。

 

 

西塘鎮の居住区には、スマイルに溢れていた。

 

 

電動アシストの付いた輪タクだろうか? 嘉善は、今でも輪タクが走っていると思う。少なくとも2018年頃までは、走っていた。

 

 

中国の鉄道駅の待合室、全国どこに行っても、同じスタイル。発車20~30分前になると行列ができ改札が始まり、10分前にガチャンと閉じられる。

 

 

途中駅の在来線は、十中八、九の比率で、停車位置がズレる。乗車のための行列が御破算になる。慣れると、「やっぱし」となり、ストレスにならなくなる。

 

 

中国の在来線、特に貨物列車は、超長編成は驚異的。この超長編成で、低速で走るので、踏切は開かずの踏切になる。

中国の在来線は、貨物輸送がメイン、日本のように旅客に押しのけられるのとは逆。

 

 

【JUST NOW】

アフターコロナの消費爆発、ウクライナ戦争、円安・・・と、物価高騰が止まらない。極端に食費を削らざるを得ない人の話がマスコミで報じられる。マスコミに切り取られた“絵になる”外側には、それぞれの事情があるとは思いつつも、彼彼女らの消費行動に強い違和感を覚える。それを批判的に書けば、「何様?」とか、「“高給取り”は、いいねぇ」といった反発を招くかもしれないのも覚悟している。

 

「スーパーの閉店間際の総菜を値引するのを待って買い物をするので、夕食が遅くなり、小学生の子供も夜型生活になってしまう。」といった話が報道されていた。閉店まで待つ時間があるならば、「自炊しろよ」と思ってしまう。1人暮らしならば、自炊が割高になることもあるし、昼間の仕事でクタクタなのかもしれないが、スーパーの半値総菜と比較しても、自炊の方が、倹約になるのは自明だ。買ってきた総菜の方が、見栄えもするし、美味しいかもしれないが、手造りには、何ものにも代えがたい価値があると思うし、食費倹約のために生活のリズムを夜型にするなど愚の骨頂じゃないか。

 

倹約のために、ちゃんと自炊している家庭もある。でも、報道を見ていると、「???」といったことがある。シチューの具を安く抑えるためにウィンナーソーセージを使う、増量するためにカット野菜を入れる。ウィンナーソーセージより鶏肉(ブランド鶏でないむね肉)の方が安いし、カット野菜よりは、野菜を買って自分で切り、洗った方が安い。繰り返すが、仕事でクタクタなのかもしれないが、“めんどくさい”感覚が、ドーンと、鎮座しているのではないだろうか。

 

正直なところ、僕は、“めんどくさい”という言葉が大嫌いだ。以前、指示した作業をなかなかやらない部下が、「その仕事は、めんどうくさくって」と言い訳した時、「“めんどくさい”ことやるから給料貰えるんだよ。“めんどくさい”ことが、やりたくなければ、会社辞めろ。そもそも、人生は“めんどくさい”ことばかりだぞ!(さすがに『死んじまえ!』とは言わなかったが)」と怒鳴りつけた。パワハラでアウトになるかもしれないけどね。(笑) この類の叱責をすると、一緒に昼飯を喰っているときに「この仕事、俺に向いてない。××(別の部署)に異動させてもらえないですかねぇ」と、泣き言を僕にこぼし、「××の仕事を舐めるんじゃねぇよ」と、またまた僕は叱責した。別の部下曰く、ほとんど“漫才”。(笑)

 

カネを稼ぐ能力が高い人と、そうでない人はいる。そんなに能力が高くなくても、人なみに稼いでいる人は、間違いなく“めんどくさい”を厭わずやっているのではないだろうか。

 

旅は続く


人民中国の残像/上海朱家角鎮

2023-07-16 23:13:40 | 旅行

2003年の記録

夏を迎え、SARSが沈静化したため、約1年ぶりの上海。休日に郊外の朱家角鎮を散策した時の記録。

 

 

朱家角鎮は、すでに観光地になっていたが、路地に入れば、庶民の生活が、息づいていた。

 

 

今は地下鉄が走る朱家角鎮であるが、20年前は、人民広場からバスで1時間以上も離れた上海市の外れの田舎だった。

 

人民広場のバス停を見つけるのに炎天下を30分以上歩き回った。商店や通行人に聞くと、「あっち行って、××を右だよ。」と教えてくれるが、あたっているのは、“あっち”まで。××が違っていたり、右でなくて左だったりと。要するに“あっち”まで行って、“あっち”で、訊ねることを繰り返す。それでも、たどり着けたのは奇跡だと上海人の友人に言われた。「俺には、できない。カネが掛かってもタクシーに乗る」と。

 

往路は、冷房付きのバスだったと思うが、復路のバスは、冷房なしで、窓はもちろん扉も全開。グラサンの若い運ちゃんは、好みの音楽をガンガン流し、一般車を追い抜く爆走だった。思い返すと、冷や汗ものなのだが、爆走も愉快に思えたのは、僕も若かったからか。

 

 

バスの終着・朱家角鎮は、一応、観光地の体をなしていたが、南国の田舎町の風情だった。

 

 

水路には、夫婦の手漕ぎの小舟が浮かぶ。水郷古鎮らしい光景。

 

 

通りに面して商店や食堂の表口があり、裏が水路になっているのは、水郷共通。

 

 

商店街から庶民の居住エリアに移ると、昭和30年代にタイムスリップしたような気持になり、猥雑だけど、どこか懐かしい。(現実的には、僕は覚えていないどころか、生まれてもいない)

 

 

基本的には、庶民の居宅も裏には水路があり、水路で洗濯や食器も洗う。衛生観念が低いと言えば、それまでなのだけど。

 

 

水路に浮かぶ屋根のある大きめの船は、水上生活者の居宅になっているのかもしれない。日本でも、かつては、水上生活者がいたと聞く。

 

 

ドヤ街にも庶民の住宅地にも露店も含めて理髪店をよく見つける。理髪店は、最も少額の投資で商売を始められるので、貧しい家庭の子女が商売を始めるきっかけになるのかもしれない。ただし、それは、あくまでも通過点。繁盛して、小ガネが貯まれば、さらに大きなビジネスに鞍替えする。もちろん、誰もが成功する訳ではないので、生涯しがない髪結いで終わる人もいれば、僕の友人のように紆余曲折あって、最後に髪結いに戻る人もいる。

 

 

日本では、あまり見なくなったが、牛乳の配達箱だろうか?

 

 

中国の旧市街や古鎮に行くと、日がな一日自宅の前に座り、声を掛けても、静かにほほ笑むだけのおじいちゃんおばあちゃんがいる。

 

 

運河沿いには、崩れ落ちそうな古い建物が並ぶ。それでも、よく見るとエアコンが設置されている家もある。まぁ、自転車を見ると、中国らしさを感じるけどね。

 

 

石橋を渡り、再び繁華街に戻る。観光地らしく、アベックが歩き、レストランの提灯が飾られ、土産物屋の旗がはためく。

 

 

果物を天秤で担ぎ売り歩く行商人、店頭には、果物が豊富にならぶ。桃は季節だが、紅富士(ふじ品種のリンゴ)は、季節ハズレだけど、1.5kgで約70円(当時のレート)。 「斤」は、500gを意味する重量単位で、中国では、食料品の量り売り単位として一般的に使われる。

 

 

【メモ】

連日の炎天下の作業も終わりが見えてきた日曜日に上海郊外にある水郷古鎮の朱家角鎮に行った。今ならエアコンの効いた自室で終日ボーとしているんじゃないだろうか? でも、20年前の僕は若かった。まだ、8時前だと言うのにすでに気温は40℃を超え、太陽は挑戦的な熱線を浴びせてきた。まるで“北風と太陽”の“北風”の如く。“暑い”のではなく、“熱い”と表現すべきだったと思う。

 

“気温40℃”は、中国では、特別な意味がある。 “気温40℃”になると、現場は休業にするか、特別手当を支払わなくてはならなくなる。よって、政府発表は、39.8℃となること多々。

 

以降、極めて個人的なメモである。実は、この時、すでに僕は人事部門に異動していた。前職の残務処理で上海に来た訳なのだ。しばらくは、中国に来ることはないと思う反面、「必ず帰って来るぞ!」と秘かに誓っていた。(結果的には、2年後に来ている。) 

 

人事と書いて、“ひとごと” と読むような“人斬り”(正社員リストラ)と“人買い”(派遣社員の採用)の仕事だった。サラリーパーソンのプライドで、嫌な仕事でも手抜きなしで、ふりきっていたのだから鬼か、悪魔と思われていたのだと思う。(笑) 今思い返すと、私生活は、荒んでいた。まぁ、その話は、また、別の物語だ。

 

 

旅は続く


人民中国の残像/上海市黄浦区

2023-07-09 14:34:56 | 旅行

2003年の記録

夏を迎え、SARSが沈静化したため、約1年ぶりの上海。仕事から帰った後に旧市街のウィークリーマンション周辺を散策した時の記録。

 

 

自室からは、背後の高層ビルに囲まれながらも生活が息づく伝統的な人民住宅を鳥瞰できた。

 

 

黄浦区は、上海旧市街の中心の中心、人民広場、南京路、外灘、豫園・・・・と日本でも知名度の高い区域である。

 

 

まだ、電動スクータより自転車が多く、日本人がイメージした“人民中国”そのものだ。

 

 

スマホがない時代、ファッション情報は、専ら街角の小売部(キオスク)で販売されている雑誌だったと思う。

 

 

まだ、まだ庶民の生活する街だったと思う。露店にシートを拡げる行商人が、夕方に現れていた。(李克強前首相の提唱で“露店経済”として復活した。)

 

 

店先で調理するので、夕方になると香辛料のにおいと水蒸気で、街を歩くというより身体に絡みつく熱気の中を泳ぐような感覚だった。

 

露店のトランプや花札、将棋も、良くる光景。上半身裸の男性も自然に存在する。

 

コンドームを筆頭にナイト用品は、何の後ろめたさも、恥ずかしさもなく堂々と販売する中国。

 

 

2008年の五輪開催に向けての驚異的な経済成長の傍ら、内陸部から上海などの沿海都市に盲目的に流入する人々“盲流”の光と影。街には物乞い、浮浪児が散見された。

 

 

建設足場が、竹から鉄パイプへと変わっていく頃だったと思う。建設や製造の現場では、安全靴どころかサンダル、裸足で闊歩する民工が、まだまだ存在した。

 

 

【メモ】

2002年末から2003年夏前に中国でまん延した“SARS”は、昨今のコロナと比較すると、チョロかったのかもしれない。しかし、当時は、中国に渡航できず、中国内移動にも制約が設けられ、一大事件だった。

 

40フィートコンテナ10数台分の安全柵の製造を上海企業に委託していた。最低でも、初品、中間、出荷前の3回は、検査に行くことにしていたが、結局、渡航できるようになったのは、出荷前の7月に1回のみ。気温40度を超える炎天下で、来る日も来る日も1人で検査したことは、今となっては良い思い出。30分炎天下で、検査をしたら10分は、応接室の冷房機の前で身体を冷やさないと身がもたない。あれ以来、暑さには、滅法強くなった気がする。

 

そもそも、現地の中国人検査部長からは、全数検査して、修正を指示したので、「安心してください」と聞いていた。ところが、修正など、まったくなされていない。激怒する検査部長に対して、委託先の総経理は、「Zhenが見てもダメなら修正する。Zhenが、『このままでOK』と言うかもしれないからね。」と、しゃぁしゃあと弁解する始末だ。中国人検査部長が、ダメと言っているものを日本から来た僕がOKする訳ないのだ。実際、現地検査員の検査が過剰であることはあるが、それにケチを付けたら、検査部長の面子を潰すことになり、それだけでは済まなくなる。そんなこと、僕は絶対にしない。

 

結果的に1週間24時間2交替の突貫作業で、すべてを修正させた。求めれば、作業員が、どこからか次々現れるのが、かつての良き中国。ほんとうに懐かしい。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第13回

2023-07-02 22:19:44 | 旅行

2023年の記録

梅雨の晴れ間、日帰り避暑に奥日光や霧降高原に行った時の記録。(2回分)

 

 

奥日光・緑の森、下界の猛暑を忘れさせる自然な涼空間が広がる。

 

 

下野市の自宅から1時間半圏内に日光国立公園があることは、感謝すべきことだ。何しろ世界的な観光地に天気を確認してから日帰りの散歩に行けるのだから。

 

 

日光に行く途中にある鹿沼市の磯山神社は、あじさいの名所として地元では知られている。朝8時前には、大勢の観覧客が出ていた。

 

 

東京からの観光客が来る前の時間帯にいろは坂に到達すれば、渋滞することなく1時間ほどで奥日光へ。

 

日陰に入れば、下界と違った自然な涼しさを感じられる。クルマのバックドアを跳ねあげ、折り畳みのチェアとテーブルを拡げ、セブンで買ってマイボトルに詰めてきたアイスコーヒーを再びカップに注ぐだけで、至福のひととき。何とコスパの良い男。(笑)

 

 

今まであちこちでシカに遭遇したが、人間の存在に気がつくと、直ぐに背を向けて森の中に消えていった。ところが、今日は違った。僅か数メートルのところに佇み、「背を向けるのは、お前だ!」とばかりに動こうとしない、それどころか、威嚇する気配まで。体あたりされれば、ひとたまりもない、角のない雌シカなのが、不幸中の幸いか。

 

 

クリンソウは、北海道、本州、四国の山間地の、比較的湿潤な場所に生育し、せせらぎや渓谷の湿地などに時に群生する。高さ30-90cmほどになり、日本に自生するサクラソウ科の植物のなかでは最も大型である。と言うのは、Wikipediaのコピペ。無知な僕は、何も知らずに奥日光・温泉寺に群生するクリンソウをカシャ。

 

 

ニッコウキスゲを見ようと早朝に霧降高原のキスゲ平園地に行ったもののすでに駐車場満の大混雑、潔く諦めてパスして、その先の大笹牧場で、濃厚なソフトクリームを食べたあと、川治温泉の足湯で休憩、昼食を摂り帰宅。

 

 

【メモ】

以前にも書いた愚痴だが、あいかわらず1階の集合ポストには、あふれるほどのチラシが連日投函される。自慢ではないが、そのチラシが役に立ったことは1度もない。以前は、集合ポスト下にある不要チラシ用のダストボックスにそのまま捨てるだけだったが、そのダストボックスに家庭ゴミ捨てる不届き者がいて、ダストボックスが撤去されてしまった。そんな訳で、毎日、チラシの束を持ち帰り、週2回のゴミ収集日に有料のゴミ袋に入れて排出する、まったく腹立たしい。 「無断でチラシを郵便ポストに押し込むのは、廃棄物の不法投棄じゃないのか?」 と声を荒げたくなる。(まぁ、投函する側は、廃棄物の認識はないので、話にならないだろうな。)

 

ゴミ出しをバカにしてはならない。賃貸であっても、不動産物件を探すときは、ゴミ出しルールが守られていない地域、集合住宅は避けた方が良いと言われるほどだ。

 

廃棄物といっても、ほとんどの廃棄物は、資源にリサイクルできる。肝は分別だ。排出者にとって、廃棄物は“不要物”だが、収集されリサイクルするときには、列記とした“商品”になる。家庭ゴミも産業廃棄物も排出段階で、正しく分別されるのがベストなことは、言うまでもない。

 

「廃棄物の話を始めれば、キリがない」というのも、かつて廃棄物処理装置製造や廃棄物処理に関わる仕事に興味を持って携わっていた。ほんとうに奥が深い世界なのだ。

 

リサイクルのむずかしさは、既述したように“不要物”と“商品”のチグハグだ。“不要物”なのだから異物の混入ゼロを求められないが、“商品”は、異物混入はもちろん、品質を一定にしなくてはならない。また、需要を考慮して“不要物”の発生を制御することもできない。品質や需給は、コストを投じて調整するものだが、多くのリサイクル品は、悲劇的に低価格で、行政の補助でシステムを維持しているので、今まで以上にコストを投じることなど、期待できない。企業イメージをアップする再生紙を使った名刺の方が、高コストなのは、知る人ぞ知る現実だ。

 

 

旅は続く