Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの夢と新疆の現実 第13回(ヤルカンド)

2020-11-30 19:57:24 | 旅行

2019年の記録

莎車は、ヤルカンドの中国名

3日前にゲットしたヤルカンド往復の鉄道チケットで、ヤルカンド日帰り旅行。

ホテル前からバスで、喀什火車站へ行き、Tさんと合流し、ヤルカンドを散策した後、Tさんはホーテンに向かい、僕はカシュガルに戻る。Tさんとは別々にチケットを買っているので、僕は1号車、Tさんは2号車と離れていたが、Tさんからメールで、「2号車に来ない?日本人のカップルもいるよ。」と誘われた。僕の周囲には、ウイグル人以外にもタジク人の女性もいて、スナップが撮れればと思っていたが、日本人の誘惑に負けて2号車に移動することにした。日本人のカップルも気持ちの良い人で、ボックス席を占領し、旅話でヤルカンドまでの1時間は、あっという間にすぎた。

ヤルカンドに着くと僕たちを公安が待っていたが、今さら驚くこともなく、“お約束の歓待”と思っていたが、これが大間違いだった。「強制送還」である、何でも、「ヤルカンドで重要な会議が開催されるので、外国人は街に入ることができないので、次の列車でカシュガルへ帰れ!」といった命令である。日本であれば、「そんな話、聞いていない、カシュガル出発前に通知がない!」って話なのだが、ここは、中国である。そんな主張をしたところで、情勢が悪くなっても、良くなることがないことを旅慣れた4人は、瞬時に理解していた。そうこうしているうちにどこかの若頭みたいな強面の漢族の公安が来る。この若頭、見かけに寄らず意外にも弱腰で、そんなに悪い奴ではない。若頭とウイグル族の若い公安の計2名対日本人旅行者4人、数のパワーで、まぁまぁの交渉をした。

「直近のカシュガル行きは、無座(立席)しかないので、勘弁してくれ!その後も真昼間の寝台は、高いうえに居住性が悪いので嫌だ。」とゴネて、無座は回避できたが、真昼間の寝台でカシュガルに3人は送還され、Tさんも空席のあるホーテン行きに乗ることになった。チケットを購入し、元々購入していたチケットの払い戻しの手続き一切を若頭がやってくれた。

莎車火車站前は閑散としていて、広場がだだっ広く、憎らしいほどの青い空

送還の列車の発車時刻までは、時間がある。ちょうどお昼時である。調子に乗って僕は、「腹が減った、ヤルカンドで一番美味いポロを食べさせてくれ!」と若頭に要求すると、意外にも公安仲間と相談して、パトカーで駅近のウイグルレストランへ。若頭も一緒に飯を喰うものと思っていたら若頭とドライバー2人は、食堂の前のパトカーの中で待機していた。送還者と一緒に飯を喰っていたら買収を疑われ兼ねない。万が一、我々が逃亡でもしたら買収されて逃したことになるからだろうか。ともかく、昨日からポロが食べたかったTさんもポロにありついた。

駅近のウイグル食堂、出来立てのポロ、しかし、味が薄く、僕が不味いと思った唯一のポロ。

昼食の後は、再びパトカーで駅に戻り、一般の待合室で、発車まで待つことになった。一般の客と一緒だ、僕はバシャバシャとウイグル族乗客のスナップを撮り歩いた。ちょっと派手に撮り歩いたのがマズかった。公安室に連行され、待合室で撮影したスナップのすべてを消去させられた。拒絶して済むことではない、状況は悪くなるだけだろうし、若頭を困らせるのも可哀想に思えた。ただ、ベストショットもあったので残念だ。

 

Tさんからは、こういった時に備えダブルスロット同時記録機能(記録メディア2枚に同じ画像を記録する)を使って、1枚目のメディアだけを消去して画像喪失を回避する、あるいは撮影と同時にスマホに画像データを飛ばすといった対策が、ウイグル自治区では必要と教わった。さすが“凄い旅行者”だ。

莎車火車站のスナップ(Tさん提供)

 

カシュガルに戻る列車では、1度も寝台は使わず通路の補助椅子に座り3人で旅話をして過した。カップルと話していると、女性の勤め先は、僕の会社の顧客だったなど、世間は意外に狭いものだ。カシュガルに着くと、駅の出口には公安がいて、外国人を呼び止め、パスポートを写メしていたが、なぜか僕はスルー。(なぜだか、この類のことが、とても多い)

カシュガルに無事帰還、ヤルカンドの街を散策できなかったが、これも良い経験。

 

 

旅は続く

 


東トルキスタンの夢と新疆の現実 第12回(カシュガル)

2020-11-23 13:50:10 | 旅行

2019年の記録

女の子は、坊主にすると美しい髪が生えてくると信じられているので、ウイグルの幼女は、みな短髪だ。

 

カシュガルへ帰り、ホテル(ヌアランホテル)で汗と埃をシャワーで流し一服。

僕の宿泊しているホテルと旧市街を挟み反対側にある其尼瓦賓館にTさんは宿泊しているので、旧市街を散策しながら其尼瓦賓館に向かいTさんと合流した。Tさんは、タシュクルガンで食べそこなったポロが食べたいと言っていたので、先日、ポロを夕方買った店に向かうも今日は売り切れだった。やはりポロは昼食なのだ。人通りの少ない旧市街は、閉店している店も多く、逆に開いている店は、繁盛していた。

ウイグル版小籠包?(名前は忘れた) 何種類か具があり、どれも美味しかった。

定番のシシ・カワプ(羊肉の串焼き)

夕食のあと、再び旧市街をぶらぶらする。ウイグルの女の子たちが、クルクル廻ったり笑顔でポーズを決めてくれたりと愛嬌を振りまいた。いつものように僕はシャッターを切り、一通り撮影が一段落して、ありがとうと言った時に、女の子の1人が「お菓子ちょうだい!」とねだってきた。今まで、ウイグルの子供を撮影してきたが、初めてのことだった。僕はお菓子を持ち合わせていなかったし、撮影の対価として金品を渡すといったことがイヤだったので、「没有!(ないよ!)」とだけ返した。なぜなら、見返りを期待した笑顔は、天然の笑顔ではないから。「Tさんが、中国人(漢族)観光客がお菓子をあげるからよ。」と言った。確かに漢族の観光客は、ほぼ100%お菓子を持ち歩き、悪意なくお菓子を配る。(僕も貰った・・・笑) それは自分も食べるときに周囲にも配る一種の文化なので、それ自体を否定する気持ちは毛頭ない。残念ながら件の女の子は、それを曲解してしまったのだ。居宅を公開しても、公開そのものでは、お金を取らない誇りが、崩れていく気がして悲しかった。

 

そう、実は、一昨日、旧市街を散策し、モスクの写真を撮っていたとき、3歳ほどのウイグルの男の子が、棒切れを振り回し、明らかに僕の撮影を邪魔する意地悪をしてきた。僕の見た目は漢族だ。その男の子が、漢族に何かされた訳ではないだろう。大人は漢族だからといって無闇に敵意を示すことはできないが、子供には、それがない。子供は大人の心を映す鏡なのだ。実際、ウイグル族の人たちの一部が、漢族に敵意を持っていることは知っている。ウイグル族ドライバーに法外なタクシー料金を提示されたことがあった。ところが、僕が日本人だと分かった途端、手の平を返したように「タバコ吸う?空港までの料金?いいんだよ、そんなこと・・・・」といったフレンドリーな言葉が次々と出てきた。親日と嫌漢、まさにウイグルの光と影なのだ。

 

施錠された民家、解体される伝統的な家屋、閉鎖されたモスク・・・・・、あまりに悲しい光景と出来事に「ハイルホシュ ウイグル!(さようなら僕の愛したウイグル)」と心の中で呟いてしまった。

 

僕はウイグルの子供たちを見ていると、「絶対に彼らの瞳を涙で濡らしてはならない」、それが僕たち大人の責任だと感じる。

 

旅は続く

 


東トルキスタンの夢と新疆の現実 第11回(タシュクルガン・帰路)

2020-11-15 23:16:23 | 旅行

2019年の記録

バイクの後ろに乗っていたタジク帽の女性、旦那さんに許可を取ると快く撮影に応じてくれた。

 

早朝タシュクルガンを出発、昨日走って来た道を下りカシュガルへ向かう。

 

日の出前の早朝に散歩。微かな朝焼け、息は白く、寒い。タシュクルガン標高3100m。

 

何しろ昨日、タシュクルガンの街もタジク族の人のスナップもほとんど撮っていないので、せめて早起きして、と思って、ホテルを出たものの、ほとんど誰もいない。中心部から綺麗に舗装された広い道路が走る。きっとこの街の税収の数十倍の資金が国から投じられて整備されたのだろう。それは紛れもなく、この地が中華人民共和国に属していることの恩恵だ。しかし、その一方で、奪われる代償は?そもそも、恩恵とは言うものの、それは施す側の自己満足なのではないかという疑問。辺境の街を旅していると、その類のことが、嫌でも頭の中を駆け巡る。

 

兎にも角にも、もう少しタシュクルガンの街でスナップを撮りたかった。この気持ちが、タジキスタン共和国に行くか?中国の西、中央アジアへ僕を惹きつける切っ掛けとなった。その後のことは、別の機会に書くこととして、帰路も美しいパミール高原、カラクリ湖を眺めながら山を下った。

 

※タジク族は、東トルキスタンに住むイスラム系民族では、唯一のペルシャ系民族。ウイグル族、カザフ族等は、テュルク(トルコ)系民族である。

 

ポロは早朝から仕込む。あの絶品のポロは、このようにして作られる。蛇足ながら、僕は、炊飯器でポロもどきを自宅で作っている。

 

タジク族の象徴・鷲のモニュメント

 

湿原には、ヤクが放牧され雄大な景色が広がる。

 

カラクリ湖畔では、カシュガルへ出かけるタジク族が、喜んで撮影に応じてくれた。

 

氷が残るカラクリ湖、標高3600m。富士山の頂上近くにあるのと同じだ。

 

途中、カラクリ湖畔で休憩、往路と同じドライブインで昼食、カシュガルに戻り、市内のホータン玉(ホータンギョク、ホータン地区産出のヒスイ)の土産物屋に寄り、無事に解散となった。

羊肉面をTさんとシェア、2人だとご飯ものの中華料理は食べきれない。

 

カシュガルに近くなると赤い岩山が目立つようになる。

旅は続く

 


東トルキスタンの夢と新疆の現実 第10回(タシュクルガン)

2020-11-10 22:43:58 | 旅行

2019年の記録

快く撮影に応じてくれたタジク族の男性

 

タシュクルガン1日目後半、タシュクルガン唯一の観光地・石頭城に行く。

 

参加したツアー名は、「パミール高原、カラクリ湖、タシュクルガン、中国パキスタン国境2日間」。しかし「国境に行けない」ことは、申し込み時点で聞いていたので、僕が国境に行けないことに不満はない。しかし、中国人も国境まで行けないと聞かされ僕は、ほんとうにがっかりした。と言うのは、このツアーに昨年参加した人の話だと、外国人は国境まで行けないので、中国人が国境に行っている間は、タシュクルガンの街で自由行動とのことだった。国境に興味のない僕は、タシュクルガンの街をゆっくり散策できることを楽しみにしていたのである。

 

ビジターセンターでは、タジク帽を被った説明員が、簡単な解説をしてくれ、その後に写真撮影にも応じてくれていた。しかし、僕は観光用民族衣装には、まったく興味がなかったので、1枚も写真を撮らなかった。後でわかったのだが、タジク族のタジク帽(刺繍が施され、女性が被っている)は、観光用ではなく日常的に被っているものだったので、何枚か写真撮れば良かった。(苦笑)

 

ビジターセンターから石頭城は、整備された舗装路を走りすぐに着いた。昼過ぎの時間帯で、散策する人や青空や白い雲が、水面に映り込むのは、よほど空気が澄んでいる証拠だろう。悪天候だと、目もあてられない退屈なところになるだろうが、良かった!ともかく、写真をご覧あれ。

 

右下の台形状の遺跡が石頭城

 

タシュクルガンでは、天候に恵まれた。水面に青空と白雲が映るほど空気は澄んでいる。

 

湿地、乾燥した岩山、そして雪のパミール高原

 

新しい住宅が並ぶ、中国共産党政府の施しか?

 

澄んだ川の水は、冷たかった。

 

石頭城を眺められる展望台をゆっくり散策したあと、今日のホテル(功徳賓館)に着くとすぐに日が落ちた。街をウロウロできても、人も疎らでスナップも撮れない。

ラグメンと食堂のメニュー。街は真っ暗で寒かったが、営業していた3軒の食堂の1つに入ると、店内は暖かく、タジク族の家族連れでほぼ満席。

 

功徳賓館は、中国の田舎によくある観光客が泊まれるレベルの安宿。日本人だと、「エ~、ヤダ」っていう人もいるかもしれないが、僕は外国人が泊まれるだけありがたいと思っている。(今まで、ほんとうは外国人の止まれない宿にも泊ってきた。) シャワーはあるが、水しか出なかった。ドライヤーなんて文明の利器はなく、今さらフロントに苦情を言う気にもなれず、洗髪は断念した。(さすがに夜は寒く、風邪でもひいたら洒落にならない) 身体だけ洗ってすぐに、いつでも、どこでも、すぐ熟睡の身体に感謝して寝た。

 

旅は続く

 


東トルキスタンの夢と新疆の現実 第9回(タシュクルガンへ)

2020-11-08 00:38:14 | 旅行

2019年の記録

標高約3600mにあるカラクリ湖

早朝ホテルを出発、と言っても、バスが迎えに来た訳ではなく、ガラガラとスーツケースを転がして集合場所へ向かう。昨日、ホテルのフロントから「ツアーバスは、ホテルまで迎えに来ないので、集合場所の天縁商務国際大酒店へ自分で行ってください。」と伝えられた。やれやれ、ホテルに迎えに来てくれれば、ギリギリ朝食を食べて出発できたのに。天縁商務国際大酒店までは、タクシーで1メータと言っても、そのタクシーが、中々捕まらないし。タクシーを気にしつつ徒歩で天縁商務国際大酒店に到着。出発時刻の30分前には無事到着、大小のツアーバスがならび次々と出発していくもタシュクルガンツアーのバスは現れず。定刻をちょっと廻った頃にツアーバスが来る。定員20名ほどのバスは、ほぼ満席。僕以外は、ガイドを含めて漢族の旅行者。昨年参加したカラクリ湖日帰りツアーよりは、紳士淑女度が高い、いわゆる上級旅行者の感じである。車内で大声で話し、時には喧嘩して、食べ物のゴミをまき散らす人はいない。(その類の田舎のおじさんおばさんも朋友になると人情があって、悪い人ではないのだが)

 

定刻よりちょっと遅れてツアーバスは、無事出発。遅刻者がいないところも紳士淑女度が高さの現われか?途中、其尼瓦賓館でツアー客をピックアップして、全員集合。その時に登場したのが、3日間行動を共にすることになったTさんだった。もちろん、ツアーに日本人の参加者がいるなどとは思っていなかったので、第一声は、「日本人の方ですか?」といったものだったと思う。(日本語で聞いたか、中国語で聞いたか、よく覚えていない。) ただ、Tさんのお陰で、最高に楽しい旅行が3日間できた。旅行中知り合い、行動を共にする人は、一緒に居て楽しいか、否かに尽きる。もちろん、コミュニケーション能力が高く、現地の人との交渉や情報収集に長けていることに越したことはないが、それらは、あくまでもプラスαだ。少なくとも、その人の社会的地位といったことは、まったく関係ないと思う。Tさんも後になってわかったのだが、有名IT企業に勤める傍ら、海外に毎月プライベート旅行するワンダラーで、大手出版社のオンラインサイトに連載も始めたといった “凄い旅行者” だった。しかし、そんなことをひけらかすこともなく、目の前の旅を楽しむ姿勢は、尊敬に値する。 (人間としての器量が小さい僕は、「俺って凄いんだぜ!」って、ひけらかしてしまう。)

 

閑話休題、一路タシュクルガンへ、と書きたいところだが、ツアーバスは、市街地の中で停車。我々外国人の旅行許可書の手続きに手間取っていたみたいだ。同行の中国人客にとっては、さぞかし迷惑だったのではないか。

タシュクルガンへ向かう道の最後の街に立ち寄り休憩、遅めの朝食の買い食い。まだ、ウイグル族の地域だ。吊るしの肉を切って貰い量り売りが、中国の市場の肉屋のスタンダード。ナンを裸のまま並べて売るのも同じ。

昼食にドライブインで食べた牛肉面。見かけによらずボリュームはある。脂っこくなく、優しい味だった。

ツアーバスは、快調に走る。昨年は、片側交互通行で、1時間近い待ちがあったが、幸いと言うか、残念ながらと言うか、それはなく、カラクリ湖も車窓から眺める。高度は4千mを超えるが、実感はない。2度目の検問所のトイレに向かって崖を駆け登ったときは、さすがに息が切れた。

雪が残る7千m級の山々、空は青く、空気は澄んでいる。

湿地帯にはヤクが放牧され、背後の山々は、白一色。

標高4100mのスパシ峠を越え、北京時間19時と言っても北京よりはるかに西方のタシュクルガンでは、実質15時前に無事到着。

あらためてタシュクルガンの位置を確かめてみると、「思えば遠くへ来たもんだ」といった気持ちになる。

旅は続く