2006年の記録
上海郊外銀都路のホテルに泊まった時の朝の散策。
解体目前の家屋の前をランドセルの小学生が通学していった。
当時の常宿は、蓮花路だったと思うが、なぜ、銀都路に投宿したのか記憶はない。今では、地下鉄が走り、工業団地を経て、高層住宅が建ちならぶ上海のベッドタウンとなっている。
莘庄は、上海軌道交通(地下鉄)1号線の終着駅。東京で例えると八王子のイメージか。(Zhenの個人的感想)
解体前の家屋に「轮胎(タイヤ)と連絡先の携帯番号」の広告なのか? 意味不明だが、中国では、この類は一般的。
「星海総合市場」の横断幕、ちょっと仰々しいのが中国標準で、野菜やら果物・・・・・を売る商店が軒を連ねる。もちろん、今は、小綺麗なショッピングモールになっているだろうね。
中国では、人の集まるところには、基本的に食い物屋もある。万頭(マントウ:具なしの中華まん)を蒸かして売る店は、定番中の定番。
2006年頃は、上海郊外でも、電動スクータより自転車が多かった。
タバコを咥え、開襟シャツにスラックス、革靴のイケメン。
ビニールシートを屋根にした店舗で、ニンニクとモヤシ、二品で商売しているのだろうか? なかなかの商魂。
いつでも、どこでも、中国の果物屋は、豊富な商品がならぶ。パイナップル、バナナ、ブドウ・・・・・・そして、サトウキビ。
狭い路地にも商品がならべられ、どこから来たのか、大勢の人が、早朝から集まる。中国全土で見られる朝の光景。
【メモ】
「中国・李克強前首相、10月27日に心臓発作で死去、享年68歳」 日本では、ほとんど話題にもならない。多くの日本人にとっては、引退した中国の前首相の死は、興味の対象外だろう。僕も否定しない。しかし、中国で経済活動をしてきた僕にとっては、スルーできない。
ネットでは暗殺説、ストレス死説など不穏な憶測が飛び交ったが、「だから、何だ」という気持ちでもある。また、鄧小平党中央軍事委員会元主席との権力対立で引退後に病死した胡耀邦元総書記の連想から天〇〇事件の再来を危惧する人もいるが、その可能性も低いだろう。
「リーおじさん(李克強前首相)は、まっとうな経済政策ができる中国の数少ない政治家」ということが僕の想いだ。大きな取引先を訪問すると、リーおじさん来社の写真が、誇らしげに飾られていた。(逆に中小企業には、プーさんの肖像画が掲揚されている。)
中国は、一党独裁であるが、トップ(総書記)1人の独裁でないことが、良かった。日本と国土、人口、民族、民度も異なる中国では、一党独裁はベストではないがベターな選択だ。その前提は、トップが、異論に耳を傾けることだ。残念ながらプーさんは大人(だいじん=度量のある人) ではなかった。リーおじさんが、その経済手腕を発揮することなく引退に追い込まれたのは、プーさんとの対立による。
今の中国が、肩で風を切って歩けるのは、経済力よるものだ。まちがっても軍事力ではない。経済は、重要なのだ。だからって、岸田先輩の「経済・経済・経済」発言は、「どうかな?」って思うけどね。
合掌!
旅は続く
だから、今の先進国の姿の中国が、あまり、ピンときません。
父から聞いていた中国は、Zhenさんがお撮りになった写真のようなイメージだからです。
お邪魔します。
小奇麗なショッピングモール以前の市場を拝見でき、
その雑然とした熱気の一端を感じることができるのは、
人民中国の残像シリーズのお陰。
嬉しい限りです。
今後も楽しみにしております。
では、また。
雑然とした路地や商店、漂う匂いも、懐かしいです。こんな情景に出会ったのはは2000年頃の蕪湖の郊外です。生きた鶏を提げて帰る人にまず驚いて・・・大連でも大きなスーパーよりこういう所の方が楽しかったです。慣れてきたころには私も買い物かご下げて野菜やカニやシャコなんか選んでた。
想い出の中国、また昔の中国を見せてくださいね。
アミさんのお父様がご覧になっていたのは、戦前の中国、僕の撮った中国は今世紀初頭の中国。つまり、その間の中国の発展は、信じられないほど、ゆっくりだったのでしょうね。そして、2008年に向けて、中国は信じられないほどの大発展をしたのでしょう。
では、また。
喜んで頂き光栄です。
あと数回続けて「人民中国の残像」をアップする予定です。
ご期待ください!(笑)
では、また。
こんばんは
蕪湖も華東ですから上海郊外も同じ空気感なのだと思います。きっと大連とは違うと思います。
汽車に生きている鶏を何羽も提げて乗る人がいた時代ですからね、鶏を提げて帰る人など可愛いものですね。
スーパーには生きてる鶏は売ってないでしょうから市場の方が断然楽しいですね。
大連や対岸の青島は、シャコが豊富で、安くて、僕は、中国でしかシャコを食べたことがないです。
では、また。
私もZhenさんと同意見で、この国で 今やらなければならない仕事 この人しか出来ない。
という状態で、表舞台から姿を消してしまって。。。
凄いきな臭い感じを持ちますが、1人独裁状態で、能力が足りない状態になってしまっています。
古き良き上海 と思うのは、外国人だけかもしれませんが、
あの頃は、目の輝きに力が有りましたが、今は、淀んでしまってるように 思っちゃいます。
私もあの頃の画像 残しておけばよかった!!
って Zhenさんの画像見て いつも思っています。。。
リーおじさんの価値は、日本人でも、中国に住んでビジネスしていた人ならわかると思いますよ。ほんと、残念。
確かに中国の人は、新しもの好きだし、僕の友人でさえ、僕がスラムの写真を撮るのを嫌がっていたし。でも、経済的に豊かになり、反面、精神的な余裕がなくなると、「あの頃は、良かった」と懐かしむようになりますよ。
ブログの第一回に書いたように日常の記録は、物見遊山の異邦人が残すもの、写真がないのは、Maruさんが、必死に働いていた証拠ですね。
では、また。
自分が思うに、ネガフィルムをスキャンしたものですかね。
かくいう自分も、2009年までメインカメラはリバーサルなんかで撮影していて、サブもメインもデジタル化したのは2010年からです。
間違っていたらすいません。
いい雰囲気出てますよね。
政界を辞めた人物が幅を利かして
国民を強制的に従わせる。
これこそ問題ですよ。