2005年の記録
瀋陽から上海に戻り、溜まっていた仕事を熟すために1週間ほど滞在した時の記録。
戦前の旧租界時代の面影を感じる街なみである。
上海市虹口区より旧日本租界(厳密には共同租界の中の日本人集住エリア)のあるエリアと説明する方が、日本人には馴染みやすいかもしれない。上海市中心城区北部に位置する。
地鉄3号線虹口足球場站の高架ホームから眺めた風景
洗濯竿を道路に向かって建物から垂直方向に掛けるのが中国式。これは、広い中国どこに行ってもイスラム地域を除くと共通だと思う。空間を効率的に使っているのか?その彼方にタワーマンションが見えるのが現代の証。
スローガンの国だけあって、当日は、板書された美しい黒板を見ることも多い。最下段の写真上部には、真っ赤な下着の洗濯物が見える。中国では、赤い下着は、厄除けとされているまである。
ビリヤードが中国のポピュラーな遊技であることを日本ではあまり知られていない。ただ、このビリヤード台、ちょっと高すぎだよな。
中国人は、写真好きだ。観光地でのスマホ自撮りもだが、本格的なスタジオでの撮影もする。僕の友人は、毎年、夫婦で衣装を借り、撮影してもらい写真集にしている。夫婦で、自慢げにそれを見せてくれるが、“売れない演歌歌手”というのが、僕の正直な感想。
上海の旧市街に行くと、驚くほど老人が目につく。日本と違って、定年後も働く人は稀で、暖かい日は、日がな一日路上で過ごす人も多いのだろう。
中国の商店街は、古い建物も実用として使われている。建設当時の意匠を維持、復元するために剥製化されたものは、命が宿っていない。リアル・ナウとして、時には猥雑に使われるの方が、僕は好きだ。
【回想】
瀋陽から1人で上海に戻った。上海には、長くても半月程度しか滞在したことがなく、住んだこともない。しかし、はじめて中国大陸に降りたった上海に戻ると、何ともホッとする。東北ほど、大男が少なく見おろされることも少ない、声もいくぶん小さい、気温も東北に比較すると暖かいからかもしれないが、やはり、鳥の雛が卵を出て、初めて見た動くものを親と思って後に続くのと同じ習性なのかもしれない。
【メモ】
最近、友人の話を聞いて、長らくの疑問が解けた。(極めて個人的なメモです。)
「なぜ、中国は、2047年の一国二制度終了の期限を待たずに香港を事実上の統合をしたのか?」である。2047年まで待てば、世界からの批判を受けることなく合法的、平和的な統合が実現できるのであるにも関わらず。(台湾の明日を考えるヒントになるかも)
中国で生活していると、何となく解ってくるのだが、中国の人(社会)は、あまり先のことなど考えずに、まずやってみる、それで、次どうするかを考えるといった行動をする。中国のローカル企業は、まともに予算を作らない。彼らの言い分は、「計画通りに収入が入るかわからないのに支出を決めてもダメでしょ。」である。確かに一理ある。中国社会では、××一筋より機転が利く人の方が評価される。環境が激変する現代は、中国的思考法に有利かもしれない。日本人からは、近視眼的、その場しのぎで一貫性に欠くと、なるのだけど。
閑話休題、まさに香港統合の理屈は、そこにあった。一国二制度の中英共同声明が調印された1984年の中国は、今と比較すると、国力は弱く、英国の提案を受け入れざるを得なかった。しかし、中国は、想定以上に発展し、大国になった。声明の前提が変ったので、機敏に行動したという訳だ。なるほど、と思う反面、「些細な約束でも破れば、嘘つき」になる日本人には、理解できない(理解したくない) 理屈なのである。
旅は続く
お邪魔します。
またまたいい写真ばかりですね。
20年近く前の時を切り取った記録。
拝見しながら、色々と想像して楽しみました。
スタジオで撮影した「売れない演歌歌手」写真集、
ちょいと笑ってしまいました。
被写体のご夫婦が歌手なのかどうかは存じ上げませんが、
いわゆる「衣装負け」しているのかなと想像します。
これも、事前考慮より実施優先、やってみてから考え、
割と強引に納得する「中国的思考」なのかもしれませんね。
さて、上海虹口と聞くと、僕はある小説を思い浮かべます。
以前、拙ブログでも取り上げた小説「プラハの春」の著者、
「春江一也」氏の作品「上海クライシス」です。
今投稿と同じころ2000年代初頭の発売ですから、
本の内容、Zhenさんの記憶と重なるところがあるかもしれません。
ご興味があり、ご都合が許せばご一読も一興かと思います。
では、また。
空き時間に旧フランス租界など歩くとしゃれた洋館がいくつもあって楽しかったですが、今はどうなっているでしょうね。
中国が「今」のことしか考えないとは以前から思っていましたが、香港もそれで説明が付くのか、と目からうろこです。
かの国の長い歴史を考えるとそういう思考になるのも仕方ない部分があるかもとも思いますが、後から後悔しても取り戻せないこともあるのだと早く気が付いてほしいですね。
独資企業にしてから なので、10年ほど前からです。
こんな感じだったんですね。日本人感覚からすると 古き良き時代
という感じがします。中国人からすると 戻りたくない時代かもしれませんが・・・
写真館 いっぱい有りましたね!!
変な??衣装がいっぱい有って、工員達が写真撮ってもらって 喜んでいました。
懐かしいですねぇ~
香港の件・・・
確かに!!
僕の友人夫婦は、もちろん歌手じゃないですよ。ドーランで化粧して、派手な衣装着て。再三、誘われましたが、丁重にお断りしました。まぁ、これは、むずかしく考えず、こんなのが好きなんでしょうね、後悔どころか大満足ですから。
「上海クライシス」見てみます。
では、また。
お仕事で、上海にいらしていたのですか?
旧フランス租界は、今でもお洒落な街ですね。僕のような田舎オヤジには、ちょっと敷居が高かったりして。
中国の人は、「今しか」考えないというより、「実存する今だけで」考えるんですね。「もし」まで考えるのは無駄って感じですね。
良くも悪くも、後悔しませんね。過去は、今さら変えられないので、後悔するだけ無駄って発想です。その辺は、僕も同じですが・・・(苦笑) 最近は、変わってきましたが、以前は、鬱や自死が少ない社会でした。
では、また。
逆に僕は、広州には、5~6回しか行っていません。
友人知人に会いに行ったり、オリンピック期間中ビザの延長ができずに香港、マカオに日帰りで行くときに寄ったり・・・。取引先も1社だけです。
2005年頃は、中国人が最も幸せだった時代じゃないかな、北京夏のオリンピック前ですからね。今日より明日が、確実に良くなっていましたからね。
写真館、あったでしょ、みんな本気で喜んでたでしょ。Maruさんは、家族写真を毎年写真館で撮ってないのですか?「撮ろうよ」って言ったら、奥さん、喜ぶと思いますよ。
では、また。