2019年の記録
タキ・ザルガロンには、色とりどりの雑貨が並ぶ。
ブハラは、観光スポットが集中しているので、効率的に周遊することができるが、僕はブハラの街は、“効率的”に見るものではないと思う。観光スポットを外れ、住宅街に入り込み市井のおじさん、おばさん・・・・・・子供たちとおしゃべりをはじめると、アッと言う間に時が流れる。
3人組の女の子を撮っていると、「わたしも~」って、2人の女の子が飛び込んできた。
タキとは、交差点を丸屋根で覆ったバザールのことで、ブハラには3つのタキが残り、タキ・テルパクフルシャンもその1つ。今は、帽子、スカーフ、鞄、雑貨・・・・・・といった観光客相手の土産物屋が中心になっている。タキの裏手に廻り、朽ちかけた外壁を前に瞳を閉じると、シルクロードを行き交った商人の喧騒が蘇る。
タキの中は、明かり取りと白壁で明るい。暗く写っているのは、露出のポイントをどこに置いたかの問題、薄暗く治安が悪いところではない。
意図的にソ連時代のラダ(ソ連、ロシアを代表する自動車メーカ)を撮っているが、すでにソ連時代のラダは、消えゆく存在になっている。もちろん、今でもロシアからラダの輸入はあるが、あまり人気がない。米国・ゼネラルモーターズの技術供与、部品供給を受けてウズオート・モーターズ生産されるシボレーブランドが、街中で目立っている。
※ウズベキスタンは、ロシア製を除き完成車に高関税を果たしているので、ウズベキスタン国内生産が中心となるが、部品製造の多くを海外に頼っている。
日本ブランドの乗用車を街中で見ることはないが、商用車、特に市内路線バスの大半は、日本のいすゞブランドである。(サマルカンド・オートモビール・ファクトリーで生産) 僕は国粋主義者ではないが、外国で日本ブランド製品を見ると誇らしく思ってしまう。
タキの裏手に停まっていたラダ、青いラダは、ネットにアップした旅行者の写真にも写り込んでいたので、タキで働いている人のクルマだろうか。
マゴリ・アッタリ・モスクは、1936年に掘り起こされたもので、厳密には遺跡だ。内部は絨毯博物館になっている。
タキ・テルパクフルシャンからタキ・ザルガロンへ向かう道には、レストラン、ホテルが点在する。
アブドゥールアジス・ハン・メドレセ(上)とウルグベク・メドレセ(中、下)は、向かいあっている。文化遺産は、モスクに比べてとメドレセ(神学校)が多い。(現在は土産物屋) ソ連時代、モスクは使い勝手が悪く解体され、メドレセは倉庫としての価値があったといった事情でもあったのか。
ウズベキスタンの15歳以上識字率は99%(政府発表)で、前回記載した貧困率約45%を考慮すると、極めて高い数字だと思う。また、大学生の留学は国費で賄われるとも聞く、(通訳のアジさんも1年間信州大学に交換留学していた。) ウルグベク・メドレセの扉に記される「知識欲こそ、ムイリムにはなくてはならないもの」といったウルグ・ベク(ティムール朝め第4代君主)の格言を受け継いでいるためだろうか?(とは言うものの、独立後の国家財政の逼迫で、教育投資は削られ、教育の質低下が心配されている。)
タキの裏手の工房では、職人が銅細工をしていた。孫だろうか、男の子も銅細工をして見せてくれた。
住宅街へ入り込むと、女の子がいて、恰幅のいいオヤジがいて、孫を抱くお婆ちゃんがいて・・・・・・ 。「アッサラーム アライクム!(こんにちは)」、「ヤクシミスィズ?(お元気ですか)」、「ラフマット!(ありがとう)」、「ハイル(さようなら)」
旅は続く
お邪魔します。「りくすけ」です。
ラダ内部の光景、銅細工に槌を振るう職人さん、
子供たちの笑顔---中央アジアへの旅情を誘う写真を
楽しませてもらっております。
現地の方とおしゃべりができるとは、
Zhenさんは、ロシア語やウズベク語の素養があるんですね。
すごいなぁ。
そしてソビエト製のラダも目を引きますね。
昔、酔狂な知り合いが所有していた、
東ドイツ製のトラバントに乗せてもらいました。
ボディの一部がプラスチックや段ボールでできていると
聞いて驚いたものです。
旧共産圏の車や電化製品などには根強いファンがいて、
今も愛好家が少なくないと聞きます。
デザインはレトロな魅力を感じますね。
続篇、楽しみにしております。
では、また。
こんにちは。
今日も写真が満載で嬉しいです。
鮮やかな絨毯や絵付け皿…。
絵付け皿なんて一皿いくらぐらいなんでしょうね、欲しいなあ。
交渉次第でお安くなるのでしょうか?
ソ連制のクルマがまだ健在なんですね、こういうのを何気に撮影して来て旅行後に見返すのも楽しみですよね。
私が先日見た、1984年のシルクロードのサマルカンドとブハラ編は、市井の人々はまだまだ民族衣装を着ていました。
今はもうずっと近代化も進み、Tシャツなど着て普通の姿なんだわって思いました。
人々の純朴さは変わらないようです。
立派な遺跡も良いですが、住宅街まで入り素朴なウズベキスタンの人々の笑顔に触れ合えるなんて羨ましい限りです。
やっぱり語学力があるって得です。私なんて「アッラー、アクバル」しかわかりません…。
又、次の更新を楽しみにしております。
僕はロシア語、ウズベク語の素養なんてないですよ。
日記の最後に書いたウズベク語の挨拶や感情を表現する単語カードとボディランゲージだけですよ。
どこに行っても現地の言葉で、満面の笑みであいさつすることで、おしゃべりを始められます。
「写真撮っていい?」
「いいよ」(ポーズをとってくれたり)
カシャ、カシャ
「ありがとう」
液晶画面を見せて、「格好いい!」「可愛い」・・・・・
「どこから来たの?何人?」「仕事、観光?」「ひとり?」「家族は?」・・・・・
こんな他愛もない話ですよ。
ウズベキスタンのラダは、キューバのアメ車みたいなものですかね。
レトロで味があるようですが、性能は言わずもがな、むかしのアメ車と同じです。
「出来の悪い子ほど可愛い」と思える人が、愛好家かな。
では、また。
こんばんわ
絵付け皿、いくらなんでしょうか?
僕は旅から旅へなので、壊れ物と実用品になるモノ以外は、見るだけなので、聞きませんでした、ごめんなさい。
観光客相手の店は、高めの設定をしているので、交渉次第で値段は下がると思います。
安く買うならば、地元の人の買う店に行かないと、でも、お土産は、自分が納得できる価格で買えれば、それで良いと思います。
休日のラビハウズや歴史的建造物の周りには、結婚式の後のカップルや出席者がいて、正装としての民族衣装を着た人も少数いましたが、カップルも西洋のウェディングドレス、タキシードでしたね。普段着の民族衣装は、ほとんど見ませんでしたが、恰幅のいいオヤジさんが着ているのは、広義の民族衣装ですよね。
観光客の行かない住宅街に行けば、日本と違って子供が遊び回り、時間と心に余裕のある大人がいるので、りくすけさんへの返信に書いたように現地の言葉であいさつすれば、好奇心旺盛な大人、子供とコミュニケーションできますよ。語学力って、あまり関係ないと思いますよ。ポイントは、第一声は、必ずの現地の言葉を使うことですね。正直なところ、僕は語学苦手、理屈っぽくて、外国語を聞く耳が悪いんですよ。
続編もヨロシク!
再度お邪魔の「りくすけ」です。
そうですか、会話の妙は少しの知識と多くの気合。
何処でも基本ですね。カメラもコミュニケーションの助けになっているのかもしれませんね。僕もほんの一年くらい海外をウロついた時は紙と鉛筆に助けられました。僕の場合は写真ではなくお絵描きでした。外人パブでもそれなりにウケました(笑)
何にせよ「愛好家」は、理屈抜きに「好き」な人。
性能の良し悪しは二の次と思える人種かと思います。
では、また。
勇気を持って、思いきってと言った部分はあるし、カメラ、特にデジカメになって、その威力は、大きいと思います。インパクトで言ったら、りくすけさんのお絵描きにはかないませんが。
好きになったら、痘痕もエクボですね。
では、また