2023年の記録
3月末からプライベートでドタバタがあり、4月上旬から3年ぶりの訪中が迫る中、長崎行を強行し、4月初旬の教会巡礼の記録、2日目。
今回の巡礼の目玉でもある平戸ザビエル記念教会。田平天主堂の歴史的な重みはないけれど、ウグイス色の壁が特徴的な美しい教会だ。
平戸島の対岸の田平教会堂、松浦市西木場教会堂を廻ったあとは、一気に長崎まで南下。癪に障るけど、時間節約のために一度佐賀県に入る高速道ルートを選択。前回、巡礼できなかった長崎市内の教会2つを廻り、再び北上し、諫早と大村の教会を廻って、無事、レンタカーを返却し長崎空港に戻った。
ホテルの部屋のカーテンを開けると海上から昇る朝陽が見えた。なかなかのロケーション。
ホテルから平戸市街地への散歩で最初に目に入ったのが、平戸オランダ商館。オランダ商館は、長崎市の出島が有名だが、平戸にも1609年(慶長14年)、オランダとの正式国交が開けた時に設置された。その後、建物の破風に西暦年号が記されていることを口実にした江戸幕府のオランダ商館の取り壊し命令による1641年(寛永18年)の出島集約(鎖国の完成)まで、オランダ東インド会社の貿易と植民地経営の拠点として活用されていた。
現在の建物は、2011年(平成23年)に1639年(寛永16年)建造の倉庫を復元したものである。
平戸城の眼下に広がる旧市街地の木壁の美しい街なみが前回訪問時に目が留まり、人の少ない時間帯にゆっくり散策したいと思っていた。
市街地奥の階段を登ると昨日に巡礼した平戸ザビエル記念教会がある。
再び平戸オランダ商館前を通ってホテルに戻る。
朝食は、みすみ養鶏場卵の厚焼き玉子、平戸うず潮豚のしゃぶしゃぶ・・・・・・と、可もなく、不可もないヘルシーな朝食を頂く。
前回、青空の下に巡礼したとは言え、重要文化財・田平天主堂を外せない。鉄川与助設計・施工、1918年(大正7年)献堂、煉瓦造り一部木造・瓦葺き平屋建て。
尖塔の空き窓から太陽光が差した、神様の啓示か?
明治中期に黒島や五島などからきた信徒が、田平教会の巡回教会として大正末期に民家を改造した教会が、西木場教会の起源。現在の建物は、1949年(昭和24年)に聖フランシスコ・ザビエル渡来400年記念事業として鉄川組の設計、施工。
新しい長崎土産の開拓として、「平戸・湖月堂老舗・カスドース」(カステラに鶏卵を絡めて揚げた後にザラメ砂糖をまぶしたもの。)、「佐世保・松月堂・入船」のバラ売りを買い歩き食べ比べたが、「佐世保・松月堂・かすていら」に勝るものはなかった。松月堂・かすていらは、道の駅・させぼっくす99でも購入できるが、佐世保アーケード街の本店での購入をお薦めする。接客の良さと抜群のサービス(お茶をふるまって頂いたり、自分用には充分な量の切れ端サービス・・・・・)に心を鷲掴みされている。(笑)
三ツ山教会は、長崎バイパスを外れ、細い山道を登ったところにひっそりと建つ白壁の教会。1883年(明治16年)献堂、1962年(昭和37年)改築。
東長崎教会は、1995年(平成7年)献堂の新しい教会堂のある新興住宅地となった東長崎地区(東長崎地区は、江戸から陸路で長崎に入るときの玄関口にあたる宿場町)にある。信徒の平均年齢も若いと聞く。
カトリック諫早教会は、諫早市街地の高台にあり、現聖堂は、1983年(昭和58年)献堂。
禁教下に出津・黒島・五島などへ移住した先祖の故郷大村へ戻った信徒が明治時代に孤児院兼教会が設営した。現教会堂は、1975年(昭和50年)献堂。
【メモ】
日本も少しずつコロナ体制が終息していきている。とは言っても、あいかわらず通勤電車の車内では、ほぼ全乗客がマスク着用、屋外でもマスク着用者の方が多い。
そんな最中、星野リゾート代表のツイート「・・・・星野リゾートは全員でマスクを外すことにしました。・・・・・」が炎上した。
怒りの原因が何なのか? それはひとそれぞれなのかもしれないが、決定的に欠落していた視点がある。接客業の従業員が、マスクを着用する意味は、対面する顧客に感染させない、感染の不安を与えないだけではない。従業員自身を感染から守ることだ。不特定多数と対面する従業員は、顧客以上に感染リスクを感じるだろう。そのことを吹っ飛ばした“お客様ファースト”は、かつてならばともかく、「No!」と言えない従業員に対するハラスメントでしかない。
このツイートだけで、星野リゾートが、従業員を酷使する企業と断じることはできないが、多様な価値観への配慮に欠けていることは、否めないだろう。
偉そうなことを言える立場ではないが、それなりの影響力のある人は、ツィッターの発信にしても推敲が必要だ。それができないならば、SNSなど使わず、リアルな呟きに留めておくべきだね。
旅は続く
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