2023年の記録
晴天のゴールデンウィーク、混雑を避け、近場を散策した時の記録。
威厳を感じる指路教会の入り口扉。
横須賀から鎌倉、保土ヶ谷(横浜市)、そして横浜へと移動した。さすがに鎌倉は、人流まで大渋滞。
紺碧の空の下、京急横須賀駅から横浜、横須賀らしい坂道を登っていったところに日本基督教団横須賀上町教会があった。外装は下見板張で尖頭アーチ型のギロチン窓を礼拝堂の各面に配置し、道路側に設けられた切妻屋根の塔屋に十字架を掲げる。1930年(昭和5年)頃の建設当時は平屋であったが、2階を居住として1950年(昭和25年)に増築している。設計は、ウイリアム・ヴォーリズの弟子、横田末吉。国の登録有形文化財。
激混みの小町通りを抜け、路地を1本入ったところに日本聖公会鎌倉聖ミカエル教会はあった。増改築が行われた外観は、建設当時の面影はほぼ無いものの昭和初期に建てられた教会堂である。内部は建設当初のままで残っているが、一般公開はされてない。日曜日の礼拝に参加すれば内部も見ることができるとのこと。
鎌倉駅(JRと江ノ電)を挟み聖ミカエル教会と点対称の位置にあるのが、日本基督教団鎌倉教会会堂である。1926年(大正15年)にハリス記念鎌倉メソジスト教会会堂として建てられた戦前のプロテスタント教会会堂の代表的建築物。稀に観光客が迷い込んで来て、壮大な教会建築を目にすると“和”の鎌倉とのイメージのギャップに驚く。しかし、敷地内の立派な松は、明らかに“和”の鎌倉を連想させる。
日本基督教団鎌倉教会附属のハリス記念鎌倉幼稚園は、1910年(明治43年)の創立。現在の園舎は、関東大震災後の1925年(大正14年)に建て直された。「梅鉢型園舎」と呼ばれ、中央に遊戯室があり、それを取り囲むように舞台と教室が配されている。教会堂とともに鎌倉市景観重要建築物等に指定されている。
激混みの鎌倉を早々に後に、これまた激混みのJR横須賀線に乗り、横浜市保土ヶ谷にある保土ヶ谷カトリック教会へ向かう。
保土ヶ谷カトリック教会は、台風による建設地の地すべりなどの障害を乗り越え、フランス出身のシェレル神父の私財、神田教会信徒からの寄付、神父母国・フランスからの資金協力により1938年(昭和13年)に竣工。設計はチェコ出身の建築家ヤン・ヨセフ・スワガー。
聖堂の建つ霞台は、建設当時には、ぶどう畑が広がり、少し前までは、古い洋館(文化住宅)が数多く建ち、磯子や鶴見などと共に“横浜第2の山手” といったところであったが、現在は、郊外の一般的な住宅地となっている。
保土ヶ谷から関内、石川町方面へは、鉄道だと一旦横浜駅を経由することになるので、多少の渋滞を覚悟して路線バス移動した。
日本基督教団横浜指路教会の現在の教会堂は、関東大震災後の1926年(大正15年)に再建されたものである。(その後の横浜大空襲で内部は、全焼している。)横浜市認定歴史的建造物
都市部の教会は、大きな道路に面しているところが多く、教会堂の撮影には制約が多い。横浜指路教会も国道16号線に面し、目の前に信号機のポールに阻まれている、おまけに訪問時は逆光。
横浜正金(しょうきん)銀行は、東京銀行(現在の三菱UFJ銀行)の前身の外国為替銀行。1880年(明治13年)設立当時、外国為替システムが未確立だった日本の不利益を軽減するよう現金(正金)で貿易決済を行なうことを主な業務としていた。
横浜正金銀行本店建物は1904年(明治37年)に竣工。東京銀行横浜支店として使われていたが、現在は神奈川県立歴史博物館となっている。国重要文化財・史跡
旧富士銀行横浜支店は、1929年(昭和4年)に安田銀行横浜支店として竣工。その後、財閥解体により安田銀行から富士銀行に行名変更、2000年(平成12年)のみずほホールディングス傘下入りを機に2002年(平成14年)に横浜市が建物取得、現在は、東京藝術大学大学院校舎として使用されている。
旧横浜生糸検査所(現・横浜第2合同庁舎)は、震災後の1926年(大正15年)に鉄筋コンクリート構造4階地下1階の2代目生糸検査所として竣工。横浜市認定歴史的建造物
神奈川県本庁庁舎は、1928年(昭和3年)竣工の鉄骨鉄筋コンクリート構造5階、地下1階で、現在も現役である。
横浜開港資料館旧館(2代目横浜英国総領事館)は、関東大震災により崩壊した初代横浜英国総領事館を1931年(昭和6年)に復興させた左右対称で直線的なジョージアン様式の鉄筋コンクリート造3階・地下1階。横浜市指定有形文化財
日本キリスト教会(日本基督教団から分離)横浜海岸教会の現教会堂は、関東大震災後の1933年(昭和8年)に献堂された。1945年(昭和20年)の横浜大空襲の際には、当時の渡辺連平牧師が、会堂の屋根にのぼって焼夷弾による建物の延焼を食い止め、会堂を守ったと記されている。その結果、会堂は窓ガラス数枚を壊しただけで大きな被害は免れたが、1945年9月に進駐軍に接収されている。1949年(昭和24年)に宗教法人「日本基督長老教会」が設立された。日本基督教団からの離脱を経て、現在は日本キリスト教会として活動している。
旧・関東財務局横浜財務事務所は、総合商社の双日の前身会社の1である日本綿花横浜支店として1928年(昭和3年)竣工。現在は、「THE BAYS」(横浜DeNAベイスターズが運営する、スポーツを軸にした複合施設)として活用されている。
激混みの鎌倉を避けて、保土ヶ谷カトリック教会訪問前にJR保土ヶ谷駅近くで昼食を摂った。
食べログで見つけたリーズナブル食堂として入ってみたのが、「天丼 天たま家」。1,000円ほどでボリューム満点の創作天ぷら(牛肉やトマト・・・・といった変わり種)の丼を頂ける。野菜天増量無料、有償パックを買えば持ち帰りもOKと、財布にも優しい。ちょっと油が強いかな、と思うところもあるが、また食べたくなる味。機会があれば再訪したい。
【メモ】
マイナンバーカードの行政ミスの騒ぎ、マスコミやSNS議論は、一服した感じ。ある意味、ブログの更新が滞って、オワコンになってしまった。それでも、行政ミスを擁護するような意見なので、「何を言っているんだ!」とお叱りを受けることを覚悟して投稿する。
「日本社会を“デジタル社会”ならぬ、“デタラメ社会にする気か? 」と非難囂々。
多くの日本国民は、日本を“先進国”だと思っているだろうが、ことデジタルに関しては、日本は“後進国”そのものだ。マイナンバーカードは、12桁の数字で、全国民の個人識別をする壮大なプロジェクトだ。“後進国”の不慣れな役人が考え、実行するのだからノーミスな訳がない。トライ&エラーで、レベルアップするしかないのだ。それを最初から「完璧に熟せ!」などと言って、ミスを許容しないと、「何もやらない、今までのまま」となって、世界が、トライ&エラーを繰り返し、日進月歩で発展する中、日本は、“後退国”になってしまうだろう。
そもそも、デジタルの世界は、ベータ版のPCソフト(アプリ)が、世にリリースされるようにエラーへの許容度が高いのだ。日本は、「不完全な商品(ベータ版)をお客様に配布(販売)するなど、けしからん!」と言っていて、世界から置いていかれちゃったのだ。
「命に関わらないぐらいのことは、大目に見てよ!」などと言ったら、お怒りの火に油を注ぐようなものだが、世界は、もっと失敗を許容しているのだ。
旅は続く
私 このマイナンバー制度 全く勉強していないので わかんないです。
批判も同調も出来ません。。。
ただ、トライ&エラーの繰り返し ってのを あまりにも恐れ過ぎ
何事も 始めから完璧を目指し過ぎるのは、怖い。恐れ過ぎ。
で、ドンドン遅れて行く。というのは、理解出来ます。
マイナスイメージのみを 報道するから みんな怖がっている
というのも 間違いなく有るでしょうね。
中国にいるMaruさんには、ご理解いただけると思っていましたよ。
日本社会は、圧倒的に完璧志向主義なんですよね、100%が不可能なのを分かっていても、「100%を目指せ!」なんですね。極論すれば、50%でもメリットの方が大きければOKなのが、中国社会じゃないかと思います。だから超高速で発展した、もちろん、その陰には、小さくない負の遺産もあるんだけど、どっちが、大きいかで割り切っている。
では、また。
私と入れ違いですね。
3年ぶりの上海は、きっと驚かれたと思います。
コメントありがとうございます。
3年ぶりの中国出張でした。
ハイ、上海中心部の道路の安全度に驚きました。
日本の方が、よほど危険です。
「監視カメラがあるから」とバカにする日本人もいますが、現実に上海の道路の方が安全なのですから何を言っても“負け惜しみ”。
何をするにも完璧を求め、完璧にできそうになければ、何もしない、といった発想だと、世界の発展から取り残されるだけですね。残念な日本!
では、また。