Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/上海銀都路

2023-10-29 20:03:44 | 旅行

2006年の記録

上海郊外銀都路のホテルに泊まった時の朝の散策。

 

 

解体目前の家屋の前をランドセルの小学生が通学していった。

 

 

当時の常宿は、蓮花路だったと思うが、なぜ、銀都路に投宿したのか記憶はない。今では、地下鉄が走り、工業団地を経て、高層住宅が建ちならぶ上海のベッドタウンとなっている。

莘庄は、上海軌道交通(地下鉄)1号線の終着駅。東京で例えると八王子のイメージか。(Zhenの個人的感想)

 

 

解体前の家屋に「轮胎(タイヤ)と連絡先の携帯番号」の広告なのか? 意味不明だが、中国では、この類は一般的。

 

 

「星海総合市場」の横断幕、ちょっと仰々しいのが中国標準で、野菜やら果物・・・・・を売る商店が軒を連ねる。もちろん、今は、小綺麗なショッピングモールになっているだろうね。

 

 

中国では、人の集まるところには、基本的に食い物屋もある。万頭(マントウ:具なしの中華まん)を蒸かして売る店は、定番中の定番。

 

 

2006年頃は、上海郊外でも、電動スクータより自転車が多かった。

 

 

タバコを咥え、開襟シャツにスラックス、革靴のイケメン。

 

 

ビニールシートを屋根にした店舗で、ニンニクとモヤシ、二品で商売しているのだろうか? なかなかの商魂。

 

 

いつでも、どこでも、中国の果物屋は、豊富な商品がならぶ。パイナップル、バナナ、ブドウ・・・・・・そして、サトウキビ。

 

 

狭い路地にも商品がならべられ、どこから来たのか、大勢の人が、早朝から集まる。中国全土で見られる朝の光景。

 

 

【メモ】

「中国・李克強前首相、10月27日に心臓発作で死去、享年68歳」 日本では、ほとんど話題にもならない。多くの日本人にとっては、引退した中国の前首相の死は、興味の対象外だろう。僕も否定しない。しかし、中国で経済活動をしてきた僕にとっては、スルーできない。

 

ネットでは暗殺説、ストレス死説など不穏な憶測が飛び交ったが、「だから、何だ」という気持ちでもある。また、鄧小平党中央軍事委員会元主席との権力対立で引退後に病死した胡耀邦元総書記の連想から天〇〇事件の再来を危惧する人もいるが、その可能性も低いだろう。

 

「リーおじさん(李克強前首相)は、まっとうな経済政策ができる中国の数少ない政治家」ということが僕の想いだ。大きな取引先を訪問すると、リーおじさん来社の写真が、誇らしげに飾られていた。(逆に中小企業には、プーさんの肖像画が掲揚されている。)

 

中国は、一党独裁であるが、トップ(総書記)1人の独裁でないことが、良かった。日本と国土、人口、民族、民度も異なる中国では、一党独裁はベストではないがベターな選択だ。その前提は、トップが、異論に耳を傾けることだ。残念ながらプーさんは大人(だいじん=度量のある人) ではなかった。リーおじさんが、その経済手腕を発揮することなく引退に追い込まれたのは、プーさんとの対立による。

 

今の中国が、肩で風を切って歩けるのは、経済力よるものだ。まちがっても軍事力ではない。経済は、重要なのだ。だからって、岸田先輩の「経済・経済・経済」発言は、「どうかな?」って思うけどね。

 

合掌!

 

 

旅は続く

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第14回

2023-10-09 18:57:29 | 旅行

 

2023年の記録

栃木県内に出張した時の記録、2回分。

 

 

新規に線路を敷設したことで話題の宇都宮ライトレール(LRT)。

構想は1987年(昭和62年)に始まったものだが、具体化したのは2013年(平成25年)。住居、職場、学校の場所をLRTがあることを前提に選定するようにならないとLRTのほんとうの価値評価はできない。評価が定まるのは、5年、10年先のことだろう。

 

居宅も職場も鉄道駅に近くても、その鉄道の運行頻度が高くなければ、クルマ通勤を選択せざるを得ない。クルマ通勤ならば、賃料や地代の高い駅チカに住む意味もなくなる。駅付近の人流が薄いと、商業施設は、駅前でなく、クルマで行くのに便利な郊外のバイパス沿いに立地する。それが、駅付近の人流をさらに薄くする。これが、クルマ社会の現実。

 

開業時のLRTの最大需要は、終点の芳賀町にある本田技研工業とその取引先業従業員の通勤需要。自動車会社の従業員が最大顧客、何とも、皮肉っぽい。

 

 

東京、浦和、宇都宮、福島、仙台、盛岡、青森を貫く東北本線は、北の大動脈、だが、宇都宮以北は、4両編成の完全なローカル線。以前は、湘南新宿ライン、上野東京ラインは、直流区間北端の黒磯まで直通運転があったが、今は、すべて宇都宮止り。宇都宮を跨ぐ人流も薄く、宇都宮以北は、10両編成(小金井以南15両、5両を切り離し増結する) だと、輸送力過剰になるのだろう。

 

 

専業農家の義父が亡くなり、住人不在となった義父宅は、“農業事務所”に。“家業”の農業をどうするか? 向こう2、3年は、親戚の叔父が、耕作してくれるので、気を使うだけだが・・・・・・。(詳細は後述)

 

 

形の悪いピーマン、基本的に味に差はないので、この類の野菜を好きなだけ消費できるのは、農家ならでは。

 

 

JR日光駅舎は1912年(大正元年)8月に落成した2代目のもので、洋風木造2階建。明治時代の面影を残す白亜の木造建築の駅として、「関東の駅百選」に選定されている。

 

 

JR日光駅から200メートルほど離れたところに東武日光駅がある。駅前広場に東武鉄道日光軌道線の100型車両が静態保存されている。

 

正直なところ、「何で、こんなところに路面電車が保存されているのか?」と、不思議に思っていた。冒頭に紹介した宇都宮LRTは、栃木県初の路面電車と思っていたほど、僕は無知だった。ああ、恥ずかしい!日光軌道線の成り立ちを知れば知るほど、自分の無知があからさまになって、「穴があったら入りたい」恥ずかしさ。

 

 

【メモ】

日本の農業の多くが、“事業” としてではなく、“家業”として営まれている。つまり、利益をあげることではなく、継承することが目的になっている。だから9割以上が兼業の零細農家だ。この体制で、グローバルに勝負ができる訳などない。そもそも、継承が目的なので、リスクを採って利益を追求する気概など、さらさらない。国の農政からして、家業の継承、零細経営の型に嵌めようとしている。

 

義父は、1台ウン千万円の農機を5~6台持っている。汎用性の高いトラクターはともかく、コンバインが稼働するのは、稲刈りと麦刈り併せても、3週間にも満たないんじゃないかな。田植え機に至っては、2週間も稼働しない。年間4日しか稼働しない農機もある。それでも、専業で、二毛作(米と麦)をしているからで、兼業ともなれば、さらに稼働率は低くなるだろう。僕のような製造業の人間からすると、信じ難い低稼働率だが、日本の農家では、一般的なことだ。

 

年間数日しか使わないならば、レンタルすれば良いと思うのは、実態を知らない人の発想だ。元々、日本列島は南北に長いので、田植えの時期は、ズレるはずだ。しかし、兼業であるため、無理にゴールデンウィークに田植えをするので、日本全国一斉になる。米国、カナダのように小麦の収穫専業者が、南から北へと移動して収穫作業をする農業ができれば、機械の稼働率は向上し、作業者の仕事量も一定する。それには、農家の大規模化(法人化)が必要になるし、所有者が散在している農地を集約しなくてはならないが、それができないように法律で縛り、兼業農家が、どうにか営農できるような保護をしている。

 

食糧安保の名のもとに補助金をバラまいても、種も肥料も海外依存の日本の農業では、イザと言う時にコメさえ確保できない。それでも、良いのは、日本の田圃が、“票田”になっているからじゃないのか? 蛇足ながら、義父も某政党の末端党員の議員だったからね。

 

 

旅は続く