<管理人より> コロナで中断していた「生協労連」の沖縄基地戦跡めぐりが今年から再開となり、コロナ前はだいたい50人くらいの参加者だったのが、今回の総参加者は89名でバス3台でめぐる取組みになったそうです。参加された日本生協連労働組合第4分会の清水徹さんが7/31の定期大会への報告としてまとめたpdfファイルを送ってくださり、先に当ネットワークのメール配信メンバーには共有されました(中間稿段階)。完成版をいただきましたので、こちらのブログでもご紹介させていただきます。ただし、画像がたくさんのご報告なので抜粋でのご紹介となります。pdfファイルのクラウド保管のURLも教えていただいたのでリンクをつけておきます。全体は是非そちらでお読みください。
【参加報告】2023/6/16-18生協労連沖縄基地戦跡めぐり報告(日本生協連労組・清水徹氏)
【生協労連沖縄基地戦跡めぐりについて】
90年代前半からコロナによる中断をはさんで約30年の歴史があります。私が専従で副委員⾧やってた頃、北参道の旧生協会館の10階に日生協労組と生協労連事務所があり、初回の企画を練る副委員⾧の鈴木さんの思いを聞きました。「フィリピンが100年続いた米軍基地を撤去した。日本もできるはずだ。」おりしも1995年米軍人による少女暴行事件がおこり、沖縄県議会では超党派で実行委員会を組織、10月21日に宜野湾市海浜公園で「米軍人による暴行事件を糾弾し、地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」を8.8万人で実施した。
【今回参加した動機】
日本政府の危険で愚かなに動き、すなわち、専守防衛などこれまでの安全保障政策を勝手に変更する安保3文書を閣議決定で改定し、米中対立を平和外交で緩和する努力もせずに(眼中に無い)
①安保3文書を閣議決定で改定し、
②敵基地攻撃能力を保有し米中対立に軍事でコミットし、
③48兆円もの大軍拡をおしすすめて国民生活をズタズタにする
事に危機感を感じて沖縄戦の歴史と現地のなかまの声に学び、戦争の実態や米中対立のなか「日本がアメリカの捨て石」になりかねないという危機感をみなさんに伝えるきっかけを得たいと思った。
もって、労働組合の平和を守る活動・戦争に反対する活動を強めたい。
《6月16日(金)琉球新報社新垣毅氏講演:安保3文書の沖縄の受け止め》
「屈辱の日」(4月28日サンフランシスコ条約によって日本から切り離された)は今も続いている
戦争と排外主義はコインの裏表
→課題は「自主外交」と「排外主義(差別/分断)」の克服
沖縄の要塞化。米軍との一体化加速。台湾有事への自動参戦(2015年安保法制の「存立危機事態」。
「攻められたらどうするか」ではなく「攻撃にいたらないためにどうするか」
有事をどう防ぐか-「自主外交」でできること 「脅威」を増幅させない、相手を「挑発」しない
「専制国家」VS「民主主義国家」ではなく、「人間の安全保障」
対話や交流で信頼を醸成する「平和の緩衝地帯」としての沖縄、そして日本。
「対米従属から脱する自主外交」 「排外主義に代る人間の安全保障」
戦争の反省とは;実相(加害性/被害性)を捉え、「愚かさ」の記憶を継承すること(平和教育)
日本政府の政策として反撃能力(敵基地攻撃能力)を持つ事を決め、軍事費を5年で48兆円に増やす。
宮古、石垣地域に自衛隊を基地を新設していく。
《6月17日(土)フィールドワーク 暴風雨のため予定変更》
大浦湾の辺野古の対岸の瀬高地区の浜 大型台船を視認
《6月17日(土)フィールドワーク 瀬高の公民館でレクチャー》
名護市議会議員 東恩納たくまさん
辺野古埋め立てに反対
アメリカでジュゴンを原告する差し止め訴訟の話。
国防省「事業の主体は日本政府」
判事:「使用するのはだれか」「米軍」
参加者と中央委員会での寄書とカンパを贈呈。
《6月17日(土)フィールドワーク 西平さん大浦湾の自然》
サンゴ礁・砂地・泥場・藻場など多様な環境に多様な生物
《6月17日(土)フィールドワーク 恩納村特別展示》
陸軍大臣の命令で沖縄では14歳で戦争に動員された
《6月17日(土)フィールドワーク 道の駅かでな》
嘉手納基地の滑走路は3600m
ベトナム爆撃したB52
戦略爆撃機に為
F16などは500m
「安保の見える丘」は道の駅の目の前にある小さな丘。北爆へ向かうB52がよく見えたという。
現在は草に覆われて基地側は見えない
《6月17日(土)フィールドワーク 嘉数高台公園 普天間基地を望む》
宜野湾市の真ん中にある普天飛行場
当日はオスプレイがいつもより少ない10機ほどが駐機。
アメリカの国内法では軍事基地を設置できない環境だと。
沖縄には、銃剣とブルドーザーで住民を追い出して作った軍事基地が存在し続けている。移設ではなく、即時撤去が求められる。
《6月17日(土)フィールドワーク 嘉数高台公園》
コープおきなわ川満さんは沖縄国際大学ヘリ墜落事件当日を目撃。日米地位協定により日本側の現場検証もできず。
現場を撮影した学生の携帯電話は米軍によって没収された!何の権限で?!
<米軍の地位協定 沖縄県発行の冊子「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&ABook」令和5年1月発行より>
《6月17日(土)ひめゆり部隊陸軍沖縄病院に240人が動員された。そのうち136人が戦没》
ひめゆりの塔
1945年沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄第一高等女学校の生徒や教師のための慰霊碑です。両校でもっとも多くの犠牲者を出したガマ(鍾乳洞)の上に建てられました。
ひめゆり平和祈念資料館
1989年6月23日、ひめゆり同窓会によって設立されました。証言映像や当時の写真、壕の実物大模型などをとおして、ひめゆり学徒隊が体験した沖縄戦の実相を伝えています。(「ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック」より)
《6月18日 6月23日とは》
6月18日夜、陸軍病院では学徒隊に「解散命令」が言い渡された。戦没した136名の86%にあたる117名が解散命令後に死亡した。解散命令は米軍の包囲網の中に生徒たちを放り出す事になり、日本軍がひめゆりたちと見捨てた日であった。
6月23日(慰霊の日)「日本軍の組織的戦闘が終わった日」などと言われる事もあるが、沖縄戦の日本軍の責任者陸軍第32軍の牛島司令官が自分は自決するが「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」と最後の命令を残した日。本土決戦の時間稼ぎを優先し、10万人の沖縄住民と9万人あまりの日本兵士を捨て石とした日。
《沖縄陸軍病院南風原壕軍20号ひめゆりが多数動員され戦没した》
《魂魄の塔》
《熊野鉱山》 遺骨眠る土砂を辺野古新基地建設に使うな!
《摩文仁の丘平和記念公園》
《韓国人慰霊塔碑文》 平和の祈念公園周辺には魂魄の塔周辺と同様に「何々の塔」が多数あります
【まとめ】
伝えたい事
軍隊は住民を守らない。軍事VS軍事の安全保障は止めさせて平和憲法に立ち戻ろう。
ウクライナ戦争。中国の大国主義・覇権主義を目の当たりにして。軍事VS軍事の安全保障はグローバル軍事企業を儲けさせるだけ。
戦争は政治失敗。外交の敗退。外交とは常に対話を、危ないところにこそ対話しにいくこと。
対米従属一辺とうで自主外交ができない日本政府の姿勢を変えるように声をあげよう。
定期大会によせて。
執行部担い手不足を嘆くなら、おきなわ・ヒロ・ナガ若手派遣などして育成に大いに投資しよう。みなさまにもお勧めします。
※写真が多く掲載されている元のpdfファイルを清水さんにmibidriveのリンクを作成していただきました。
こちら
クリックすると「ファイルをダウンロード」の画面になり、そちらをクリックするとMicrosoft Edgeなどのブラウザが「安全ではない」とか言ってきてブロックしますが、グループ外のソフトへの意地悪だということです。右端にある「・・・」の所を開いて「保存」をクリックすると自分のPC等に保存できます。そちらで写真ともどもじっくりとお読みいただくことをお奨めいたします。