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アマテラスとヒミコ

2017年10月30日 | 日記
アマテラスが岩屋に隠れたので世界は闇黒に包まれるが、神々が努力してこの神を連れ戻したので、世界は再び明るくなった。だれもがご存じの、天岩屋の話です。この背景に、魏志倭人伝に記されたヒミコのことがあると考える人たちがいます。アマテラスの岩屋隠れはヒミコが亡くなったことの、世界の闇黒はヒミコ没後の争乱の、アマテラスの復活はトヨの共立の反映とみなすのです。古事記の神話は現実の歴史がもとになっているという考え方です。

しかし、隠れている太陽をさまざまの手段で解放するという神話は、太平洋沿岸など世界各地にひろがっていて、天岩屋の話がそのヴァリエーションであることに疑いはないようです(石田英一郎「隠された太陽」)。もしヒミコとアマテラスとを同一視したいなら、ヒミコのエピソードの方こそアマテラスの神話に基づいてつくられたと考えるべきではないでしょうか。その方が無理がない。

だれがつくったか?魏志倭人伝のもとになった史料を記録した人物です。倭人の神話を、地上の女王をめぐる物語だと解釈したのです。こういう神話解釈の方法をエウヘメリズムというそうで、古代ギリシアにも類例があります(プルタルコスの『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』が岩波文庫に入ってますが、そこで実例を多く見たような気がします)。

魏志倭人伝では邪馬台国への道程や現地の風俗などが詳述されているではないか、と言われるかもしれませんが、これも作り話だったかもしれません。エウヘメリズムという用語に名をのこしたエウヘメロス(前3世紀)は、ギリシア神話の神々が過去の偉人たちのことだったと「証明」するために、架空の旅行記をでっちあげています。それと同じことがなかったとは言えますまい。

というわけで、アマテラスがヒミコなのではなく、ヒミコがアマテラスだったのです(笑)。そういうことにしときましょうよ。