知識は永遠の輝き

学問全般について語ります

インパクト・ファクターへの挑戦(Challenge to the Impact Factors)

2017-04-09 06:54:40 | 総記
 学術論文の質の定量的評価の指標として被引用数、つまり他の学術論文に引用された回数がよく使われます。多く引用された論文は、それだけ重要だという考えです。まさにウェブの記事のリンク数とか閲覧数とか様々な人気投票のようなものですね。さらに論文の集合、例えば同一論文誌に掲載された論文同一人の書いた論文についての評価の指標としてインパクトファクター(impact factor、IF)というものが考案されました。1955年に生まれたこのリバイアサンは考案者の手をも離れて、まるで信用格付けのごとくに研究者の人生をも左右しかねないまでに成長しています。

 IF値は本来は論文誌の評価を意図したものであり、IF値が高い論文誌はそれだけ多くの研究者に興味を持って読まれていることを意味します。なので論文を投稿しようとする者は、より多くの読者に読んでほしくて、なるべく高いIF値の論文誌に投稿しようとします。論文誌の側は、できるだけ多くの読者を獲得したくて自誌のIF値をできるだけ上げようとします。とはいえ、もともとIF値の低い論文誌がそれを上げることは容易ではありません。論文誌のIF値を上げるには被引用数が多くなりそうな質の高い論文を多数載せるのが常道です。そのためには投稿論文の掲載ハードルを高くしたり、投稿者とのやり取りで文章の質を高めたりという努力が必要です。しかしそもそも、もともとIF値が高い論文誌には質の高い論文投稿が集まりやすく、それがさらにIF値を上げるという正のスパイラルが働きますが、もともとIF値が低い論文誌では逆に負のスパイラルが働きます。このあたりはプロテニスやプロゴルフなどにおける国際大会同士の競争や、株式市場同士の競争に似ています。人気や格付けの高い大会には強い選手が多くエントリーし、それがますます人気や格付けを上げるという構図です。株式市場にも同じ原理が働くために、昔は多くの地方取引所もあったそうですが、いまや日本国内では東証の一人勝ちです。地方競馬の衰退も同様な原理でしょうか。

 そして現代は国際競争の時代ですから、東証と言えども安閑とはしていられません・・たぶん。東証はともかく、日本で出版されている学術論文誌は、うかうかしていれば地方競馬が衰退したごとく国際社会の中で衰退していきかねません。そのような日本発の論文誌のひとつであるSci.Technol.Adv.Mater.(STAM)(Wikipediaの解説)は物質・材料研究機構(通称NIMS)が中心となって運営する英文誌ですが、これを世界で注目される雑誌にするということで、1ちょっとだったIF値を「3以上」にすることが機構の目標として宣言されました

 ということから始まるいきさつを"化学と工業"誌2016/08号p669で有賀克彦博士が書いています。上記のごとくもともと低いIF値から上げていくことは大変なのですが、あるとき有賀博士は思いつきます。

===========引用開始=====================
「まてよ,雑誌全体の仕組みを変えるとか難しいことを考えるのではなく,単に被引用数の高い論文があればいいんじゃないかな」と思いつくと同時に,どうしても実証したくなった。IF値の算出法の詳細はここでは述べないが,ある2年間に発表された論文数に対して,それらが対象となる年に引用された数の比がIF値である。STAM誌の年間の論文数(分母)はさほど多くなかったので,それなりに引用数(分子)の多い論文を自ら書けばIF上げられちゃうんでは???「できるかな?」と思うとやってみたくなるのである。
===========引用終り=====================

 その通り。スーパースターが現れれば、その人の参加する大会は人気を集めます。ただスポーツの場合は対戦相手にも強い人がいないとうまくいきませんが、学術論文ならば投稿される論文が読まれさえすればよいのです。とはいえ投稿者なら誰もが論文の被引用数は高くなってほしいと願いつつ書いているはずで、それが簡単にはかなわないからこそせめてIF値の高い論文誌に投稿することを考えるわけです。

 やってみたくなるという科学者精神は理解できます。でも具体的にどうするんだろうと思ってしまいますが・・。

===========引用開始=====================
 世界的なエキスパートのようにさえわたった論文を書くのは難しいので,「剛よく柔を制す」が信条の私は量で勝負しようと思い立った。そこで,興味を持つ人の多い「Self-Assembly」に話題を絞り,キャビネットが満杯になるぐらいの資料を集めテキスト,図表合わせて317ページの原稿を作り投稿した。最終的に印刷ページ数96ページ,図が127,引用論文数1030の論文になった。この論文を全部英文添削してくれた共著者のジョン(Dr.Jonathan Hill)には頭の下がる思いである。たぶんすごく大変だったはず。
 こういう力作(と書いている本人が思っている)は,ふつうChem.Rev.などのハイインパクト誌に投稿するものであるが,それをあえてIF1.2の雑誌に投稿する実験を行ったのである。いい論文だったら雑誌のIFは関係ない,そのはずだ,そうでないと困る……を試してみたかったのである。結果として,刊行年の2008年の被引用数は6回であったが,2009年と2010年には88,134回引用され,雑誌のIFは2.6,3.2に上がった。難しそうに見えて,「実験してみたらできた」という率直な感触であった。その後,オープンアクセスなどの施策やいくつかのハイインパクト論文が続き,STAM誌のIFは3.5以上になっている。
===========引用終り=====================

 あまりにおもしろいのでつい全文引用しました。それもう1冊の本ですね。レビューだからそんなものかも知れませんが、量で勝負と言っても多ければ読んでもらえるというものでもありませんから(むしろ読んでもらえない方が多い?)まあ大したものです。なお、実際の論文は以下からオープンアクセスできます。
 [http://www.tandfonline.com/doi/full/10.1088/1468-6996/9/1/014109]

 さて日本化学会の2誌,Bull.Chem.Soc.Jpn.(BCSJ)Chem.Lett.の編集幹事をも務めている有賀博士は、さらに実験?を続けます。掲載論文数の少ない方のBCSJを2回目のターゲットとし、今回は質という要素も加えて挑戦しました。て、そう簡単に・・・。どうするかと思いきや、

===========引用開始=====================
「Nanoarchitectonics(ナノ建築学)」という新概念を付与するという新しい価値観を生み出してみた。
===========引用終り=====================

 投稿実験のために「新しい価値観を生み出してみた」のですか! 恐れ入りました。実際の論文は Bull.Chem.Soc.Jpn. (2012) Vol.85 のトップ記事(p1-32)です。

 結果としてこちらの実験も成功したのですが、

===========引用開始=====================
 実は,きちんとIFに対する本論文の貢献度を計算してみると,1.4から2.2へのIF値の上昇はこの論文だけの効果ではないことがわかる。同時期に,やはり引用数の多い論文がいくつかBCSJに掲載されており,それらの貢献が相まってBCSJのIF最高値を達成したのである。
===========引用終り=====================

 やはり分母が大きい場合は1つの論文だけの力では足りないらしいです。ということで、最後に思いのたけを述べていらっしゃいます。

===========引用開始=====================
 雑誌のIF向上に関しては,個人レベルの努力では大きな前進は難しいというのが実験後の正直な感想である。(中略)むしろ,実感したのは日本化学会の抱える優秀な多くの科学者が私のようなことを試みたら,どんなにすごいことが起こるか? 膨大な日本化学会会員のうちたった100人の科学者が珠玉の力作を毎年投稿したらIFは20をも超えるのではないかとも思える。
(中略)
 我々は,いかにIFの高い雑誌に論文を掲載できるかに一喜一憂している。評価や資金配分もそれに強く依存する。それは,すでにある世界の価値観に踊らされている受け身で不幸な生き方かもしれない。世界の価値観を自分で作ってこそ人生楽しいんではないかと思う。皆さんで協力して,日本化学会雑誌のIFを上げて世界に示せば皆幸せになるんじゃないかなあ……。既成のインパクトファクターに悩むよりは自分たちでそれを変えてみては???
===========引用終り=====================

 同感、力強い言葉です。どんな分野でも言えることではないでしょうか?


 さて現時点ですが、Wikipedia日本語版の記事ではIF値=3.752(2011年)で「カテゴリーの239雑誌中35番目」で、その推移はNIMSの記事にグラフ化されています。出版元の記事ではIF値=3.513(2014年)と紹介しています。ちょっと息切れ? いや余計なことでした。

 現在はトムソン・ロイター社から独立したScimago社の"Scimago Journal & Country Rank"から色々な雑誌のランキングやインパクトファクターが探せるのですがアジア地域で絞ると出てきません。それは実際のSTAMの記事では英国の雑誌とされているからです! 発行者は確かにNIMSなんですけどね。なおここで"Citations per document"として示されているグラフの2年平均の値がインパクトファクター値に当たります。グラフ右上の"+印"をクリックすると説明が出てきますので御確認ください。


 そして後の2誌は・・・。上記Scimago社のサイトから確認してください。アジアの他国の雑誌に負けているのは、やはりくやしいですね。あっ、ランキングはIF値だけを使ったものではありませんのでそのつもりで。でもBCSJの4年周期は何なのでしょう?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 名探偵デュパンの時代--(4)ポ... | トップ | 現在の長さ : 長谷川英祐『働... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

総記」カテゴリの最新記事