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名探偵デュパンの時代--(2)ポー『盗まれた手紙』より

2017-03-04 06:40:24 | 推理
 前回の続きで、世界最初の名探偵と言われるデュパンが活躍する『盗まれた手紙』から、これがが遠い昔の時代だと痛感させられる場面を紹介しましょう。以下の引用はみなパリ警視総監のG氏の言葉で、赤文字は私の強調です。


知っての通り、警察には合い鍵がそろっている。パリのどの扉も戸棚も開けられるんだ。」

 ソ連時代のロシアじゃあるまいに、20世紀以降のフランス共和国なら即スキャンダルものです。フランス革命(1789)で王政を倒したかに見えたフランスですが、ナポレオンによるクーデター政権の成立(1799)で帝政となり、ナポレオン戦争を経てウィーン体制(1815-1856)の時代となります。この時期、第2共和政(1848-1851)の4年間以外は王政または帝政だったのです。だから人民のプライバシーなど歯牙にもかけていなくても全く不自然ではないとは思えます。
 でももしかすると、人民による政府が治める合衆国(United states)で生まれ、立憲君主制の下で人民の権利が定着しつつあったイングランドに居を構えたポーの、フランス王国に対する皮肉や憶測が混じっているのかも知れません。他の作品でもフランスやヨーロッパを舞台にすることが多いのですが、作品の巻末やwikipediaの経歴を見ても長くフランスで暮らしたといった経験はなさそうなのです。
 さらに言えば、この家探しは捜査令状も取らないどころか、本人にはわからないように留守を狙ってやったのであり、現代の先進国の常識から言えば裁判所からレッドカードです。


「こっちだって名誉がかかってるんだ。それに、まあ、ここだけの内緒話だが、報酬が破格ときている。」

 パリ警視総監が私人からの報酬と引き換えに、堂々と警察組織を使って捜査を行うんだってえ [*1]! 私人とは言っても依頼者は政府要人の関係者らしく公人とも言えるのですが、捜査対象者も同じような身分です。これじゃあ警視総監は政府内の対立派閥の一方に肩入れしているとしか思えません。いや実は探偵役のデュパン自身が最後に「僕にも政治の信念というものがあってね。この件にあっては、手紙を盗まれた貴婦人の側に立っている。」と述べています。さらに「Dという男には、いつぞやウイーンで、手ひどい目に遭わされたことがある。まだ忘れたわけじゃありませんよと冗談めかして言っておいた。」とも述べています。私怨も入ってたんだ(^_^)ゲシュタポKGBなみの強力な組織を動かすパリ警視総監を味方につけている政敵と果敢にかつ巧妙に渡り合うD氏にむしろ感心してしまいそうです。パリ警視総監やデュパンはD氏のことを色々と悪く言ってますが、これは政敵の言葉だとすると割り引く必要がありそうですし。依頼者が貴婦人だからって現代の我々の基準で見て善人だなどと思い込んではいけません。依頼者の御婦人が悪人だったなんてのは探偵小説でもざらにありますし。なんて妄想をするとウラの物語が何かできそうですね(^_^)

 ところでデュパンの政治の信念とは何だったのでしょうか? 当時は国王ルイ・フィリップを擁する立憲君主制の7月王政の時代で、wikipediaの記事を読むとフィリップ政権は結構頑張ってますね。普通選挙を求める改革派と上層ブルジョワジーの利益に偏る政府側の対立などというものがあったようですが、G警視総監はむろんのことD大臣だって政権側ではありますから、両者の対立は改革派と保守派ということでもないのでしょう。ネオ・ジオンならぬネオ・ナポレオン派(^_^)。いや現実に1848年の二月革命から始まる第二共和政成立の時にルイ・ナポレオンが大統領に選ばれていますが、それはまだ先の話。まあ明君ルイ・フィリップ(と言ってもよいように思えます)の下でも色々個人的な対立があったのでしょう。

 そういえば改革派に対する政府の弾圧なんてのは、まさにG警視総監の仕事だったのでは?


「これまでに大臣は二度までも待ち伏せに遭っている。これは物盗りを装ってのことなんだが、身ぐるみ剥がすような捜索を、この目で見せてもらったよ」

 そこまでやるか! というか、そこまでやれるのか!



 それはともかくこの作品の見どころのひとつは、実はG氏の指揮による網羅的捜索の徹底ぶりでしょう。その徹底ぶりは作品の描写で楽しめますが、G氏の言葉からさわりを紹介しましょう。

「どんなキャビネットでも一定の容積というものがあって--空間内におさまるはずの分量がある。こちらには精密な定規があるんで、数百分の一インチの誤差だって見逃すものじゃない。」

 ということで秘密の隠し場所を確かめます。

「およそ家具と名の付くものの継ぎ目を、最高倍率の拡大鏡で調べつくした。いかなる工作の痕跡でも、あれば即座に検知しただろう。」

 手紙を小さくして隠せるような工作の痕跡もなかったということです。"最高倍率の拡大鏡"というのが当時はどれくらい貴重な代物かは知りませんが、科学捜査の先端手法、と言ったらオーバーでしょうか? もちろんこのさい重要なのは、倍率よりもむしろ調査する人の経験と注意力でしょうけれど。

「家具類を徹底調査してから、屋敷そのものを調べた。総面積を細分して、見落としがないように区画ごとの番号をつけた。それから一平方インチずつ見ていった。」

 考古学の発掘調査などでの定跡手順ですね。科学的調査法の標準手法とも言えますが、徹底するのはなかなか大変です。私も自宅内での失せ物捜しに活用したりしますが、さすがに区画ごとの番号をつけたりはしません。頭の中で大まかに場所を区分けするくらいですね。

 この徹底した捜索があったからこそデュパンの解決が引き立つのだし、デュパンも可能性を絞ることができたのだと言えます。しかし、『モルグ街の殺人(1841)』の初動捜査でこのような徹底した現場検証をしておけば、パリ警察もデュパンの手を借りずとも済んだでしょうにねえ。やはり報酬の違いのせいでしょうか?(^_^) [名探偵デュパンの時代--(4)ポー『モルグ街の殺人』より(2017/04/08)参照]


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*1) 「ここだけの内緒話」とことわってはいるから、堂々とではないかも知れないが。でも捜査員たちにも当然分け前は与えるだろうし、現代なら組織ぐるみの汚職だよね。

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