前回の記事(2021/03/20)の続きです。
さて我々は、例えば力学において"モノの属性"を考えるとき、モノとしては物体や質点などを想定し、それらの位置や速度や質量、さらには形や大きさや色などを属性として思い浮かべます。いわば物体や質点を主人公にしているのですが、座標と物体の相対性により座標を主人公にすればどうなるでしょうか?
3次元空間座標の各点は唯一の存在であり、各点には「物体Aの一部」「物体Bの一部」「背景の一部」というような属性が与えられているという見方ができるでしょう。つまり、座標に固定された各点が何に属しているのか、何によって占められているのかという属性です。3次元空間座標の各点は、例えば物体Aや物体B、その他、固体や液体や気体などの物質に占められていたり、なにもない真空だったりするのですが、各点を占めているモノの種類を各点の属性とする見方ということです。
その属性が時間的に変化していることを我々は"運動"と認識するわけです。同じ属性を示す点が各時刻には1点しかなく、次の瞬間の時刻には隣接する近傍の1点だけが同じ属性を示す、という現象を見て我々は、"1個の同一の質点が空間を連続的に運動している"と認識するわけです。さらに前回の記事で書いたことの繰り返しになりますが、3次元空間座標の各点の集合が互いの相対的な距離を一定に保ったまま、つまり"形"や"大きさ"を保ったままで"運動"しているとき、我々は、"1個の同一の物体が空間を連続的に運動している"と認識するわけです。
物体や質点を主人公にすれば、位置というものは物体や質点というモノの属性と捉えれられます。すると例えば、1つの同一の質点が2つの位置を持つ、という想定というか仮説を考えることも可能に見えます。しかしこれは位置を主人公にすれば、2つの異なる位置が同じ質点という同じ属性を持つという想定になります。でも2つの異なる位置の属性が"同じ値を持つ"のならともかく、2つの異なる位置を占めている質点が"同一物である"というのはどういう意味でしょうか? どう見ても、2つの異なる位置を占めている質点は異なる質点としか考えられないのではないでしょうか?
例えば2つの異なる位置を占めている質点が原子や素粒子の場合、2つの質点が同じ種類の原子や素粒子でありスピンなどの属性も同じであれば区別することはできないと考えられています。それでも、その軌道を追跡できているならば、2つの異なる軌道を描く粒子同士は異なる別の粒子だと我々は認識するでしょう。
しかしここでもし、2つの異なる軌道aとbとが一瞬交錯して互いの位置が区別できなくなり、再び2つの異なる軌道a'とb'とに別れたとします。すると元はaの軌道を進んでいた粒子がa'になったのかb'になったのかはわからなくなります。このとき、実際にはどちらかになったのだけど、それを我々は知ることができないだけだ、というのではなく、実際にa'になった状態とb'になった状態との混合状態になっているのだというのが、いわゆる絡み合い(entanglement)ということ・・になるのでしょうね。
「確率を観測する」に比べると、「確率を観測する (2)」(2021/03/20)と今回の「確率を観測する (3)」は一体何を問題にしているのか不可解に感じる人が多いかも知れません。実はさるところで、「同じ物体が2つの位置を持つ」という想定の話が出たのですが、よくよく考えるとどうも想定自体に違和感を感じだものですから、このような考察をしてみた次第です。
マクロでの話だけなら簡単なのですが、量子が絡むと歯切れが悪くなりますね。まさしく絡み合いは難しい。
ひとまず終わり
さて我々は、例えば力学において"モノの属性"を考えるとき、モノとしては物体や質点などを想定し、それらの位置や速度や質量、さらには形や大きさや色などを属性として思い浮かべます。いわば物体や質点を主人公にしているのですが、座標と物体の相対性により座標を主人公にすればどうなるでしょうか?
3次元空間座標の各点は唯一の存在であり、各点には「物体Aの一部」「物体Bの一部」「背景の一部」というような属性が与えられているという見方ができるでしょう。つまり、座標に固定された各点が何に属しているのか、何によって占められているのかという属性です。3次元空間座標の各点は、例えば物体Aや物体B、その他、固体や液体や気体などの物質に占められていたり、なにもない真空だったりするのですが、各点を占めているモノの種類を各点の属性とする見方ということです。
その属性が時間的に変化していることを我々は"運動"と認識するわけです。同じ属性を示す点が各時刻には1点しかなく、次の瞬間の時刻には隣接する近傍の1点だけが同じ属性を示す、という現象を見て我々は、"1個の同一の質点が空間を連続的に運動している"と認識するわけです。さらに前回の記事で書いたことの繰り返しになりますが、3次元空間座標の各点の集合が互いの相対的な距離を一定に保ったまま、つまり"形"や"大きさ"を保ったままで"運動"しているとき、我々は、"1個の同一の物体が空間を連続的に運動している"と認識するわけです。
物体や質点を主人公にすれば、位置というものは物体や質点というモノの属性と捉えれられます。すると例えば、1つの同一の質点が2つの位置を持つ、という想定というか仮説を考えることも可能に見えます。しかしこれは位置を主人公にすれば、2つの異なる位置が同じ質点という同じ属性を持つという想定になります。でも2つの異なる位置の属性が"同じ値を持つ"のならともかく、2つの異なる位置を占めている質点が"同一物である"というのはどういう意味でしょうか? どう見ても、2つの異なる位置を占めている質点は異なる質点としか考えられないのではないでしょうか?
例えば2つの異なる位置を占めている質点が原子や素粒子の場合、2つの質点が同じ種類の原子や素粒子でありスピンなどの属性も同じであれば区別することはできないと考えられています。それでも、その軌道を追跡できているならば、2つの異なる軌道を描く粒子同士は異なる別の粒子だと我々は認識するでしょう。
しかしここでもし、2つの異なる軌道aとbとが一瞬交錯して互いの位置が区別できなくなり、再び2つの異なる軌道a'とb'とに別れたとします。すると元はaの軌道を進んでいた粒子がa'になったのかb'になったのかはわからなくなります。このとき、実際にはどちらかになったのだけど、それを我々は知ることができないだけだ、というのではなく、実際にa'になった状態とb'になった状態との混合状態になっているのだというのが、いわゆる絡み合い(entanglement)ということ・・になるのでしょうね。
「確率を観測する」に比べると、「確率を観測する (2)」(2021/03/20)と今回の「確率を観測する (3)」は一体何を問題にしているのか不可解に感じる人が多いかも知れません。実はさるところで、「同じ物体が2つの位置を持つ」という想定の話が出たのですが、よくよく考えるとどうも想定自体に違和感を感じだものですから、このような考察をしてみた次第です。
マクロでの話だけなら簡単なのですが、量子が絡むと歯切れが悪くなりますね。まさしく絡み合いは難しい。
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