前回からの続きです。
さて『夢』での月世界への旅行方法は、精霊に連れて行ってもらうという現代から見れば非科学的方法です。それゆえ「科学的根拠に基づいた宇宙旅行を描いた物語」ということならば、『夢』ではなく、前回も紹介例に挙げた『月世界旅行記』(1656)("The Other World :The Societies and Governments of the Moon")を史上最初とするのは妥当なことだし、「宇宙開発の歴史」などを書いた書物ではそう書かれていることもあります。しかしSFとして見れば、『夢』の中で「科学で全く認められない事物」として登場するのはこの精霊たちが唯一のもので、後はすべてケプラー天文学およびその他の自然科学に基づくものばかりです。つまり『夢』は、精霊による魔法というたったひとつのSFガジェットを使っただけのハードSFなのです。『夢』における月旅行方法の扱いは、20-21世紀の多くのSFにおける超光速飛行や時間旅行とまったく変わりません。すなわち、執筆時には科学的に全く確かめられていない理論に基づいているが、その理論の成立の下では論理的に考えられている、ということです。
注釈28によればケプラーは精霊に関しては、イエズス会の神学者マルティン・デル・リオ("Martin Delrio")の『魔術の研究』(Disquisitiones magicarum, 1599年)の「魔術は北方の人々のつねであり、暗闇に住む織霊たちも北国の長い夜を待ちうけているのだ」という記述にヒントを得たということです[*1]。注釈2,11-29当たりを読むと、ケプラーはアイスランドのことは伝聞でしか知らず、一種神秘的な印象を持っていたようです。『魔術の研究』は魔女狩りの手引書に使われたそうですが、ケプラー自身は魔術や精霊というものに関する知識を得る書物として読んでいたようで、北方に伝わる魔術というものを邪悪視したりはしていなかったのです。まさに現在のファンタジー・ファンが北ヨーロッパの魔術的存在に抱くような感情を持っていたのではないでしょうか。
なお、この精霊たちは月食の時の闇(地球の影)を伝って移動できることになっていて、月食が終わるまでの制限時間内に旅を終えないといけないという、もっともらしい話になっています。
旅行法はともかく、月世界の描写、特に月面から見た天空の描写は迫真のものです。なにしろ前回も注釈4の記載として紹介したように、それこそがケプラーの執筆目的だったのですから。すなわち、月が太陽に対しても大地に対しても動いているのは明らかだが、月世界の住人から見るとそうではなく月を中心に天体が動いているように見えるということを描いてみせ、ひるがえって我々地球人も同じだという論理で地動説の真実性を主張しようとしたのです。これは自分の立ち位置を相対化して他人の立ち位置から物事を眺めてみよう、という試みで、他の天体にいる者の立場や電車・人工衛星など高速移動する乗り物内の人の立場などなら現代人にとっては自然に理解できることなのですが、体験したことがなければ、人から指摘されない限りはなかなか気付けないものです。
さて『夢』では、精霊たちや月の住人たちは月のことをレヴァニアと呼んでおり、地球(ヴォルヴァと呼ばれている)に面する半球であるスブヴォルヴァと、反対側のプリヴォルヴァに分けています。レヴァニアの1日は地球人の1か月〔正確には一朔望月すなわち二九・五日〕に等しいこと、ヴォルヴァは地球から見る月の4倍の直径に見え、それは地理上・天文上の基準点になり、ヴォルヴァの自転が時間の基準になること、などの正確な予測が並んでいます。さらには恒星天や惑星の動き、日食や地球食の様子、地球の表面がどう見えるか、など、さすがはプロの天文学者というべき描写の連続です。
しかし中には、当時の天文知識の誤りゆえのおかしな点もあります。例えば、当時は地球と太陽との距離が実際よりも1桁以上も小さく見積もられており[*2]、それゆえに「火星が2倍の大きさに見える」とされています。
また次のような描写もあります。
--------------引用開始--------------------
太陽とヴォルヴァが重なりあうので、水という水はこの半球の方に引き寄せられ(202)、そこの陸地は水中に没してわずかばかりの部分が水面から突き出るだけとなる(203)。これと反対に、プリヴォルヴァ半球では水がすっかり引いてしまうから、乾ききってきびしい寒さに見舞われる(204)。
--------------引用終り--------------------
潮汐を考えるときに陥りやすい初歩の間違いですが、ニュートン力学が数学的に整備されていない時代ですからケプラーを責めるのは酷でしょう。とはいえ地動説というものをもう一歩踏み込んで考察していれば、あるいは真相を推理できたかも知れないのですが。それでも注釈202を読めば、万有引力そのものの存在はしっかりと認識していることがわかります。
--------------引用開始--------------------
潮汐の原因は太陽と月が磁力に似たある種の力で海水を引っぱるためらしい。
もちろん、地球そのものもその上の水をひっぱっているが、これはわれわれが「重さ」と呼んでいる力である。それならば、ちょうど月が地球の水を引くのと同じように地球も月の水を引っぱると言ってはいけないことがあるだろうか。
--------------引用終り--------------------
むろんケプラーも、上記予測が地球上の潮汐では事実に会わないことは認識していて、その理由を陸地による「はね返り」に帰する仮説を注釈204で述べています。
--------------引用開始--------------------
すなわち、海洋の潮汐は、太陽および月が不在である真夜中にも、それらが存在している正午においてと同じくらい大きいのである。したがって、ここでも、われわれの海洋に見られる夜の高潮をアメリカの海岸からのはね返りのせいにしないかぎり、私の予言は成り立たないのだ。
--------------引用終り--------------------
実は宇宙SFは数多いと言えども、生命の住む衛星の描写というのはかなり稀れです。惑星の描写はあふれんばかりですが、衛星ともなると、そこから見た天空の動きも、太陽から受ける光の変動もかなり複雑になります。『夢』での描写も添付の図と訳者による訳注をじっくり参照しないとなかなか理解が難しいところがあります。このややこしさもSF作家が舞台として衛星を避ける理由のひとつかも知れません。
ただ残念ながらケプラーによる月の生態系の描写は現代から見ると物足りないものがありますが、そこまで要求するのも酷というものでしょう。しかし確かに、もしも月に水や大気があったらどんな生物が進化するのか、さらには知的生命が生まれていたらどんな文明を発達させるのかというのは、なかなかおもしろいテーマでしょう。さらには土星や木星の衛星系のようにたくさんの衛星があるようなところで発達した文明なんてのは、どんな形になるのでしょうね?
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Ref-1) ヨハネス・ケプラー;渡辺正雄(訳);榎本恵美子(訳)『ケプラーの夢 (講談社学術文庫 (687))』講談社(1985/05)
Ref-2) 『魔女狩り (岩波新書)』(1970/06/20) ISBN-13: 978-4004130208
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*1) 『魔術の研究』の原書名がRef-1とWikipediaで少し異なる。またWikipediaに従うなら「デル・リオ」ではなく「デルリオ」と記すのが正しいだろうと思われるが、Wikipedia著者たちと渡辺正雄ともしくはケプラーと、誰が間違えているのかは不明。
*2) 注釈106:「月から地球までの最大距離は、太陽と地球の距離の五九分の一」
注釈109:「その当時、私はまだ昔の人たちの説に従って、太陽までの距離は地球半径の一二〇〇倍であり、月までの距離は六〇倍であると考えていたから、軌道の比も六〇対一ではなく二〇対一にしていた。」
訳注83:「今日の天文学によれば、月までの距離が地球半径の六〇倍という値はほぼ正しいが、太陽までの距離はケプラーが考えていたよりもはるかに大きい。したがってのちになって彼が改正した六〇対一という比率も今日では約三九〇対一と改められなければならない。」
さて『夢』での月世界への旅行方法は、精霊に連れて行ってもらうという現代から見れば非科学的方法です。それゆえ「科学的根拠に基づいた宇宙旅行を描いた物語」ということならば、『夢』ではなく、前回も紹介例に挙げた『月世界旅行記』(1656)("The Other World :The Societies and Governments of the Moon")を史上最初とするのは妥当なことだし、「宇宙開発の歴史」などを書いた書物ではそう書かれていることもあります。しかしSFとして見れば、『夢』の中で「科学で全く認められない事物」として登場するのはこの精霊たちが唯一のもので、後はすべてケプラー天文学およびその他の自然科学に基づくものばかりです。つまり『夢』は、精霊による魔法というたったひとつのSFガジェットを使っただけのハードSFなのです。『夢』における月旅行方法の扱いは、20-21世紀の多くのSFにおける超光速飛行や時間旅行とまったく変わりません。すなわち、執筆時には科学的に全く確かめられていない理論に基づいているが、その理論の成立の下では論理的に考えられている、ということです。
注釈28によればケプラーは精霊に関しては、イエズス会の神学者マルティン・デル・リオ("Martin Delrio")の『魔術の研究』(Disquisitiones magicarum, 1599年)の「魔術は北方の人々のつねであり、暗闇に住む織霊たちも北国の長い夜を待ちうけているのだ」という記述にヒントを得たということです[*1]。注釈2,11-29当たりを読むと、ケプラーはアイスランドのことは伝聞でしか知らず、一種神秘的な印象を持っていたようです。『魔術の研究』は魔女狩りの手引書に使われたそうですが、ケプラー自身は魔術や精霊というものに関する知識を得る書物として読んでいたようで、北方に伝わる魔術というものを邪悪視したりはしていなかったのです。まさに現在のファンタジー・ファンが北ヨーロッパの魔術的存在に抱くような感情を持っていたのではないでしょうか。
なお、この精霊たちは月食の時の闇(地球の影)を伝って移動できることになっていて、月食が終わるまでの制限時間内に旅を終えないといけないという、もっともらしい話になっています。
旅行法はともかく、月世界の描写、特に月面から見た天空の描写は迫真のものです。なにしろ前回も注釈4の記載として紹介したように、それこそがケプラーの執筆目的だったのですから。すなわち、月が太陽に対しても大地に対しても動いているのは明らかだが、月世界の住人から見るとそうではなく月を中心に天体が動いているように見えるということを描いてみせ、ひるがえって我々地球人も同じだという論理で地動説の真実性を主張しようとしたのです。これは自分の立ち位置を相対化して他人の立ち位置から物事を眺めてみよう、という試みで、他の天体にいる者の立場や電車・人工衛星など高速移動する乗り物内の人の立場などなら現代人にとっては自然に理解できることなのですが、体験したことがなければ、人から指摘されない限りはなかなか気付けないものです。
さて『夢』では、精霊たちや月の住人たちは月のことをレヴァニアと呼んでおり、地球(ヴォルヴァと呼ばれている)に面する半球であるスブヴォルヴァと、反対側のプリヴォルヴァに分けています。レヴァニアの1日は地球人の1か月〔正確には一朔望月すなわち二九・五日〕に等しいこと、ヴォルヴァは地球から見る月の4倍の直径に見え、それは地理上・天文上の基準点になり、ヴォルヴァの自転が時間の基準になること、などの正確な予測が並んでいます。さらには恒星天や惑星の動き、日食や地球食の様子、地球の表面がどう見えるか、など、さすがはプロの天文学者というべき描写の連続です。
しかし中には、当時の天文知識の誤りゆえのおかしな点もあります。例えば、当時は地球と太陽との距離が実際よりも1桁以上も小さく見積もられており[*2]、それゆえに「火星が2倍の大きさに見える」とされています。
また次のような描写もあります。
--------------引用開始--------------------
太陽とヴォルヴァが重なりあうので、水という水はこの半球の方に引き寄せられ(202)、そこの陸地は水中に没してわずかばかりの部分が水面から突き出るだけとなる(203)。これと反対に、プリヴォルヴァ半球では水がすっかり引いてしまうから、乾ききってきびしい寒さに見舞われる(204)。
--------------引用終り--------------------
潮汐を考えるときに陥りやすい初歩の間違いですが、ニュートン力学が数学的に整備されていない時代ですからケプラーを責めるのは酷でしょう。とはいえ地動説というものをもう一歩踏み込んで考察していれば、あるいは真相を推理できたかも知れないのですが。それでも注釈202を読めば、万有引力そのものの存在はしっかりと認識していることがわかります。
--------------引用開始--------------------
潮汐の原因は太陽と月が磁力に似たある種の力で海水を引っぱるためらしい。
もちろん、地球そのものもその上の水をひっぱっているが、これはわれわれが「重さ」と呼んでいる力である。それならば、ちょうど月が地球の水を引くのと同じように地球も月の水を引っぱると言ってはいけないことがあるだろうか。
--------------引用終り--------------------
むろんケプラーも、上記予測が地球上の潮汐では事実に会わないことは認識していて、その理由を陸地による「はね返り」に帰する仮説を注釈204で述べています。
--------------引用開始--------------------
すなわち、海洋の潮汐は、太陽および月が不在である真夜中にも、それらが存在している正午においてと同じくらい大きいのである。したがって、ここでも、われわれの海洋に見られる夜の高潮をアメリカの海岸からのはね返りのせいにしないかぎり、私の予言は成り立たないのだ。
--------------引用終り--------------------
実は宇宙SFは数多いと言えども、生命の住む衛星の描写というのはかなり稀れです。惑星の描写はあふれんばかりですが、衛星ともなると、そこから見た天空の動きも、太陽から受ける光の変動もかなり複雑になります。『夢』での描写も添付の図と訳者による訳注をじっくり参照しないとなかなか理解が難しいところがあります。このややこしさもSF作家が舞台として衛星を避ける理由のひとつかも知れません。
ただ残念ながらケプラーによる月の生態系の描写は現代から見ると物足りないものがありますが、そこまで要求するのも酷というものでしょう。しかし確かに、もしも月に水や大気があったらどんな生物が進化するのか、さらには知的生命が生まれていたらどんな文明を発達させるのかというのは、なかなかおもしろいテーマでしょう。さらには土星や木星の衛星系のようにたくさんの衛星があるようなところで発達した文明なんてのは、どんな形になるのでしょうね?
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Ref-1) ヨハネス・ケプラー;渡辺正雄(訳);榎本恵美子(訳)『ケプラーの夢 (講談社学術文庫 (687))』講談社(1985/05)
Ref-2) 『魔女狩り (岩波新書)』(1970/06/20) ISBN-13: 978-4004130208
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*1) 『魔術の研究』の原書名がRef-1とWikipediaで少し異なる。またWikipediaに従うなら「デル・リオ」ではなく「デルリオ」と記すのが正しいだろうと思われるが、Wikipedia著者たちと渡辺正雄ともしくはケプラーと、誰が間違えているのかは不明。
*2) 注釈106:「月から地球までの最大距離は、太陽と地球の距離の五九分の一」
注釈109:「その当時、私はまだ昔の人たちの説に従って、太陽までの距離は地球半径の一二〇〇倍であり、月までの距離は六〇倍であると考えていたから、軌道の比も六〇対一ではなく二〇対一にしていた。」
訳注83:「今日の天文学によれば、月までの距離が地球半径の六〇倍という値はほぼ正しいが、太陽までの距離はケプラーが考えていたよりもはるかに大きい。したがってのちになって彼が改正した六〇対一という比率も今日では約三九〇対一と改められなければならない。」
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