神於山の登山道の横にある
ここは民家なんかなあ。
あまり公的施設の案内が
あるわけでもなしですが、
人はすんでいるようです。
ん?
こんなあるある川柳が張られていますよ。
「改札を通れずよく見りゃ診察券」
「厚化粧笑う亭主は薄毛症」
「恋かなと思っていたら不整脈」
笑ってしまいますねえ。
そしてまたしばらく行くと、
これはサクラ地蔵と
名付けられているみたい。
山の端の少し広い所にじっとしています。
これはなんかとても暖かくてねえ。
昔ここを訪れた訪れた後、
家に帰ってから絵にしました。
こんな感じね。
地蔵はいつもここにじっとしていて、
ここにやってくる我々を
静かに見守っています。
長い年月そうして静かに、
清らかに朽ちていきます。
しかし生きている我々は
そんな風にはいきませんね。
汚れも迷いもいっぱい抱えて、
人生を過ごしてゆきます。
まあ、それが楽しいのかもしれませんが、
その辺をあるある川柳みたいに
うまく表現できたらええんですけどね。
そんな地蔵の横を
車道のような登山路が続いてゆきます。
たまに管理のバイクや車が
通ったりするのですが、
遠くに時折和泉の景色の見える道で
ゆっくりとリハビリ登山です。
あれ?
竹林のところにタケノコの親玉が
いっぱい出ていますよ。
収穫しないのかなあ。
そして道端にはトキワツユクサが
いっぱい咲いています。
緑のきれいな葉っぱと
真っ白の花びら三枚の花が
印象的です。
でもねえ山の手でこの花を撮影すると、
露出が周囲の緑に引っ張られて
白い花がよくわかりません。
スポット露出なんかがあればいいのですが、
なかなかポケットカメラではね。
撮った写真をパソコンに取り込んで、
処理をしたら何とかここまで。
いやあ花の写真はむつかしい
ていうか自然の写真はむつかしいね。
この山の車道を登ってゆくと、
国見の森広場という公園風の
ところがあるのですが、
そこに向かって行く山道なんかも
整備されているようです。
今日はリハビリなので
山道にはあまり入ってゆきません。
アケビも多いなあ。
加工用の根茎なんかもここで
獲れないかなあとか思いつつ、
やっと広場に到着です。
ここにはトイレもあるし、
ずっと昔、ここでBBQをやったことを
思い出します。
この広場で少し休憩したら、
もう少し奥まで行きましょう。
あ、さっき登っていった車が
新設トイレの整備をしてはりますよ。
これもまた管理しないといけませんね。
地元の山の会の人たちは
結構頑張っているんだと思います。
そんな山の会の人たちが
よく活動する小屋のある
藤尾池というところが
下にありますので
見に行きましょう。
そうそうこの池のあたりは昔、
イノシシの足音を観察した
場所でしたねえ。
下に降りてゆくと、
観測小屋のような建物があります。
その奥の方に藤尾池がありますね。
このあたりでいろいろ活動しているようで、
その周りに植物なんかの
保護エリアも作っているようです。
これはホタルブクロで、
ここはちょっと珍しい
オカトラノオなんかの
生息エリアです。
これはサクラソウ科の植物で、
花の形が虎の尾に似ているから
こんな名前になっています。
このエリアもそれとなく
整備されていて、
山関係の人たちの活動が
それとなく見てとれますねえ。
時間に余裕のある人なんかは、
ここでじっとしていたら、
イノシシなんかにも
出会うかもしれませんね。
さあ、では元の道に戻って
展望台の方を向いて、
急な坂道を上がってゆきましょう。
手軽に入ってこられる山なので、
近所の家族なんかも
気軽に歩いていたりします。
続く
「神於山」。
岸和田市にある里山である。
新旧の国道170号線が南北を通り、
府道39と40号が東西を通る
そんな小さなエリアの中に、
デンとおさまる山なのだ。
そこには「神が於わす山」として
そんな名前がついている。
特に南側には数々のお寺も所在しており、
人々の信仰心を刺激する山なのかもしれない。
昔は村の中からよく見えた山である。
岸和田市の昔話では、
この山に関する話も多い。
この山にいた大蛇に嫁いだという
きれいな村の娘の話があったり、
東側にある意賀美神社が
雨降りの神様だという昔話も
残っているのだ。
特に雨降り神の話は、
地元の川の水流にも関しており、
この山全体を神としてあがめ、
自分たちの暮らしを支えている
山なんだと信仰されていたようです。
人々の暮らしと密接に
接していた里山なんですね。
かなり前にここにぶらりと行ったことがある。
その時は意賀美神社から
縦走するように歩いたのだが、
今回は足を故障した人が、
いつかまた山に登れるようにと、
リハビリをする登山がしたいということで、
ここを訪れた。
ここには足の神様も於わすかなあ。
では出かけてゆきましょう。
岸和田牛滝山貝塚線という名の
府道40号を山向いて走り、
阪和道の岸和田インターも過ぎ、
和泉4宮である積川神社を過ぎたところで、
国道170号に出る。
通称「外環」といわれる道路だ。
これを右折してしばらく走っていくと、
右手に「愛彩ランド」という
道の駅が現れる。
ここの駐車場が広大で、
そのすみっこに車をとめさせていただき、
ここから神於山へと歩いて行くことにする。
駐車場はただなんですが、
山を下りてきてから
ここの食堂で食事をいただく
という段取りですので許されるでしょう。
では歩き始めましょう。
平日というのにこの道の駅の駐車場は、
店の周り部分は結構いっぱいです。
しかもまだまだ入ってくる客がいますので、
注意して歩いてゆきます。
外環の歩道に出て信号のある交差点を
山の方にわたりましょう。
登山道は、もうそこからすぐに始まります。
ビニールハウスなんかもありますので、
民地もありそうですね。
大きな車なんか通れないような
狭い道を横の草々をかき分けながら
登ってゆきます。
そして明るく広げたところに出たら、
左上に大きな木が生えており、
その根元に「ウバメガシ地蔵」
といわれている地蔵がおられます。
ああ、ここの地蔵はなんか
とてもいい所に鎮座してはるねえ。
バックの木のパワーを放出しているような、
なんかとんでもないパワー地藏でした。
以前この山に登った時も、
コースは反対だったのですが、
下山直前にこの地蔵を見て、
とてもパワーをもらったのを思い出します。
5mくらい上部にあるんですが、
今回も上むいてしっかりと
おがんでおきましたよ。
doironは今、地元地藏の講の代表なんですが、
このうちの地蔵に向かって
人がどげさするように拝んでいるのを
二回見ました。
二回とも同じ人でしたが、
こんなに人によっては心から
信仰をしている人がいるんですね。
大事にしないとなあとしみじみ思います。
ここのウバメガシ地蔵もきっと
一杯信仰されているんでしょうねえ。
つけられた石段もしっかりしたものでは
ありませんが、ちゃんと整備されているし、
きれいなよだれかけや
花も添えられています。
管理する人、横を歩く人みんなをいたわって、
パワーを送り続けているんでしょう。
そんな地蔵さんを見ると、
そのすぐ先に掲示板のようなものがあります。
そこにある、一見民家風のおうちの
庭先のようなところです。
続く
オリンピックが始まったねえ。
全体的に質素な感じのオープニングで、
かえって今の時期は良かったかな。
自分にとってオリンピックの
思い出ってなんだろうと、
少し振り返ってみた。
それぞれのオリンピックの
顔と顔を振り返ってみよう。
自分の中のオリンピックの
最古の思い出は
やはり前回の東京オリンピックやなあ。
1964年の大会だから、
8歳の頃の思い出だ。
学校の特別教室にあるテレビを、
友達と廊下から覗いてた記憶がある。
白黒放送だったけどね。
学校もあまりテレビのない時代に、
頑張って放送を流してくれていたんやね。
印象に残っているのは100m競争。
短距離的には足の速い方だったので、
陸上の100mは注目してたな。
もともとオリンピックの
第2号ポスターで目にしていた、
短距離スタート直後の写真も
印象的だったので覚えている
ということもある。
あの時の優勝は10秒0で、
これが世界タイ記録。
すごい記録だなあと思ったが、
自分も大人になったら
あれくらいで走るんじゃないかと
思っていたかもしれません。
マラソンの円谷もわずかに印象に残っている。
すごい長い間走るんやなあと
くらいにしか思っていなかったが、
その後の生涯で100回近くも
その距離レースを走ることになるとはね。
挙句に250キロマラソンまで走るとは、
だれが想像できただろう。
人生は果てしない旅だ。
でも初めて目にした印象はとても強く、
その後のメキシコやバルセロナ
とかも記憶はほとんどマラソンだ。
そして、最も強く印象に残っているのは
2000年のシドニーかもしれない。
その時にマラソンを趣味にしていたもんね。
けっこう日本が強かったのだ。
特に女子がね。
あの高橋尚子が金メダルを取った日は、
僕も吹田の5時間耐久走で金メダルを
取ったから忘れられない。
あの日は、家に帰って結果を見よう。
だから結果は教えないでね
と思っていたのだが、
走っている最中に大会関係者が
「高橋尚子金メダル」と走り回っていたのだ。
ウヒャーうれしいけどがっかりやなあと、
大会が終わってからビールを飲んで
休憩していたら、オープンの部の優勝は
「doironさん」と放送で呼ばれたではないですか。
5時間で60kmで、
部門別ですが優勝でした(自慢)。
だから高橋尚子の金メダルと
doironの金メダルはおなじ日
ということで、歴史的に一致しているのですから、
シドニーの大会は自分が金メダルを
取ったみたいに鮮やかに覚えているわけです。
その後もオリンピックは開催されていきましたが、
その頃から自分のマラソンや
トライアスロンはどんどん距離が
長くなってゆき、なんかもう
オリンピック種目を超えてしまっているぞ、
なんていう感覚もある意味
持っていたかもしれません。
なんちゅうおっさんだったのでしょうか。
まあ今回の開会式を見つつ
そんな風にオリンピックの顔と顔をたどってみると、
やはりシドニーが僕にとっては
最も印象深い大会だったかもしれません。
今回の東京大会は、
もう自分が完全に引退してから、
そして65歳もこえてからの
オリンピックです。
ですから、また別の意味で記憶に
残るかもしれませんねえ。
あんたらもそうやけど、
自分も人生の中でできる範囲で
スポーツを楽しんできたよってね。
今回もコロナに負けずに、感動の多い
素晴らしい大会であってほしい
と願いつつ、観戦しようと思っています。
ビールがうまいやろうなあ。
しばらく参道を歩いていると、
前に橋が見えてきました。
いい雰囲気ですねえ。
この橋は鳥居橋という名です。
お寺なのにねえ、
神社みたいに鳥居橋とはこりゃいかに。
そんな橋を渡って、
本堂の方に入ってゆきます。
ではまずお参りです。
ろうそくをあげ、線香も上げ、
納め札も納めてお祈りします。
あ、賽銭も上げましょう。
普通は、開経偈をあげ、懺悔門を唱えます。
これって四国で散々唱えたから
覚えているんですけど、
毎月に御寺さんがきて、
月の奉納するときにも
この言葉は出てきますねえ。
そしてそのお経はすぐに終わり、
仏壇では別のお経が始まり、
巡礼ではここから般若心経が始まります。
え~お参り時には心の中で
それらを思い描きながら、
家内安全、健康長寿を祈るわけです。
ここの寺の巡礼では
頭痛が治ったりするようですが、
残念ながらもう10年以上
頭痛はありません。
遊びまくって頭が痛いというのと
ちょっと違いますよねえ。
あ、ミセスが旦那の遊びまくりに
頭痛を犯しているのか?
いやいやそんなことはないでしょう。
とまあ、色々と考えつつ
お参りを終えたら朱印帳を出しましょう。
「草創1300年の印もお願いしまあす。」
ここでは納経帳に
「大悲殿」と書かれます。
多いですねえ、この字を書く朱印。
お寺の朱印を書いてみたいと言ってたあゆみん、
この字を練習してくださいよ。
それにしても大きく悲しい本殿
ていう意味かなあと思ったら
違うんですね。
そんな悲しい御朱印は
ありがたくないもんね。
これは「大いなる慈悲の心で人々を見守る
本尊十一面観世音菩薩のいらっしゃるお堂」
という意味なんだそうです。
慈悲の心で見守ってくださいね~。
さあ、これで今日の目的は達成なんですが、
少しこの周辺を歩いて
昼飯を食べて帰りましょう。
車を駐車場に止めたまま、
慈悲の心で歩きモードにかえました。
今熊野観音の参道入り口のところから
入っていける、御陵をまずは
見に行きましょう。
このあたりには御陵がいくつかあり、
泉山御陵といわれています。
参道はこんなに広い道です。
この奥には孝明天皇とその女御である
英照皇太后の御陵と
四條天皇の御陵があります。
孝明天皇は明治天皇の前の天皇ですね。
そして四條天皇は1230年ごろの天皇で、
二歳で天皇になり12歳で
亡くなっています。
そのなくなる理由というのがすごい。
近習の人や女房たちを転ばせて
楽しもうと試みて
御所の廊下に滑石を撒いたところ、
誤って自ら転倒したことが
直接の原因だったそうだ。
これが四條天皇陵で
これが孝明天皇陵。
御陵を訪れるごとに、
その歴史を調べていると
いろんな出来事に
触れることができますね。
そんな御陵を出て、
今度は街中に入ってゆきましょう。
車でくぐった山門を超え、
那須与一の墓があるという
即成院を眺めつつ
歩いてゆきます。
東大路通りに出て北向いて
歩いてゆきますと、
後白河天皇が植えたといわれる
クスノキが生える
「新熊野神社」があります。
もうここには何回も来ましたねえ。
それにしても名前に
「後」のつく天皇は多いですね。
全部で28名おられます。
先ほどの四條天皇の父が
後堀川天皇ですね。
後、の前の字を持つ天皇と
志が似ていたんですかねえ。
死んでからこの天皇名が
付けられるらしいのです。
長野にいる我が息子も、
将来「後doiron」と名乗って
もらわないといけませんかね。
そのあたりで昼食を食べました。
その時は京都も緊急時多宣言だったので、
アルコールもない静かなお店でしたね。
車だから飲めませんけどね。
三十三ヵ所を周り少しずつ
歴史の勉強もした巡礼だったのでありました。
さああと少しの三十三ヵ所、
頑張って回りましょう。
折に触れ、西国三十三ヵ所を巡礼している。
西暦718年に徳道上人が
衆生の悩みを救うために、
33の観音霊場を定めて
信仰を広めようとしたことが
原点になっている。
それをもとにdoironが
一番最初に巡礼に行ったのが、
箕面にある勝尾寺だった。
ここで納経帳や納め札を購入し、
さあではここから三十三ヵ所の
巡礼を始めるぞと思い出したわけです。
たいがいは日帰りで
1寺ずつ回ったのですが、
さすがに遠方は旅行のついでに
立ち寄るなどして巡礼をしてきました。
天橋立の成相寺や岐阜の華厳寺なんかは
そうでしたね。
楽しい旅行のひと時に
静かな時間を過ごしました。
びわ湖竹生島の宝厳寺なんかは、
雨や風で船が出ず、
何回かのチャレンジで
回ることができましたねえ。
こうして平成の時代から周り始め、
今現在は28の寺を巡礼し、
番外もあと2寺
というところまで来ています。
今回はそんな残ったお寺の
ひとつである第十五番札所の
「今熊野観音」を訪れるという
旅をしてきました。
場所は京都にあります。
京都駅の東側で東光寺の
奥の方にあります。
実はここはこれまで何度か
近くを歩いたこともあるのです。
東光寺の紅葉の時とかにね。
でもねえ、巡礼を目的としないときには、
朱印を押してもらわないように
していますので、
今回初めて納経帳を持って
この寺に行くことになったのです。
では、向かって行きましょう。
京都ですし、こんなコロナの時代ですから
車で向かって行きます。
第二京阪から阪神高速京都線に入って
すぐに京都の町中に入ってゆきます。
東大路通に入ってすぐに、
狭い交差点を右折し、
山の方に入ってゆきます。
このあたりはかなり来ていますので、
もう土地勘がありますよ。
右折せずにこのまま1.5キロほど
走れば、首藤さんのお墓の
お寺に到着しますからね。
今日は右折をして急な坂道を
ぐいぐい登ってゆきますと、
道が山門に覆われています。
ああ、確かにこんなところがあったなあ。
前は歩いて通っただけだったので、
忘れていました。
でもこの奥に駐車場があるはずです。
静かな参道をゆっくりと車で走っていると、
山登りの格好をしたランナーが
走っていますよ。
そうこの辺り東山トレイルが
ありましたねえ。
以前みたいに体力が余るほど
元気だったら、こんな旅を
していたでしょうねえ。
まあ、今は高齢でもあるし、
のんびりと元気に楽しくをモットーに
暮らしていきましょう。
どんどん車で登ってゆきますと、
駐車場に到着です。
タクシーも止まっているので、
ここのようです。
木陰に車をとめて、
では今熊野観音まで
あるいてゆきましょう。
で、その今熊野観音なんですが
どんなお寺でしょう。
名前は正式には
「新那智山今熊野観音寺」といいます。
弘法大師が熊野権現より
観音像を授かり、
嵯峨天皇の勅願により
開創されたお寺です。
後白河法皇が持病の頭痛を
ここの信仰で治されたので、
こういう名前を付けたそうです。
なので頭の観音さんと知られ、
病気封じ智恵授かり所願成就の寺
として広く信仰されているお寺だそうです。
本尊は十一面観世音菩薩で、
最近はぼけ封じを祈願する人が
多いそうです。
車道を右折してから
うっそうとした木々の中を
抜けてゆきます。
木を見てみると、
紅葉の木が多いようですねえ。
きっと秋には紅葉が
素晴らしいでしょう。
まあだいたいこういうお寺は、
四季に応じた美しさを
持っていますねえ。
また次の三十三ヵ所の
二回目があれば、紅葉の頃に
来るのがいいのかもしれません。
続く