南方熊楠記念館は
こんなにおしゃれな施設だったかなあ。
なんかもっと古臭い建物だったように
思うのだが。中に入ってゆくと、
全く様子が以前と違います。
確認すると2017年に新館が
できたそうなんです。
そうかあ、先日の牧野富太郎同様に
熊楠は知ってる人は良く知っているけど、
知らない人は全く知らないという偉人です。
しかし彼の功績はあまりにも大きく、
その実績は残したいという熱い思いは
あるのでしょうね。
岬の端っこの番所山の頂上に、
白を基調とした素敵な建物が立っていました。
へえきれいになったなあと
思っていたら写真をすっかり忘れていました。残念
中に入ると、まず案内されるのが、
彼の人生を描いたビデオ鑑賞を
進められましたので、
その部屋に行くことにしました。
ちょうどビデをが始まったところです。
彼の生まれからアメリカ、
ロンドンと渡り研究をつづけたことや、
かれが熱心に学んだことなんかも
紹介されていました。
神仏混交に反対して大事な森なんかを
残したことなんかも伝えている
紹介ビデオでした。
学問の天才肌として彼が残して来た交流も、
孫文や柳田国男などもあり、
後に昭和天皇のおくわ入れで始まった
記念館の前には、
天皇の御製碑もたっています。
「雨にけふる神島を見て
紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
と刻まれています。
いやあ彼の実績も分かる
いい勉強になりましたね。
そうそう「熊楠」というのは
変な名前ですね。
彼の愛称かと思えば違うんですね。
熊野の熊とくすの木の頑丈さを
兼ねてつけられた本名なんだそうです。
残念ながら彼の子孫は途絶えています。
2000年に最後の長女がなくなったら、
その遺志を受けて田辺の彼の成果や
資料は田辺市に寄贈されたそうです。
そこは今も南方熊楠顕彰館として
残っているそうなので、
また別に機会に行きたいなあと思っています。
まあ今回はこの展示館を見て回ります。
やはりこの時に今回一番注意したのは
「粘菌」コーナです。
粘菌とは変形菌とも呼ばれ
いろんな形に変化します。
まず最初は胞子が発芽して
アメーバ状に広がります。
これは何かに張り付いている
だけではなく、梅雨のころには
集合して変形体となって
森の中をジワーと動いていくんだそうです。
やがてそれは子実体という形に変化します。
小さなキノコのような形で
群生するんだそうです。
その子実体が特徴的で、
いろんな名前がついています。
例えば「モジホコリ」や
「タチフンホコリ」「マメホコリ」などで、
たいていは何とかホコリ、
みたいな名前になっているそうです。
まあこれを外で探すとなると、
梅雨の時期に虫メガネをもって
森の中をはいずり回るような
探索になりますねえ。
近所で一人でやってたら、
変な噂になりそうです。
でもまあなんか粘菌を
見つけたいですねえ。
変異体も多そうなので
図鑑にないものを見つけたら
「ドイロンホコリ」と
名付けるのもいいかもしれません。
まあこ子の展示で季節的な生態や
形の特徴は何となく覚えましたね。
とりあえずはご近所の神於山とかで
探してみようかな。
とまあそんな感じで粘菌の勉強を
しましたよ。
雀の涙ほどですがdoironの
脳みそに残りました。
とりあえずこれで、
粘菌の扉を開く第1歩の勉強になりました。
これでまたやまで発見とかしたら
このブログで紹介することにしましょう。
今日は粘菌が住み着きそうな
こんな服装で来たのですが
季節が違いましたね。
山歩きには虫メガネが必要になりますね。
その後もずらっと記念館を見学しました。
屋上の景色が良かったですねえ。
記念館を出て元の道に戻り
とりあえずは南紀道に乗って
次の目標である古座川町の一枚岩を
目指して移動してゆきましょう。
ナビに導かれて自動車専用道に入ってゆきます。
続く
さあ、新年にもなったし
どこかにのんびり旅行でも
行こうかなあと考えており、
行く先を色々と考えていた。
そんな時に役に立つのが、
旅雑誌などだ。
この中に行きたそうなところが
特集していないかなあなどと探り、
行き先を決めていくのだ。
あまり遠いのはあきませんよ。
近畿、東海、北陸、中国地方などで探すのだ。
九州や関東以上に遠いと
本気で取り組んでゆく。
しかしまあたくさんのところにいったなあ。
なかなか、雑誌でここというところが
見つからないから厄介である。
そんな時に図書館で借りてきた
「旅の手帳」で面白い地域があるのを見つけた。
和歌山県の太地町の歩き地図である。
これは面白そうやなと心に秘めていたのだが、
じゃあここに行ってやれと決めたわけである。
そうなると、不思議なもので、
世間でクジラに関するニュースが流れ始めた。
淀川に迷い込んだマッコウクジラのニュースである。
もうなんか世間までdoironに
太地を旅しろと言ってるようなものである。
日にちをだいたい決めて、
気候が良く宿が取れれば
泊りに変更するといういつものパターンを
やめて、事前予約で旅に出ることにしたのだ。
こちらへ行くのであれば、
他にも回るところとかないかなあ
と地図を眺めていると、
そうだあの一枚岩といわれている
でっかい石のある山に行くのも
いいなあと考えた。
そしてほかにもあるよ。
ずっと前から気になっていた
「粘菌」という生き物について、
再度勉強してみようと
白浜の南方熊楠博物館にも
行ってみようと考えた。
そうそうそれから那智の西国三十三か所の
一つである青岸渡寺に朱印をもらいに
行くのもいいなあと
どんどん夢は膨らんでゆく。
そして1月の中旬に、宿を抑え
車でそのたびに出発したのだ。
和歌山ひとり旅である。
まずは最初は白浜に向かおう。
それにしても、「粘菌」というやつには
興味がある。
なにもdoironが年金暮らし
だからじゃないよ。
それはカビなのかキノコなのか
わからないような植物体かと思えば、
移動もし菌を食べたりもするので、
動物なのかとも思える様子で、
分類でさえよくわからない生物である。
あの南方熊楠が標本を採集したりしており、
探せばよく見つかる生物なんだそうだ。
中には粘菌探索ツアーなんかも
組まれるほどだ。
なのでdoironも山などを歩いていて、
なんかキノコのようなものや
ドロッと巨大なアメーバの
ようなものを見つけたら、
これって粘菌じゃないかと
思ってしまうのだが、
全く知識もないので確信が持てない。
だからそれらを見つけるためには
もう少しその姿なんかを
勉強しておく必要があるだろうという事で、
その熊楠の記念館がある
白浜へまず行くことにした。
場所は記憶にあるのでよくわかっている。
白浜の円月島を見ながら進んでゆき、
岬の先っぽの方に行けばあるはずだ。
高速を降りて田辺バイパスを通ってゆく。
白浜の白良浜のところに出たら
右折して海岸通りを進むと、
海辺に円月島が見えてくる。
何年か前にこの円月島を整理したのですが、
左右の島をつなぐ岩盤が
コンクリートで固められたようで、
見た目はかなり不細工になっている。
それらを左に見ながら進むと、
南方熊楠の案内が出てくるので左折し、
狭い道をどんどん入ってゆくと
駐車場に到着だ。
年配の方には運転しにくいような
狭くて急こう配の道だ。
でもなあ何年か前にここに
来たことはあるんですよ。
その時となんか経路が変わったり
していないかなあ。
車を止めて案内通りに歩いて
進んで行きますと、
記念館の本体が見えてきます。
ん~なんか記憶と違うぞって感じです。
続く
毎年、自分で製作しているカレンダーを、
身の回りにいる人には配ったり、
お家に届けたりしています。
こんなんいらんわという人なら
ぽいとごみ箱に捨ててもらっても
いいような小さなサイズなんで、
まあそういう人には小さな迷惑程度に
なっているかもしれませんが、
たいがいは喜んで受け取ってくれている・・
んじゃないかと思っています。
そして今年は絵の展示会に
来てくれた人々にもカレンダーを
渡すことにしました。
いつもの年より増刷ですね。
ていうか、少しずつこんな趣味についても
理解してくれる人が増えてきたので、
年々渡す人は増えているんですけどね。
そうして増刷して作ったカレンダーを
年賀状代わりに年賀郵便で送付しました。
おかげさんで、渡せた人からは
いろんな感想の声を頂戴しています。
いくつか紹介しましょう。
「このカレンダーが届いたら、
部屋がいつもの部屋になります。
ありがとう」
定期位置を作ってくれているんですねえ。
「毎月の言葉が楽しみです。
今年はSDGsなんですねえ」
ああ、よくぞ気づいてくれました。
SDGsは初めての取り組みです。
行事、月の満ち欠け、六曜、
一粒万倍日とまあいろいろと
取り組んでいます。
なのでそういう取り組みを見て
「味のあるカレンダーやったわ」
という声もいただいています。
「毎月のつぶやき言葉、
その月の生きる参考にさせてもらいます」
なんてもう知らず知らずのうちに
「つぶやき」って言葉を
使ってくれているようで、
めちゃくちゃうれしいです。
「1月から12月まで見ていて
心が元気になりました」。
あ~ありがたい。
これぞ本当にうれしい感想です。
思いは100%届いています。
実は考えている自分でさえも
それなりに言葉に力をいただいているのです。
「今年の活躍も祈念しています」
とまあ、ほんとにうれしいことばかり
言われています。
展示会にもまた来てくださいね。
中でも職場の先輩であるのんさんは、
「愉快に、のびやかに生きる楽しさ」と
「立ち止まらず歩き続けることの大切さ」
を教えてもらっています。
なんてご自分のブログに書かれていて、
もう恐縮するほどの賛辞を
いただいてるのです。
ありがたいことですねえ。
そしてこれは転倒して顔に大けがをした
ジム関連のお友達が
病室のおともにこれを
持参してくれているようです。
力になれればいいなあ。
それにしても、自分なりに
一生懸命それなりに頑張っていることで、
こんなに喜んでもらえたら最高ですね。
ほんまにありがとうございます。
まあ表に出てこない影の否定する
言葉もあるかもしれませんが、
全然そんなことなど気にせずに、
いい所だけひろって
生きていこうって思っています。
カレンダーを通じて
こちらも皆さんの声に
知恵と勇気と喜びをいただいているのです。
さあ、では今年もいろんなことに負けずに
がんばるぞと心から思っている
今日この頃のdoironなのです。
1862年に四国で生まれ、
1957年に94歳で亡くなるまで
しっかり生きた人が
間もなく世間の注目を浴びる。
その人は「牧野富太郎」博士だ。
植物の分類などに絶大な影響を及ぼし、
自分のことを「草木の愛人」とか
「植物の精」と呼んでいたそうだ。
新種ヤマトグサという植物で
初めて学名を付けて発表をしたらしい。
それ以来1500種以上の植物を命名し、
40万冊の標本を集めたという。
そんな彼がモデルになって
NHKの連続テレビ小説「らんまん」が
今年の春から放送されるように
なっているのだ。
doironは昔から野草が好きで、
働き出してすぐの頃に給料をはたいて、
この人の日本植物図鑑を買っていた。
写真ではなく、この人が描いた絵で
分類されており、それぞれの植物の
特徴を見事に捕らえている。
葉っぱが互生であるとか、
茎が四角であるとかそんな小さなことの
組み合わせで分類が決まるんだ
という事をこの人の図鑑を見て知った。
以来、写真の図鑑も買ったが、
最終的に自分が写真に写した植物の
名前の決め手はこの図鑑によるものだった。
そんな牧野氏のゆかりの土地が
各地にあるのだ。
ひとつは、彼が晩年を過ごした
住居と庭の敷地が練馬区の
「牧野記念庭園」として残っている。
また、彼の没後に寄贈された標本を
もとに設立された
「東京都立大学牧野標本館」もある。
そしてさらに彼の活躍した
東京大学の植物園である
「小石川植物園」などもあり、
それらに彼の研究の跡が見られるようだ。
今度東京に行くことがあれば、
これらの場所は訪ねたいなあ
と思っている。
で、ゆかりの地は東京だけではない。
doironのご近所の神戸にもある。
「会下山小公園」だ。
ここは神戸の資産家が資金援助のために
彼の標本を買い取り、
その標本の保管場所として
開所された跡地の公園で
「牧野公園」という名で残っています。
ここは近々行こうと思っています。
そしてやはり大きいのは
彼の生まれ故郷の近くにある
「高知県立牧野植物園」です。
四国八十八ヵ所を回っているときに、
第31番の竹林寺の駐車場の横に
その植物園はありました。
行きたかったんですよ。
ちらっとでもいいから
中を覗きたかったのですが、
ツアーですので時間がありません。
入り口をちらっと見ただけで
なくなく寄らずに帰ってきたのです。
でもねえ実は、今年の平岡珈琲の
展示会を四国八十八ヵ所をテーマに
やろうと思っているので、
そのため頻繁に四国に
行くことにしているのですが、
その中の一つとして
ここの植物園を組み入れえよう
と思っています。
doironの新たな四国八十八ヵ所の
展示会の一環なわけであります。
四国ツアーはもう今のところ
2回計画しています。
香川県と高知県。
できればあと、愛媛と徳島も
行きたいなあとひそかに
思っているわけです。
新たなdoironの取り組みと、
テレビドラマになる牧野博士の生涯。
この二つをどこかでコラボさせて、
楽しむと同時に展示会も
うまくいけばなあと
思ったりしています。
きっとあの時一緒に四国を回った首藤さんも、
あの世から「頑張れよ」と宮崎弁で
応援してくれているんだと思っています。
2、3日前から喉がいがらっぽかった。
大きな息をすると咳も出てくる。
これなら今はミーシャみたいな声では
歌えないなあと思っていたのだ。
まあ今のところコンサート出演も
ないので別に構わないのだが、
一番心配するのはコロナに
侵されていないかということだ。
まあ熱もないしなあ、
多分大丈夫だろうと
思っていたのだ。
しかし今日はねえ、
少し寒気もするぞと思い、
熱も測ってみると、
朝はミセスに指摘されて測っても
36.3度だったのが、
昼前には37.6度まで上がっていた。
こ、これはもう症状的には
コロナ感染じゃないかって感じだ。
だいたい37.5度以上は
入室できませんとか
言われていることが多いもんね。
そこからミセスとの隔離が始まった。
もう遅いかもしれんけど。
友達に言えばそれは絶対
病院行かないといけないと言っている。
確かにそうやね。
コロナだったらこの2、3日に
接触していた人にも言って
あげないといけないしね。
接触者はというと、
村上さんや藤原さんは
昨日話をしたなあ。
ジムのトレーナーもそうだ。
あの18切符のおっちゃんNさんとも
はなしをしたぞ。
それから、マージャン友達とも
話をしたなあ。
これは言わないとなあ。
文句言われるかなあ。
でも仕方ないもんね。
と思いながら、行きつけの病院に
電話をしたら11時半に
来てくださいとのことだ。
もうミセスとは離れているので、
一人で運転して出かけることにした。
車で5分もあれば着くようなところだ。
駐車場から電話をすると、
どうぞ中に入ってくださいとのことだ。
え~もしコロナだったら
感染に注意しなきゃなあと
思い入っていくと、
患者は誰もいませんでした。
あとで聞いたら11時半から
発熱患者とかを見ているらしい。
別室に通され、
ここでお待ちくださいとのこと。
その部屋にはりっぱなソファが
置かれているので、
それにふんぞりかえるように座り、
呼び出しを待った。
それにしてもこんな立派な部屋が
待合室の横にあるんや
と驚いてしまったなあ。
しばらくしたら看護士が来て
「診察室に入ってください」
とのこと。
中に入ると、医者がマスクをした上に
顔面を覆うガードを付けていた。
まあ感染防止だからこれくらいしないとね。
こちらの症状の時間的経過を
確認した後、まずは喉を見てもらった。
「う~ん、赤いですねえ」
それから胸と背中の音を聞き、
血液酸素量を見てみます。
そして「インフルエンザもはやっているので、
コロナの検査とあわせて行いましょう。
一回の採取で出来ますので。
そしたらこれで取りますよ」
と言いつつ鼻に棒を突っ込んできます。
結構奥まで入れますね。
もうまるで綿棒で脳みそを
かき混ぜられているようです。
「ではこれで15分お待ちください」と、
先ほどの応接に戻されます。
ここで、15分間いろんなことを
考えましたね。
いま、予約している四国旅は
キャンセルかなあとか
ミセスやジム友に移ってないかなあ
とかマイナスがdoironの胸や
先ほどかき混ぜられた
脳みそを走り回ります。
そして15分後、医者が入ってきました。
「すぐに入院してください」
とか言われるんかなあと思い
聞いてますと、
「検査の結果はコロナもインフルエンザも
感染していません。
鼻かぜですね」とのこと。
ほっ、やれやれです。
咳止めとタン切の薬を出しときます。
とのこと。
なあんやただの風邪かあ。
これで一安心。
感染していたらと考えていたことが
すべて杞憂に終わりました。
今日は一日布団に入って、
アイパッドでこのブログを
打つ一日でした。
ミセスにねえ貴重な一日を
無駄にしてしまったわあと嘆くと、
そんな日も必要やで
と言われてしまいました。