高野山ケーブルの終点から、
高野山のメインのところまでは
通常バスで行きます。
でも昨年から女人堂の方を通ってゆく
バス道は、通れなくなっており、
大門経由のバス道で移動をしているようです。
そんなバスもチェーンをつけて
ゆっくり走ってようやく大門を超え、
金剛峯寺のところに到着です。
そのバス停の前には駐車場があるのですが、
いつも車で溢れている満車の駐車場も
この日ばかりはガラガラです。
この金剛峯寺で多くの人が下りましたが、
doironはそのまま終点の
奥の院の方まで乗ってゆきます。
もう道路はすっかり雪だらけで、
寺によっては除雪車を走らせたりしています。
こんな機材があるということは、
高野山は標高約800mの山の盆地だから
これくらいの雪は普通に
降ったりするんでしょうね。
そしてバスは終点の奥の院の入り口に到着です。
雪の積もった歩道の駐車場で
バスを降りると、うう寒いです。
以前、ここに来た時は昼食に
精進ラーメンをいただいたのですが、
ここで周りを見ると奥の方に
食堂らしきところがいくつか見られます。
弘法大師に逢った後は、
この辺りで昼食にしようかなと
チェックをしておきました。
さあ、ではここから奥の院の
最奥にいる弘法大師のところまで
歩いていきましょう。
道は雪なんですが、それを見越して
山用の靴を履いてきているので大丈夫です。
でもまあ道の隅っこには、
参拝客が歩けるように、
簡単に雪かきがされているので
そこを歩いてゆきます。
でも途中から山の中を歩き始めると
道の整備もきっちりされていません。
そこにある地蔵にも雪が積もり、
なかなかの風情です。
靴の中にはいってくる雪を警戒しながら、
しずしずと山道を進んでいきます。
そうそう、弘法大師には
毎日2回食事が運ばれるそうです。
朝の特急に乗ってここにくると、
食事を運ぶ僧の姿が見れるのですが、
残念ながらこの時はバスが
遅れた都合で間に合いませんでした。
残念だあ。
そしてカメラの撮影なんかが
禁止されている御廰橋のところに到着です。
ここから先はカメラは使えません。
目で覚えてゆきましょう。
お堂の方を見ると、ちょっとなんか
工事の様子ですねえ。
電動工具の音も聞こえてきます。
案内を見ると、結構長期間工事を
するそうです。
お堂の上の方には上がって行けないように
なっているのですが、
弘法大師の御廰までは歩いてゆけます。
ぐるっと回ってゆきましょう。
この寺の裏の歩道は聖地です。
奥の弘法大師が入定した御廰が見えています。
線香をあげ、頭の中でお経をあげて
お祈りと感謝をあげておきました。
なかなか、天才の弘法大師には
笑われそうなことばかりですが、
頭の中の色んなことがいい方に
転がるようにしっかりと伝えておきました。
雪を踏みしめてここまで震えながら
やってきたのですから、
ご利益満載だといいですねえ。
両手を合わせてお祈りした後、
目を開けるとろうそくの明かりが
ふわっと動いたような感じでしたから、
これはきっと
「ようし、聞き留めたぞ」
という弘法大師のおしるし
だったのかもしれません。
続く
冬の雪が舞い踊る気候の中、
正月の初もうでに高野山に向かっています。
南海高野線の特急に乗り、
極楽橋から木に積もった雪も
風で舞い上がる吹雪の中、
高野山のケーブルも何とか無事に
高野山駅に到着したのです。
でもねえ、ここから高野山のメインまでは
約三キロの道のりがあり、
普通はバスで移動してゆくのですが、
そのバスが運行を停止しているそうです。
情報では凍った斜面でトラックが横になって
道をふさぐように止まっているとのこと。
これはあきませんね。
でもまあ何とか乗用車ならとおれるだろう
とのことで、人々はタクシーの方に
向っています。
仕方ないので高野に向かう人が
結束して乗っていこうとしているようです。
その群衆の中にはいっていきますと、
一人がタクシー会社に電話をしています。
聞いているとどうやら道は開通したようです。
でもタクシーに乗るなら
そこで少しお待ちくださいとのことだ。
これはもう再開するだろうと判断しました。
今からだと気温も上がるし、
高野バスなら道の雪による凍結なんかにも
きっと対応しているだろうと判断し、
再度バス乗り場へと向かいました。
通常はここでバスの一日乗車券を買います。
一往復分くらいの値段で、
お土産売り場や食堂などの割引券も
ついているのです。
早速その券を買ってバス停で待っていると、
タイヤにチェーンを巻いている
バスがやってきました。
「開通まで立って待っているのも寒いので、
バスの中でお待ちください」とのことだ。
まあ運転再開までここで待つかと、
乗って外を見ていると、
雪の中を歩いて向かっている客も
二組ほどいました。
でもねえ山道ですよ。
その凍った道を三キロも歩くの?
とかなり不安です。
昔、町石道のランニングレースに出た時も、
そこを高野から歩いたことがありますが、
途中に家や施設もない道だから
またふぶいてきたらその恰好だったら
地獄なのにと超心配です。
とまあそう思っているときに、
バスの運転手が
「どうも開通したようなので運航を再開します」
と案内が入りました。
満員のバスの客はみんなで拍手です。
タイヤのチェーンをごとごと言わせて
バスが動き始めました。
カーブを何回か回ったところで
一つの歩いているグループがいたので、
運転手が「特別ですけど乗りますか?」
と声をかけると皆さんよろこんで乗ってきました。
そしてその先でまた高齢夫婦が
歩いていたので同様に声をかけると
「ありがとうございます」と喜んで
乗り込んできました。
たぶんあのまま行ったら、
10年くらい先まで高齢夫婦の思い出話は
尽きなかったでしょうねえ。
そのあとバスが片隅に泊まっている
ところを過ぎ、バスはゆっくり
チェーンをごとごと鳴らしながら、
ようやく大門のところに到着です。
外国人なんかはここが入り口だと
降りて行ったりしていきます。
でもここから金剛峯寺迄も
かなりの距離があります。
「ああなんと日本の宗教聖地は
厳しいところなんだ」と
思ったかもしれません。
外国語に詳しい人なら
「ストップ、ストップ」と声を
かけたかもしれませんね。
みていたら、道は雪だらけですし、
溶けているところはぼとぼとです。
ここを歩くのも大変やろなあ。
続く
本日、地元の神社でとんどやきが行われた。
今年の正月のしめ縄や古いお守りなんかが
一斉に神社の境内で燃やされたのだ。
雨が降るかなあと思っていたけど、
なんとか小雨ですんで、この神事は
無事に終了したのです。
ということはまあ今年の正月も
終わりということですね。
今年もまた寒い中
初詣も含めてあちこち行きましたね。
中でも高野山にも初詣に行ったのは
印象的でした。
高野山に松の内に詣でるのを
初詣というのかは知らないけど、
まあ弘法大師に逢って、
今年も一年しっかり生きるよと
報告に行ったというわけだ。
なぜ高野に行ったかというと、
まあいろいろ考えはある。
これまでの自分の見直し、
これからの生き方のさらなる決意など
自分の心の奥底にはいろんな考えが潜んでいる。
そしてそんな中で大きなきっかけに
なっているというのが、
お得な切符の入手である。
実はここんところ夏場には
絵の展覧会をしていたのです。
でも今年は作品数が少ないので、
中止して来年開催にする予定なんですが、
この展示会に通うのに、
人にいろいろ教えてもらって
南海本線の株を買うことにしたのです。
そうすると南海本線全線に乗れる
切符(カード)が送られてくるのです。
なんとそれを使って高野に向かうと、
最終の極楽橋からのケーブルまで
無料で使えるのです。
いくらになるか調べていないのですが、
かなりお得ですねえ。
その切符を使って、今回も高野へと
出かけて行ったのです。
今日はその事を書きます。
南海本線の泉大津駅から南海本線に乗り、
難波で高野線に乗り換えます。
まあ、朝の電車の混む時間なんで、
座席指定のできる特急「こうや」がいいですね。
790円の特急券が要りますが、
まあそこは頑張って出しましょう。
この特急で行くと、橋本での乗り換えは不要です。
約1時間半で高野に到着するのです。
かつて、高野街道を歩いて高野まで
行ってますので、電車はなじみのある駅を
ぽつぽつッと止まってゆきます。
そして橋本を過ぎ、九度山を過ぎたあたりから
電車は狭い線路をゆっくりと進んでいきます。
細川を過ぎたころでしょうか。
景色が雪化粧になってきます。
そして神谷辺りはもう全くの雪国です。
人の乗り降りの少ない山の駅は、
ホームも真っ白です。
う~ん、雪の景色なんかも絵に
描いてみようかなあなんて思いつつ、
電車は極楽橋に到着です。
すると、駅の放送が聞こえてきました。
「高野の駅から高野山に行くバスは
事故のため運航を休止しています」
え~、バスがなかったらどうしていくの?
タクシーに相乗りかなあと不安が走ります。
全くそれも行けなかったら、
まあ手持ちの切符なら
このまままた帰れるけどなあとか
思ったりもしたのですが、
まあ乗客も結構数がいるし
何とかならんかなと思いつつ、
ケーブルに乗車することにしました。
雨男でもなんとかなる男ですから、
何とかなるでしょう。
最悪歩けばいいしね。
「では発車します」という案内が聞こえ、
ケーブルはガタガタと動き始めます。
もう、外はふぶいています。
その様子はスキー場でケーブルに
乗っている景色に近いです。
雪って細い枝にも振り積もるんやなあ
なんて思いながら、ケーブルは
どんどん高度を上げてゆきます。
続く
飛鳥神宮という同じ名前の神社が、
熊野のこの辺りにはいくつかあります。
これはどうも新宮の阿須賀神社から
きている神社なんですが、
そのひとつ小阪の飛鳥神社に
立ち寄ってみました。
大又川沿いにある神社で、
ここは社叢が天然記念物なんです。
道の駅の案内地図とかには
「四本杉」と書かれていました。
本殿に入ってみると、
確かに巨大な杉があります。
どの四本をそう呼んでいるのかなあ
と木々を見渡します。
すると案内板に四本杉はこちらと
書いてありますので、行ってみると、
あ、「四本杉」というのは
この木だったんですねえ。
4本の杉が一か所に固まって生えています。
四本あったのか、
それとも一本が分かれてはえたのか
よくわかりませんが、
どどーんとはえています。
これはいいものを見ましたね。
みんなで一本の木のように
力強く育っている。
人間一人よりいろんな人の力を
借りてしっかり成長しましょう
ってことなんでしょう。
なんかとってもそんな感じがしました。
そしてそんな飛鳥神社を出たら、
今回の旅の大きな目的地である
鬼ヶ城に向かいます。
そこでの出来事は海に触れた編で
書きましたね。
今回は熊野古道編なので次に書くのは
なんと七里ヶ浜編です。
獅子岩に行きますと、
七里ヶ浜がもう横に迫っています。
長い長い熊野古道が、
ここでは小さな石が転がる
海岸線でこれが約22kmも続きます。
花の窟神社により、
神社を眺めてからその海岸線に
降りてゆきます。
広い海、広大な海岸線。
道を歩いている自分がとても
小さく感じられますねえ。
釣り人も結構いるのですが、
なんとなく海岸線であそんでいる
ひとたちもいますね。
流石にお遍路をしている人が
歩いている様子はなかったです。
熊野古道伊勢路もここまで来ると、
かなり進んできましたね。
まだ先へ行きましょう。
さらに42号線を走り、
熊野古道の最初の目的地である
新宮の「熊野速玉大社」に向かいます。
熊野古道沿いにある熊野本宮大社、
熊野那智大社と並んで
熊野三社と言われるところです。
ここは人生を蘇らせるパワースポット
ともいわれています。
河川敷に車を止めて、
歩いてお参りします。
「よみがえらせんでもいいから、
より充実した人生にしてください」
と謙虚にお祈りしておきました。
熊野古道をまだまだ歩き続けて、
いつかここにお参りする日も
またあると思いますが、今日は
しっかりお参りした後は、
新宮の夢の浮島なんかも眺めながら、
いい時間をいっぱい過ごしました。
こうして、熊野古道伊勢路を旅して、
道も途中の施設なんかも眺めたうえで、
最後に熊野三社の一つにも
お詣りすることができました。
旅はこのあとも続き、
那智勝浦なんかも通りながら
楽しい旅の時間を過ごしたのでした。
この辺りは近場なので、
ほかにもクエ食べたり、温泉入ったりする
旅なんかもまだまだ楽しめますねえ。
なんか常宿みたいなところなんかも
あればいいなあとか言いながら、
さあ帰ってビール飲むぞ~と
帰宅してゆくdoiron。
海も熊野古道もそれとなく触れた
年末のとてもいい旅でした。
熊野古道伊勢路の街道筋で、
ひときわ目立っていたのが
この尾鷲神社の大クスです。
二本あり、樹齢は1000年以上で、
幹回りがそれぞれ10m、9mほどの天然記念物。
昔は尾鷲神社の本殿はこの木の横に
あったのですが、1707年の津波で流出して、
奥の方に今は建っています。
ということは、このクスノキは
そんな大津波も超えて生き続けているのですねえ。
そんな木の強さに感心しつつ、
いまからこの尾鷲のここから少し
離れたところにある
「三重県立熊野古道センター」を
尋ねようと思ったのですが、
午後四時ですからあまり
ゆっくりできないなあと思い直し、
とりあえずは海を見ようと
尾鷲漁港に向かったのです。
ま、これはこれで尾鷲の豊かな海の
景色をみれたのですが、
とても大きな勘違いをしていました。
それは、尾鷲でおいしいものを食べて
宿泊した翌日の事でした。
さあ、きょうはまた一日あちこち
尋ね歩くぞと昨日仕入れた情報をもとに
スケジュールを確認すると、
どうも時間が足りません。
仕方ないので、宿から朝早くに
出発することにしたのですが、
そんな時間に熊野古道センターが
開いているわけはありません。
一瞬どうしようかと迷ったのですが、
ほかの情報も大事なので
閉まっててもいいからそこに
行ってみるかと思い、
紀勢線の尾鷲のひとつ手前の
駅近くにあるそのセンターに
向かって行ったのであります。
海沿いをしばらく走り、
住宅街に入っていったところにある
案内でそこにたどり着いたのですが、
やはりね。
駐車場に車は一台もなくひっそりとしています。
時間はまだ朝8時前です。
海風に枯葉がぱさぱさと舞い
静かな雰囲気でまるで童話の中に
紛れ込んでいったような雰囲気ですねえ。
そこから岡に斜面につけられている
階段道を上がってゆくと、
ああ目の前にセンターが現れました。
左右二館に分かれて、
なんか熊野大社横の世界遺産センターに
よく似ているところです。
もちろん人っ子一人いません。
施設の周りを写真撮影したり、
無人の建物の中を撮影したり
しながら周りをうろうろと歩き回ります。
まあだいたい中にはいっても、
熊野古道の地図や歴史的な遺産、
あるいは地域の人々の取り組み
なんかがあるんでしょうねえ。
関係者にしたら「いやいやそんなことはないよ」
と怒られそうな感想を抱きながら、
無人の施設の周りをうろうろ歩く
高齢夫婦なのでありました。
また機会があれば訪ねていくこともあるでしょう。
さあ、ではさらに熊野古道に沿って
紀伊半島を南下してゆきましょう。
海から少し離れて進んでいくと、
地名で「飛鳥」という場所を通ってゆきます。
へえ、こういうところにも
「あすか」があるんやと思いつつ下ってゆくと、
「飛鳥神社」というのがありました。
何か奈良県の飛鳥と関係があるのかな
と思ったら、どうも新宮の阿須賀神社と
関連があるそうです。
そしてこの飛鳥神社は熊野古道に沿って、
何か所かあります。
国道横にありましたので
ちょっと寄ってみましょう。
熊野の信仰ときっと関連があるのでしょう。
続く