ハブ ア ナイス doi!その2

たまあに振り返ったことや、ちょっと考えたことを綴ってゆきます。

尾鷲旅行で熊野古道と触れた3

2025-01-11 20:45:53 | 旅行

飛鳥神宮という同じ名前の神社が、
熊野のこの辺りにはいくつかあります。
これはどうも新宮の阿須賀神社から
きている神社なんですが、
そのひとつ小阪の飛鳥神社に
立ち寄ってみました。



大又川沿いにある神社で、
ここは社叢が天然記念物なんです。



道の駅の案内地図とかには
「四本杉」と書かれていました。

本殿に入ってみると、
確かに巨大な杉があります。



どの四本をそう呼んでいるのかなあ
と木々を見渡します。



すると案内板に四本杉はこちらと
書いてありますので、行ってみると、



あ、「四本杉」というのは
この木だったんですねえ。



4本の杉が一か所に固まって生えています。
四本あったのか、
それとも一本が分かれてはえたのか
よくわかりませんが、
どどーんとはえています。



これはいいものを見ましたね。
みんなで一本の木のように
力強く育っている。
人間一人よりいろんな人の力を
借りてしっかり成長しましょう
ってことなんでしょう。
なんかとってもそんな感じがしました。

そしてそんな飛鳥神社を出たら、
今回の旅の大きな目的地である
鬼ヶ城に向かいます。
そこでの出来事は海に触れた編で
書きましたね。
今回は熊野古道編なので次に書くのは
なんと七里ヶ浜編です。

獅子岩に行きますと、
七里ヶ浜がもう横に迫っています。
長い長い熊野古道が、
ここでは小さな石が転がる
海岸線でこれが約22kmも続きます。
花の窟神社により、





神社を眺めてからその海岸線に
降りてゆきます。



広い海、広大な海岸線。
道を歩いている自分がとても
小さく感じられますねえ。



釣り人も結構いるのですが、
なんとなく海岸線であそんでいる
ひとたちもいますね。
流石にお遍路をしている人が
歩いている様子はなかったです。

熊野古道伊勢路もここまで来ると、
かなり進んできましたね。
まだ先へ行きましょう。
さらに42号線を走り、
熊野古道の最初の目的地である
新宮の「熊野速玉大社」に向かいます。

熊野古道沿いにある熊野本宮大社、
熊野那智大社と並んで
熊野三社と言われるところです。

ここは人生を蘇らせるパワースポット
ともいわれています。
河川敷に車を止めて、
歩いてお参りします。



「よみがえらせんでもいいから、
より充実した人生にしてください」
と謙虚にお祈りしておきました。



熊野古道をまだまだ歩き続けて、
いつかここにお参りする日も
またあると思いますが、今日は
しっかりお参りした後は、



新宮の夢の浮島なんかも眺めながら、
いい時間をいっぱい過ごしました。

こうして、熊野古道伊勢路を旅して、
道も途中の施設なんかも眺めたうえで、
最後に熊野三社の一つにも
お詣りすることができました。

旅はこのあとも続き、
那智勝浦なんかも通りながら
楽しい旅の時間を過ごしたのでした。

この辺りは近場なので、
ほかにもクエ食べたり、温泉入ったりする
旅なんかもまだまだ楽しめますねえ。

なんか常宿みたいなところなんかも
あればいいなあとか言いながら、
さあ帰ってビール飲むぞ~と
帰宅してゆくdoiron。

海も熊野古道もそれとなく触れた
年末のとてもいい旅でした。

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尾鷲旅行で熊野古道と触れた2

2025-01-07 20:39:31 | 旅行

熊野古道伊勢路の街道筋で、
ひときわ目立っていたのが
この尾鷲神社の大クスです。



二本あり、樹齢は1000年以上で、



幹回りがそれぞれ10m、9mほどの天然記念物。
昔は尾鷲神社の本殿はこの木の横に
あったのですが、1707年の津波で流出して、
奥の方に今は建っています。



ということは、このクスノキは
そんな大津波も超えて生き続けているのですねえ。

そんな木の強さに感心しつつ、
いまからこの尾鷲のここから少し
離れたところにある
「三重県立熊野古道センター」を
尋ねようと思ったのですが、
午後四時ですからあまり
ゆっくりできないなあと思い直し、
とりあえずは海を見ようと
尾鷲漁港に向かったのです。



ま、これはこれで尾鷲の豊かな海の
景色をみれたのですが、
とても大きな勘違いをしていました。
それは、尾鷲でおいしいものを食べて
宿泊した翌日の事でした。

さあ、きょうはまた一日あちこち
尋ね歩くぞと昨日仕入れた情報をもとに
スケジュールを確認すると、
どうも時間が足りません。
仕方ないので、宿から朝早くに
出発することにしたのですが、
そんな時間に熊野古道センターが
開いているわけはありません。

一瞬どうしようかと迷ったのですが、
ほかの情報も大事なので
閉まっててもいいからそこに
行ってみるかと思い、
紀勢線の尾鷲のひとつ手前の
駅近くにあるそのセンターに
向かって行ったのであります。



海沿いをしばらく走り、
住宅街に入っていったところにある
案内でそこにたどり着いたのですが、
やはりね。
駐車場に車は一台もなくひっそりとしています。
時間はまだ朝8時前です。
海風に枯葉がぱさぱさと舞い
静かな雰囲気でまるで童話の中に
紛れ込んでいったような雰囲気ですねえ。



そこから岡に斜面につけられている
階段道を上がってゆくと、
ああ目の前にセンターが現れました。



左右二館に分かれて、
なんか熊野大社横の世界遺産センターに
よく似ているところです。
もちろん人っ子一人いません。





施設の周りを写真撮影したり、



無人の建物の中を撮影したり



しながら周りをうろうろと歩き回ります。
まあだいたい中にはいっても、
熊野古道の地図や歴史的な遺産、
あるいは地域の人々の取り組み
なんかがあるんでしょうねえ。

関係者にしたら「いやいやそんなことはないよ」
と怒られそうな感想を抱きながら、
無人の施設の周りをうろうろ歩く
高齢夫婦なのでありました。

また機会があれば訪ねていくこともあるでしょう。

さあ、ではさらに熊野古道に沿って
紀伊半島を南下してゆきましょう。

海から少し離れて進んでいくと、
地名で「飛鳥」という場所を通ってゆきます。
へえ、こういうところにも
「あすか」があるんやと思いつつ下ってゆくと、
「飛鳥神社」というのがありました。



何か奈良県の飛鳥と関係があるのかな
と思ったら、どうも新宮の阿須賀神社と
関連があるそうです。



そしてこの飛鳥神社は熊野古道に沿って、
何か所かあります。
国道横にありましたので
ちょっと寄ってみましょう。

熊野の信仰ときっと関連があるのでしょう。

続く

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尾鷲旅行で熊野古道と触れた1

2025-01-06 20:24:24 | 旅行

昨年末に尾鷲に行ったブログを書きましたね。
そこに行くことになった大きな原因が
ミセスが、昔義父が釣りに行ってた海と
接してみたいという気持ちでした。

紀伊半島を一周するような旅をして、
途中いろんな海を見ましたねえ。
ミセスは懐かしかったというか、
父が釣りをしてたのは
こんなところかあなんて
わかって楽しい旅だったと喜んでました。

まあ嫁孝行ですね。
でもねえその旅にはもう一つ
doironが持つもうひとつの目的があったのです。
それは熊野古道伊勢路と接することでした。

と言っても歩き回るわけではないですよ。
ミセスも一緒ですからね。
そんなアクティブな目的ではなく、
熊野古道にまつわる道の痕跡や
案内板や案内施設を見ることでした。

あ、ちなみにdoironは熊野古道は
退職時から精力的に出かけて、
中辺路は淀川から全て歩いて
熊野大社に詣っています。

でも古道にはほかにも、
小辺路や大辺路もあるし、
伊勢路というのもあります。

現在は大辺路をあるいてはいますが、
小辺路と伊勢路は全く歩いていませんから、
その内容はほとんど知らないのです。
今回はその伊勢路と可能な限り
接してみようかというのも
考えていたわけです。

嫁孝行の裏に潜む、旦那のうろうろ癖の
たくらみなのでした。

熊野古道伊勢路とは、
伊勢神宮から熊野三山に参る道です。
国道42号線に沿って主に山の中を
歩く道として今も残っています。

この度でdoironがまず、
一番最初に接した熊野古道は、



紀北町の道の駅にあったこの杖です。



熊野古道始神峠の名前が入っています。
それに置かれてあった地図にも
熊野古道の名前がちらほら。



それっぽくなってきましたね。

またお土産物の売り場にも、
熊野古道の名前のついたお菓子が
いろいろ売られていますね。
お土産商品も過熱しています。

そして道の駅から出てしばらく走ると、
こんどは道の横に階段が続く道と
案内板等が立っているところを見つけました。



熊野古道伊勢路の馬越峠に
向かう登り道です。
ああ、やっと道に出ましたね、



熊野古道の片鱗が階段となってそこにあります。



この馬越峠は江戸時代には
間越峠と言われていたそうです。
それがなまって「間」が「馬」に
なったようですね。

ここも到着するととても
眺めの良い展望台があるそうです。
いつかは歩いてみたいですねえ。

そんな峠の名前にも
昔からの歴史があるとともに、
ここには江戸時代に石畳が
敷かれていてそれがとても
風情があって感心されています。

でもねえ、もっと驚くのは、
なんとこの石畳の下には、
部分的に鎌倉や室町時代に
つくられた石畳が存在しているそうです。

この辺りは雨が多く、
年間4000mmもの雨が降る地域ですから、
こうして敷かれている石畳は、
道の維持にはとても重要な役割を
果たしているんでしょうねえ。
まあなんというすごい石畳なんでしょう。

こうして旅に出て、少しずつ少しずつ、
それでも確実に熊野古道に
接していきます。

あちこちをうろうろしているうちに、
車は尾鷲につきました。

到着のお知らせをまず尾鷲神社に
しに行きます。



熊野古道近辺にあるこの神社は、
旅の安全、体の健康にとっても
効能があるそうなんです。



続く

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尾鷲旅行で海と触れた8

2024-12-19 21:10:57 | 旅行

国道42号線には、道の駅がかなりあります。
先ほど七里御浜に降りて行った駅は、
パーク七里御浜というところでした。

そこを出て次の場所を目指しましょう。
それは紀宝町というところにある
ウミガメ公園というところです。



ここまでずっと七里御浜が
道の横に続いています。
見ていると所々で釣りを
しているようですね。
義父はこの辺の海から離れた後は、
よく山あいのため池で
ヘラブナ釣りをしていたり、
アマゴ釣りなんかをしていましたから、
晩年は淡水の釣りとカメラ三昧の
人でしたのでこの時に見た
七里御浜はそんな思い出はありません。

ここではキス釣りもできそうな海なんですが、
それはしていなかったようです。
逆に自分の思い出があります。
和歌山湯浅の海にとこぶしを
取りに行ってそれでよく
BBQをしに行きました。
そんなときに長い竿で、
海岸線で横でキス釣りをしている人がいて、
さばいて天ぷらにしていましたね。
とても楽しそうでした。

なのでdoiron自身はあんな釣りなら
やってみたいなあとか
思ったこともあります。
でも結局しませんでしたけどね。

そしてこの七里御浜には
もう一つ特徴があって、
なんとここにはウミガメが
卵を産みに来るそうです。
なので海沿いにもうけられた道の駅に
ウミガメの飼育研究施設があるのは
何と全国でここだけなんだそうです。

車を降りて施設にはいってゆくと、
ウミガメが元気に泳いでいます。



意外に人なれしていて、
近寄ってゆくとこちらの方を向いて
笑顔を見せてくれます。
たぶん笑顔だと思います。
竜宮城へ返してくれというような
悲しい顔ではありませんでした。

ここでは、ウミガメに直接触れる
こともできます。



甲羅は固かったですね。
doironの海に触れる旅も絶好調です。

そうしてウミガメに触れた後は、
お待ちかねの昼食です。
別棟の食堂に行き、
海鮮丼を注文しましたよ。
あ、さすがにここにはウミガメは
入っていませんよ。
「うみがめすっぽん鍋」なんてまあ、
あったら驚きですね。

テーブルに腰かけ七里御浜の
防風林を眺めながらゆっくといただきました。



と、ここではまだビールはあきませんね。
これからまだまだ旅は続きますから
自重しておきます。

そんなウミガメの道の駅から出て、
熊野速玉大社に行ったりも
したのですがその辺のところは、
後日に「尾鷲で熊野古道に触れた」
で書いてゆきます。

海に触れたという面だと、
この先でdoironは串本の海に
行った事を書きましょう。

熊野灘は伊勢のリアス式海岸から
七里御浜の静かな海を経て、
またさらに岩で飾られた海へと
変遷してゆきます。
到着したのは、串本の「橋杭岩」です。
地殻の動きと波の感触などで、
海の上に橋杭の様な岩が
直線で並ぶところです。



これはまあなかなか見事で、
今回行ったときは今までで
最高に人の多い時でした。
この時に向うに見えているのが
潮岬と紀伊大島です。



ああ、この辺も義父が釣りに行った
と聞いたことがあると言ってましたが、
今回はもうおしまいです。

海を尋ねてのdoironの旅も
いよいよ大詰めの状態です。
三重県の海、南紀の海ありがとう。

とってもいい旅でした。

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尾鷲旅行で海と触れた7

2024-12-18 21:07:13 | 旅行

鬼ヶ城の散歩コース入り口には
観光センターがあります。
宿泊できるのかなあ。
これはちょっと不明です。
でもまあお土産屋さんが並んで
おりますので帰りには
寄って行きましょう。

その入り口のところには、
いくつか看板や地図なんかもあります。
写真を撮って、






さあでは散歩コースに入ってゆきましょう。

岩場に造られた散歩道は
結構迫力があります。
雨でも降って滑りやすくなってたら
かなり注意が必要です。

まあ、崖っぷちに接してますし、
その下は岩場と海ですから
いやでも注意しますがね。
でもまあミセスが歩けそうな
ところまでとりあえず
特徴的な岩場を進んでゆくことにしましょう。

いろんな地形があり、
名前がついていますが、



どれなのかよくわかりません。

あまりキョロキョロしてたら危険です。



でもこの地形はわかりましたね。



観光地の名前にもなっている鬼ヶ城です。



人が通れるように穴を開けたり
したのかもしれませんが、



岩が鋭く尖ったりして特徴的です。
どんな岩がどんな風や雨や波や地震で
削られたんでしょうね。
自然の力はとってもすごいです。

さらに進んでいきますと、
こんな階段や



岩場を通り、



そこから先はかなり道がハードです。



ここらで引き返しですね。
来た時と反対向いて歩いていると、
岩場の下の方の石の上で
釣りをしている人がみえました。



ああ、あそこまでどうして
降りたんだろうという感じです。
で、よく見ると別の岩の上にも
釣り人がいます。
ああ、義父もこうして釣りを
してたんやろうなあという感じです。

ミセスも鬼ヶ城の名前は
イヤというほど聞いたと言ってました。
こんなところで釣ったりしてたんでしょうね。
いやあ、これでかなりの旅の
目標は果たしましたね。

鳥羽、尾鷲湾、熊野灘の海に
触れることができました。

ミセスの満足度もあがったでしょう。

では、鬼ヶ城もさることにしましょう。
観光センターでお土産を買って、
ふたたび車で走り始めます。

この鬼が城の南側には
獅子岩というのもあります。
これです。



これらも合わせて天然記念物
と言われています。
なんとまあ、義父は風光明媚な
ところで釣りを楽しんでいたのですね。

伊勢から続くリアス式海岸も
これで終わりましたね。
でもここから先も目にしておきたい
海もあるので、もうすこし
海の景色を楽しんでゆきましょう。

熊野灘とは、昔熊野水軍が活躍した漁場でした。
リアス式海岸だけではなくて
直線型の砂丘海岸も持つ
多様性豊かな海です。



獅子岩を南に超えたら、
海岸が礫が転がる海岸線になります。
名前は七里御浜といいます。
熊野古道伊勢路にもなっている海岸は、
約25kmあり、日本で一番長い
砂礫海岸となっています。

国道42号線沿いに続く海岸線は
圧倒的に広くて大きい海岸です。

途中で海岸線に降りてみました。



うわ~広いですねえ。
こういう長い海岸線は、
鳥取でも見ましたね。
皆生から境港付近まで続く
「弓ヶ浜」もこんな感じでした。

足元を見ると、海岸の植物も多くあります。

これは「ハマゴウ」ですね。



ここをあるいたら季節に応じて
いろんな海岸植物が
咲いているんでしょうね。

さあて海岸線で遊んでいたら
そろそろお昼です。
もう少し走って道の駅を
目指しましょう。

続く

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