土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

ライナーノーツではありませんが・・・

2007-12-15 01:05:52 | 日記
なんとも言えず・・・
福音書を模した様な感じで書いてありますが、私はクリスチャンではありません。(そうなら尚更こんな事はしないでしょうが)
「赦免」は、Dateからも解る様に前に書いたものです。
この書類もまた他の場所に書き留めておいたものを、移動させたものなので最初に書いたのは夏くらいだったんじゃないかと思います。
ある人達と、その周りに居る大人達に向けて。
ですが当時の状況を見て、口出しすべきでは無い(必要が無い。色々な意味で)と判断し、ただその時思った事を書き留めておこうと残したものです。

当時は出さなかった。なら何故今。
出すべきでは無い。今も出す必要は無い様に見える、思う。なら何故。
タイトルの「赦免」は別の言葉で表せば「救済」でしょうか。

クリスマス前ですからね。

(皆)懺悔して赦免を請う。機会くらいは。

平気で嘘をつくつける人、嘘に耐えられる(逃避する)人、耐えられなくて壊れる人。
今年の漢字『偽』、は年内で終いに来年に持ち越されません様に。

覚えの無い人には(読まされて)はた迷惑な文章ですね。
お許し下さい。



神様は乗り越えられない試練はお与えにならない。
試練は自分自身が、産まれる前にカリキュラムしたもの。

とは言っても・・渦中にいる時は本当しんどいですよね。
私も早くスッキリしたいな;(って、最後は愚痴かよ;)


No.4「赦免」

2007-12-15 00:50:04 | 生き方(創作)
Date: 2007年10月21日
Subject: 赦免

自らを顧みて改めない者に闇の明くる日は来ない。

自らの非・罪を認めた『上』で、相応の罰を受け入れなければ、赦しそして救いは齎されない。


罪びとが自らに贖罪を求むる『時』周りの者達はその望むものを与えなければならない。
(『見ずふり』をしてはならない)
なぜならば、『望んでる』罰を与えられる刑を受けることに依ってのみ、履行することに依ってのみ、
罪びとは赦しの資格を得、完全に改めた後に救いが齎されるからである。

我々は皆、深いところで識っている。
我々は互いに、その望みに応えなければならない。


そして真に許しを請うべき相手は『離れた者』ではなく、『共に歩んでくれる者』である。
もし、請いたい対象が別にあるのならば、汝はその相手の望みを叶えなければ(望まないことをしては)ならない。

然れば、いつの日にか赦しの日は訪れるだろう。


しかし、自らを顧みて改めない者に『明くる闇』の日は訪れない。