土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

「やり残したものたち」(転載)

2014-03-18 19:11:30 | 夢日記/感興小説(改稿)
   「やり残したものたち」

                          本居 寝子

 音は、そこに介在したか。余りにも昔のことで……今となっては、もう思い出せない。

 数十年も前のことだ。私は一人列車に乗っていた。
 山肌の斜面を走るレールの上で、何を思うわけでもなく最初から……私はここに居た。
 何の気なしに辺りを見回してみても、私以外の者の姿は見えない。ボックス席の向かいには客は居らず、南に面した窓からは、少しばかりの後ろと前(まえ)が見て取れるだけで、この車両の外(ほか)は解らない。
 見えるのは、この中と、左に見えてくる前(さき)ばかりで。代わり映えのない景色を、いつからか、私はずっと眺めている気がした。
 列車は緑の中を抜けていた。山肌と木々の間に挟まれて、いったい今は……どこだろう。いつになったら、着くのだろう。ぼんやりと、そんなことを考えていた。
 そうして、どれくらいそこに居たのだろう。緑の稜線が切れる時が遂に来た。
 溢れん力が突如として現れた。それは永く「穏やか」に慣らされた目には、余りに濃密な色だった。水平線も地平線も空の境さえも、色が全てを圧倒した。

 黄色。底が覗けないほどの、どこまでも不透明な黄色が遥か広がる。前(さき)の前まで埋め尽くす、鮮やかな色を湛えたそれは、河だった。
 光は黄金(こがね)だけを跳ね返し、外(そと)の景色を消し去った。全てが黄色に覆われて、私は窓に全てを奪われた。時間も距離も消え去った世界の中で、私は二つの目になっていた。
 果てのない色の……その中で。やがて、一つの色が浮かび上がった。白い、それは真っ白な水瓶だった。
 彼方に在った白は次第にそれと、水瓶には不釣り合いな大きさと、知らしめす。
 瓶の三分の一のほどの身丈か、汀には女達が、浸かった瓶の傍らでは、女達が洗濯をしていた。袖を、長い裾を膝の上までたくし上げ、笑い合い、互いに自らの持ち物を黄色の中に濯いでいた。
 黄色は、洗う足も着物も、濃いその中に見え隠れさせるだけで何も、白さえ染めていなかった。
 何故だろう、何もかも圧倒するほどなのに。染めようとしない色。
 何故だろう、何もかも圧倒するほどなのに。何にも染まらない色。
 私は、そんな思いに捕われた。
 いつしか、女達は消えていた。

 そして。溢れんばかりの光の中で、全ては輪郭を失い、融ける境界線の中に再び奪われていく。黄色の、白と黄色の境界線に。
 白と黄色の、境界……
「これは!」
 いつの間にか向かいの席にいた私は思わず列車を止めていた。
 あれは?
 胸が騒ぐ。手を当てる。鼓動が伝わる。
 あれは? あの色は、温かいのだろうか、冷たいのだろうか。
 あの色はオレンジの鮮やかな香りが、味がするのだろうか。
 あれは……
 開けた扉から斜面を見下ろして。深く息を吸い込んで。
 列車を止めた私は、湛える色の中へ降りて行った。
 列車も線路も消えていた。
 
 ……私は。

 そして今、私は泳いでいる。東の空を泳いでる。

2009.8.31「Open Sesame」初出。
http://pub.ne.jp/nekome9_1/?entry_id=2389434

2014.3.18 修正・改稿。

《Plala Broach「土手猫の手」2014.3.18》