文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

「MAD」的シック・ジョークを標榜 『いじわる教授』『スリラー教授』

2020-04-07 21:08:42 | 第2章

アメリカのエンターテイニング・コミックスから刊行された由緒あるカートゥーン・マガジン「MAD」。

ポリティカルや警察組織の腐敗、平和運動のヒポクラシー、アメリカ大統領や一部知識階級への痛烈な皮肉といった、パロディーとブラックユーモアを身上とする毒々しいカリカチュアに貫かれた「MAD」の諸作品に多大な影響を受け、背徳性と不気味さに満ちたシックジョークとも言うべきバッドテイストな笑いを日本の土着に合わせ、赤塚流にアプローチしたシリーズもある。

「ボーイズライフ」に連作として発表された『いじわる教授』(65年7月号~12月号)と『スリラー教授』(66年1月号~3月号)がそれだ。

小、中学生以上の高学年齢層に照準を合わせ、道徳観やタブーを挑発する不健全な笑いを意識しつつも、『いじわる教授』に関しては、キャラクター、アイデア共に子供漫画のテイストから脱却したとは言い難く、意識的にコモンセンスを排斥するかのような苦心惨憺の跡が、エピソード全般から見て取れる。

しかしながら、続く『スリラー教授』では、前主人公のいじわる教授を遥かに上回る悪魔性と頽廃性を備えたサディスティックなキャラクターを主人公に迎え、その彼が市井の人々を悪戯を超えたショッキングな混乱に陥れるという、人間の根源的感情を震撼させるような、倒錯的でドス黒い笑いを奔流とした新たな赤塚ワールドへと発展させていった。

受け手にカタルシスやシンパシーといった共感共鳴となって余りある要素が介在しなければ、笑いとしては成立し難いダーティーなブラックジョークであるが、不条理とスラップスティックが渾然一体となったサイレントとの二重の構造を把持することにより、とかくグロテスクに陥りがちなテーマに、読み手にとって安全装置ともいうべきナンセンスへと還元する虚構性を与えた。

その結果、そうした危うい紙一重のバランス感覚が、恐怖を笑いへと変える絶妙な緩和作用を孕んだ痛快さを逆説的にもたらすこととなり、冷笑的で捻れたユーモアを紡いだドラマでありながらも、読む者に生理的嫌悪感を抱かせない主要因となったのだ。

また、『スリラー教授』には、人間の血液を燃料とし、戦闘機の撃墜マークよろしく、事故記録マークをサイドドアに刻んで走るクライスリーSSS(スリラー・スポーツ・セブン)かんおけボディなるクラシックカータイプの愛車も影の主役として登場。ウィアードな嗜好性が一杯に注がれた何とも悪趣味なマシンであるものの、そのデザインには、思わず吹き出さずにはいられない意表を附くアイデアと、不思議とスタイリッシュな格好良さが加味されており、ニューモデルのスポーツカー特集など、最新の自動車情報を逸早く取り入れ、中高生の支持を集めていた掲載雑誌のパブリックイメージに歩み寄りつつも、その対象を禁忌に触れた笑いに転成させるあたりに、赤塚漫画らしい心沸き立つ遊びの精神を汲み取ることが出来る。

オブジェクティブな視点を損なわないことで、ブラックジョークの構造理論を明確に打ち立てた赤塚は、『スリラー教授』を皮切りに、人間のネガティブな側面をオーバーに誇張することで、ウェットの入り込む余地を与えない、人間のリアルな性癖や性格といった心理のメカニズムを浮き彫りにするドライな諧謔をその後続々とサンプリングしてゆく。