各話、高水準な様式美的展開に統一され、丁寧に練り上げられた演義と、巧妙に仕組まれたプロットを辿ったストーリーテリングに心弾まされる『アッコちゃん』であるが、1964年1月号に掲載された「われた鏡とお正月」は、秩序立った筋立てに立脚したスタンダードな構成を主軸にしつつも、二転三転するアクションを連続させ、起伏を付け加えた敏捷なドラマ展開を磐石に、些末な枝葉に至るまでドラマの興奮を宿すという、赤塚の物語作家としての絶対的スキルを最大出力で指し示した傑作だ。
元旦、晴れ着を纏い、モコの家に遊びに行ったアッコは、モコとガンモ、タマ男(『おた助くん』のレギュラーキャラ)とカルタ取りをして遊ぶことになるが、そこで悪ガキ三人の意地悪なチームプレイにより、惨敗を喫する。
屈辱を舐めることとなったアッコは、モコとモコの母親が出掛けることを見計らい、モコの母親に変身。悪ガキ三人に、香辛料たっぷりの激辛料理を振る舞い、溜飲を下げるが、何と、逃げ出したガンモに、思いも掛けぬアクシデントから、庭の植え込みに隠しておいた魔法の鏡を割られてしまう。
魔法の鏡を割られ、元の姿にも戻れず、途方に暮れるアッコの前に、再びサングラスを掛けた鏡の国の使者が現れ、涙するアッコにきつくお灸を据えた後、魔法の鏡と同じ効き目を持つ小さな手鏡を手渡す。
小さい方が持ち運びに便利だと、歓喜するアッコだったが、その帰り道、氷の張った川で遊ぶガンモと再び遭遇。またしても大喧嘩になってしまう。
そして、ガンモが暴れ出した瞬間、氷が割れ、ガンモは川にはまって溺れ出す。
必死に助けを求めるガンモを放っておけず、自らも川に飛び込み、ガンモを無事助け出すアッコだったが、一件落着かと思いきや、今度は貰ったばかりの手鏡を川の中に落としてしまっていた。
その夜、意気阻喪の中、一人部屋で項垂れるアッコの前に、川に落とした筈の手鏡を持った鏡の国の使者が、またしても現れる。
ガンモの命を救ったご褒美に、手鏡を川の中から探し出してきてくれたのだ。
鏡の国の使者の優しさに触れ、心を入れ換えたアッコは、新しく貰ったこの手鏡を、これからは今まで以上に大切に扱おうと、心に誓うのであった……。
無駄なく切り詰められたページ数の中で、きっちりとドラマを見せる抜群の構成力、読み手の不安感や緊張感を倍加させる劇的なメインエピソードもさることながら、我執から離れた慈悲慈愛の精神の実践といった重々しいテーマを掬い上げ、アッコの思考や行動を通し、大乗仏教で言うところの自他不二のメンタリティーを読者に自己発見させるべく、テーゼとしてドラマに織り混ぜた作劇の公理性は、初期の赤塚少女漫画に通底する、あざとさは無縁なヒューマニティーの発露を原点に据えたものと捉えて然るべきであろう。
何故なら、本編における、源泉の激情を掘り起こしたアッコのキャラクター描写に見るリアリズムが、その全てを物語っていると言っても過言ではないからだ。
そうした道徳的美質に根差した作家的欲求を鑑みても、まさに本作は、良質なリタラチャーの叡智さえも感じさせる得難いエピソードになり得ていると言えないだろうか……。