アッコの人間的な更なる成長を、恋に恋する淡い異性への憧憬を横軸にハートフルな視点で描いた「おにいさんがほしい」(64年4月号)も、読者 の心を引き付ける印象深い一編である。
ある日、アッコは、友人のケイ子がお兄さんと仲睦まじくしているのを見て、自分にも素敵なお兄さんがいたらいいのに、と漠然と思っていた。
そんな時、アッコの家の二階部屋に小林という大学生が下宿することになる。
ハンサムで優しい小林青年は、まさにアッコが想い描いた理想のお兄さんで、アッコはそんな小林青年にほのかな恋心を抱く。
アッコは、小林青年に遊んでもらいたい一心で、彼に自分を何処かに遊びに連れて行ってくれたら、ママが今月の家賃を千円負けると言っていたと、つい嘘を附いてしまう。
小林青年は、喜んでその申し出を快諾し、アッコと、途中でバッタリ会ったカン吉を連れて、三人で遊園地に遊びに行くが、小林青年に嘘を附いてしまった良心の呵責から、アッコの気持ちは全く踊らない。
家路に就いた時、アッコは、小林青年に嫌われることを覚悟で、遂に、本当のことを話す。
アッコの嘘などとっくに見抜いていた小林青年は、部屋代を既にママに払っており、自らのポケットマネーで、アッコ達を遊びに連れて行ってくれたのだという。
小林青年は、嘘を附いていたことを正直に語ったアッコを、寛容な眼差しで慈しみ許す。
そして、二人は本当の兄弟のように絆を深めるとともに、アッコは小林青年に一層憧れを強めてゆく……。
普遍的な初恋における、初期衝動的な熱情を描いたものではないが、異性への憧れに目覚めたアッコの心の奥底で揺れ動く緩やかな心情の変化が微温的に描出され、アッコの小林青年に対する純粋な慕心そのものが、後期幼少期から思春期へと至る成長の過程を直截的に表すなど、恋と呼ぶには、まだ幼くこの小さなロマンスをしっとりとした趣で綴った本作は、今一歩、アッコを新たに大人の階段へと導く貴重なエピソードに成り得ている。
このように『アッコちゃん』には、ハートフルなメルヘン風ファンタジーの衣を纏った世界観を創出しつつも、原作版においては、アッコの姿や行動にローティーンを迎える直前の女の子が必然的に直面するであろう重要な人生の課題が、取り分け強く写し出された回もあり、そうした等身大のヒロイン像そのものが、少女読者のインタレストを呼び起こすと同時に、その琴線に並々ならぬシンパシーを響かせる促進因子となったことに疑いの余地はないだろう。
そして、一切の混じり気のない純真で正しきを尊ぶ想いから、献身的で、ややもすれば自己犠牲的な慈愛を貫き通し、大きな危険や困難と対峙しながらも、人を守り、助け、時には生きる勇気を促すといった、より次元の高い解決を得ることにより、アッコもまた、心的発達を遂げ、自我を確立してゆく。
そう、『ひみつのアッコちゃん』は、一人の前思春期の少女の成長を丹念に綴った一種のビルドゥングスロマンであり、自らの幸せよりも常に他人の幸せを最優先する、アッコのその天使のような澄みきったハートの清らかさと、欲心をコントロールした悟りの美徳観こそが、読む者に爽やかな感動と穏やかな安らぎにも似た幸福感を解き放つのだ。