文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

児童文学的風情を滲ませた「そだての親はカン吉くん」

2020-04-20 20:19:36 | 第3章

「そだての親はカン吉くん」(64年9月号)もまた、そんな子供の成長の節を切り取り、児童文学的な風情を色濃く滲ませた好編だ。

捨てられた赤ん坊に遭遇したカン吉は、捨てた母親の替わりに、ガンモとチカ子と一緒に、空き地の廃屋で秘密裡にその赤ん坊を育てようと四苦八苦していた。

だが、その秘密を見たアッコやモコの説得により、自分達のような子供では、赤ん坊を育てることなど出来る筈もないことを認識したカン吉達は、生木を裂かれる想いを抱きつつも、翌朝、赤ん坊を警察に届けることを同意する。

その夜、十五夜の月見ということもあり、赤ん坊に食べさせるお団子を買おうと、外に出たチカ子は、交番でその赤ん坊の母親が警察官に我が子の捜索を求め、泣いている姿を見掛ける。

そして、母親を元気付けるかのような明るい笑顔で、警察官付き添いのもと、赤ん坊と母親を対面させるという、複雑な心の綾を一気に解きほぐすかのような、安堵に満ちた展開を迎えるが、そのドラマの背景には、子供の内的規範として醸成されるべきインテグリティがそこはかとなく漂っており、緻密に練られたプロットを通し、子供達の篤く深い心の羽ばたきが、心打つ暖かな情感を込めて描き写されている。

読む者に頗る感銘と優しい感情をもたらすその一点を鑑みても、赤塚のヒューマニストとしてのプロフィールと、本シリーズに対する真摯で堅実な創作姿勢が窺えよう。


作劇の公理性も鮮やかな「われた鏡とお正月」

2020-04-20 06:16:43 | 第3章

各話、高水準な様式美的展開に統一され、丁寧に練り上げられた演義と、巧妙に仕組まれたプロットを辿ったストーリーテリングに心弾まされる『アッコちゃん』であるが、1964年1月号に掲載された「われた鏡とお正月」は、秩序立った筋立てに立脚したスタンダードな構成を主軸にしつつも、二転三転するアクションを連続させ、起伏を付け加えた敏捷なドラマ展開を磐石に、些末な枝葉に至るまでドラマの興奮を宿すという、赤塚の物語作家としての絶対的スキルを最大出力で指し示した傑作だ。

元旦、晴れ着を纏い、モコの家に遊びに行ったアッコは、モコとガンモ、タマ男(『おた助くん』のレギュラーキャラ)とカルタ取りをして遊ぶことになるが、そこで悪ガキ三人の意地悪なチームプレイにより、惨敗を喫する。

屈辱を舐めることとなったアッコは、モコとモコの母親が出掛けることを見計らい、モコの母親に変身。悪ガキ三人に、香辛料たっぷりの激辛料理を振る舞い、溜飲を下げるが、何と、逃げ出したガンモに、思いも掛けぬアクシデントから、庭の植え込みに隠しておいた魔法の鏡を割られてしまう。

魔法の鏡を割られ、元の姿にも戻れず、途方に暮れるアッコの前に、再びサングラスを掛けた鏡の国の使者が現れ、涙するアッコにきつくお灸を据えた後、魔法の鏡と同じ効き目を持つ小さな手鏡を手渡す。

小さい方が持ち運びに便利だと、歓喜するアッコだったが、その帰り道、氷の張った川で遊ぶガンモと再び遭遇。またしても大喧嘩になってしまう。

そして、ガンモが暴れ出した瞬間、氷が割れ、ガンモは川にはまって溺れ出す。

必死に助けを求めるガンモを放っておけず、自らも川に飛び込み、ガンモを無事助け出すアッコだったが、一件落着かと思いきや、今度は貰ったばかりの手鏡を川の中に落としてしまっていた。

その夜、意気阻喪の中、一人部屋で項垂れるアッコの前に、川に落とした筈の手鏡を持った鏡の国の使者が、またしても現れる。

ガンモの命を救ったご褒美に、手鏡を川の中から探し出してきてくれたのだ。

鏡の国の使者の優しさに触れ、心を入れ換えたアッコは、新しく貰ったこの手鏡を、これからは今まで以上に大切に扱おうと、心に誓うのであった……。

無駄なく切り詰められたページ数の中で、きっちりとドラマを見せる抜群の構成力、読み手の不安感や緊張感を倍加させる劇的なメインエピソードもさることながら、我執から離れた慈悲慈愛の精神の実践といった重々しいテーマを掬い上げ、アッコの思考や行動を通し、大乗仏教で言うところの自他不二のメンタリティーを読者に自己発見させるべく、テーゼとしてドラマに織り混ぜた作劇の公理性は、初期の赤塚少女漫画に通底する、あざとさは無縁なヒューマニティーの発露を原点に据えたものと捉えて然るべきであろう。

何故なら、本編における、源泉の激情を掘り起こしたアッコのキャラクター描写に見るリアリズムが、その全てを物語っていると言っても過言ではないからだ。

そうした道徳的美質に根差した作家的欲求を鑑みても、まさに本作は、良質なリタラチャーの叡智さえも感じさせる得難いエピソードになり得ていると言えないだろうか……。


感動のクリスマス・ファンタジー「カン吉くんときよしこの夜」

2020-04-19 21:31:36 | 第3章

数ある『アッコちゃん』の傑作エピソードの中でも、筆者イチ推しの珠玉の一編が、「カン吉くんときよしこの夜」(64年12月号)である。

アッコとモコは、クリスマスになると、プレゼントを交換し合うことが毎年の決まり事になっていた。

アッコとモコは、お互いのプレゼントを買い求めに来た商店街で、サンタクロースの格好をした一人のおじいさんと出会う。

おじいさんは、年老いた身でありながら、おもちゃ屋さんでアルバイトをして生計を立て、父と母を幼くして亡くした孫娘の光子と二人、慎ましい生活を送っていた。

貧しさから、光子にプレゼントさえ贈れない。

光子と友達であるカン吉は、おじいさんと光子の、そんな苦渋の想いと複雑な内情を汲み取り、自らのセーターを毛玉の玉へとほどき、光子に差し出す。

おじいさんは、雪降る中、手袋をなくしたため、かじかんだ手で、お店の看板を持っていた。

カン吉は、そんなおじいさんの為に、セーターの毛玉で手袋を作ってあげるよう、光子に伝え、光子もカン吉の言う通り、その毛玉で手袋を編み、おじいさんにプレゼントする。

そんなやり取りを一部始終見ていたアッコとモコは、それぞれのプレゼントであるオルゴールと人形を光子に贈ることに決める。

そして、魔法の鏡で天使に姿を変えたアッコは、イブの夜、光子の家に現れ、二人からのプレゼントを光子に手渡す。

ピュアな感情をふわりと包み込むアッコとモコ、そして、カン吉の天真爛漫な優しさが、手に届くような幸福の奇跡を引き起こす感動のクリスマス・ファンタジー。

聖なる一夜を告げる教会の鐘の音と光瞬く神秘的な聖夜の雪景色を景観とする、審美眼に裏打ちされた精妙なシチュエーションも、感慨をそそる見所の一つだ。


少女達の憧れを具現化した『ひみつのアッコちゃん』

2020-04-16 13:09:56 | 第3章

『ひみつのアッコちゃん』のテーマの発想も、『おそ松くん』同様、映画からのインスパイアによるものだった。

連載開始当時、赤塚が定期講読していたキネマ雑誌「映画の友」(映画世界出版刊)の海外通信欄の記事に、ルネ・クレールの『私は魔女と結婚した』(『奥様は魔女』の原題)という作品のリメイク企画が紹介されており、魔女というキーワードが妙に引っ掛かった赤塚は、「りぼん」の新連載用にと、魔法のスペックを使って、様々なものに変身する女の子というテーマを創案し、その企画案を編集部に持ち込んだ。

『ひみつのアッコちゃん』の連載開始前夜のことを、赤塚はこう振り返る。

「〈リボン〉(原文ママ)の副編集長のところへアイデアを話しに行ったんだよね。魔法の鏡を見て変身する漫画って言ったら馬鹿にされちゃって、〝今ごろ魔法なんてアンタ、馬鹿なことをいうんじゃない〟って言われたんだけど、〝いや今は誰も描いていないから〟って無理矢理頼んでやらせてもらったんですよ。ところが始まったら評判良くてね、すぐ別冊、別冊と随分描いた。」

(『赤塚不二夫1000ページ』話の特集、75年)

当初、編集部からその企画案を一蹴された『ひみつのアッコちゃん』だったが、連載開始から時暫くして、テレビ版の『奥様は魔女』(主演/エリザベス・モンゴメリー)の放映開始とシンクロし、魔法使いブームが到来する。

少女達の間で、魔法や魔術のエッセンスが広く浸透し、それに先鞭を付けるかたちで、『アッコちゃん』人気は急上昇。同誌の目玉商品ともいうべきヒットタイトルとなった。

『アッコちゃん』は、同時期に始まった大ヒット作『おそ松くん』とは全く異なる作風を狙った傾向があり、キャラクター造形という点に着目しても、おそ松キャラのような奇抜さはなく、人物配置においても、生活臭を纏い、ウェットな庶民性に根差した登場人物がコーディネートされているなど、その対照性が窺える。

アッコを取り巻くレギュラーキャラは、アッコの大親友で、アッコ同様に朗らかな女の子だが、勝ち気な性格とお転婆ぶりは、実はアッコ以上というクラスメートのモコ、モコの弟で、正義感が強く、思い遣り深い面を持ちながらも、姉譲りの勉強嫌いと利かん坊な性格が玉に瑕な腕白坊主のカン吉、カン吉とは大の仲良しで、粋に和服を着こなす落語家かぶれ、子供でありながら、その老成した態度には、大人も思わずタジタジにさせる豆腐屋の小倅・ガンモ、カン吉とガンモの共通のガールフレンドで、興信所もビックリの調査能力を持ち、街中のあらゆる情報を収集するが、絶対の秘密事さえもお金を貰えば、すぐにバラしてしまう、油断もすきもない近眼少女のチカちゃんなど、いずれも細緻を極めた性格付けがなされている魅力的な子供達ばかりだ。

余談だが、『アッコちゃん』で最も強烈なパーソナリティーを発揮するチカちゃんは、メジャーな赤塚キャラの中でも、最古の登場人物として知られている。

チカちゃんが最初に出演した作品は、『おハナちゃん』で、主人公のおハナちゃんとは真逆な、鼻っ柱が強く、ちょっぴり捻くれた性格が宛がわれ、互いの個性をぶつけ合いながらも、好敵手であるおハナちゃんとは抜群の相性で絡み合い、物語を盛り上げる得難いバイプレイヤーとして既に描かれていた。

『アッコちゃん』の登場人物達のネーミングは、アシスタント第一号で、当時結婚したばかりの登茂子夫人の親族の方々の名前から拝借したのだという。

アッコは、登茂子夫人の実姉のニックネームから、モコは、登茂子夫人のニックネームから、そして、カン吉は、赤塚にとって義理の父に当たる登茂子の実父の名からそれぞれ命名された。

『アッコちゃん』は、赤塚漫画の代表的なタイトルの一つでありながらも、『おそ松くん』や『天才バカボン』 、『もーれつア太郎』のように、マシンガンの如く激しい消費速度で、ラディカルな笑いが乱れ撃ちされるエネルギッシュな作風ではないが、アットホームな雰囲気の中、ナーサリーテールの世界観を、ヒューマニティーの香り立つ、優美な幻想譚の世界へと昇華させたシチュエーションコメディーの傑作だ。

その深度のあるハイクオリティーなテーマ、時にはロマンティックであり、また時には明るく開放的なストーリーラインを背景に、人と人との暖かな交流から紡ぎ出されるドラマの重層性が心地好く、所謂赤塚ギャグとはまた別な、赤塚のストーリーテラーとしての異能ぶりの一端を窺い知ることが出来る。

『ひみつのアッコちゃん』連載開始から連載中期に掛けては、経済規模の驚異的なエクステンションに比例し、国民の生活意識もまた、著しく形を変えるなど、我が国が経済大国へと突入する新時代の幕開けと重なり合った時期ではあったが、庶民レベルにおける生活様式は、大きく飛躍するまでには至らず、思い通りのお洒落を満喫出来る女の子は、ほんの一部の裕福な家庭のお嬢様だけに過ぎなかった。

そうした時代に、普段一般の女の子達が身に纏う機会のないお姫様、天使、バレリーナ、婦人警官といった様々なコスチュームにアッコが着飾り、毎回、物語にファッションショー的なバリディティを呈する華やかなシチュエーションは、少女読者を魔法のトリックで夢の世界へと誘う以前に、彼女達が抱く日常の中での些細な憧れを刺激して余りあるスパイスになったに違いない。

因みに、「りぼん」には、毎号「アッコちゃんファンコーナー」なるスペースが設けらており、往時の人気を偲ぶことが出来る。

このコーナーでは、ファンから送られてきた似顔絵やレターなどが複数紹介されており、63年5月号では、後にミス10代コンテストの世界大会で優勝し、歌手、女優として活躍を続ける大信田礼子が描いた、可愛いアッコのイラストが掲載されている。

その後、肉感的ボディを引っ提げ、ズベ公女優としてスクリーン狭しと暴れ回る大信田だが、そんな彼女にも夢見る少女だった時代があったのかと思うと、何とも頬が緩む。

では、前振りが長くなってしまったが、ここで改めて、1964年から翌65年に掛けて刊行されたきんらん社版(全4巻)、1974年に刊行された曙出版版(全5巻)の単行本をテキストに、いくつかの傑作エピソードを振り返ってみたい。


魔女っ子路線のルーツ『ひみつのアッコちゃん』の連載開始

2020-04-16 13:09:56 | 第3章

『ひみつのアッコちゃん』は、『おそ松くん』の連載開始から遅れること約二ヶ月、1962年5月発売の「りぼん」6月号から65年9月号まで三年余りもの間、長期連載された赤塚少女漫画の総決算的作品であり、人気度、一般認知度の高さのみならず、そのSF的設定、良質のユーモア、ポップな軽快感、テンポの良いストーリー展開等、表現のバリエーションを更に細分化させたターニングポイントとも言うべきシリーズである。

有名作品でありながらも、アニメ版とは異なり、その魅力を掘り下げて語られることが殆どなかった原作版『ひみつのアッコちゃん』であるが、先にも述べたように、そこには、後の赤塚漫画の系統樹を司る種の起源を見て取れる点からも、初期赤塚作品では、『おそ松くん』と双璧を成す程の深い意義の備わったリプレゼンタティブワークと位置付けても良いだろう。

読者層の少女達の身近に存在するような、爽やかで気立ての良い、ちょっぴり空想癖のあるお転婆な女の子が、鏡の国からやって来たという謎の男から、呪文を唱えれば、何にでも願うものに一瞬のうちに姿を変えられてしまう魔法の鏡を譲り受け、その鏡の不思議な力と持ち前の強い正義感によって、友達や困っている人を助けてゆくというのが、『ひみつのアッコちゃん』の大まかなストーリーだ。

多種多様なエピソードの中で繰り広げられるアッコの八面六臂の活躍は、夢見る少女達の変身願望を存分に満たすとともに、読む者をファンタジックな寓話の世界へと誘い、連載第一回目から大好評を得るに至った。

因みに、連載第一回目「かがみの国のおつかい」(62年6月号)の粗筋はこうだ。

ある昼下がり、留守番をしていた主人公の少女・アッコが、退屈凌ぎに縁側で鏡を見ながら、勝手に持ち出したお母さんの化粧品を顔に塗って遊んでいるところ、突然ボールが飛んできて、大切な鏡を割られてしまう。

宝物の鏡を割られ、悲しみにうちひしがれているアッコの前に、サングラスを掛け、黒スーツとソフト帽に身を包んだ若い男が現れる。

その若い男は、鏡の国の使者を名乗り、いつも鏡を大切にしてくれていたお礼にと、割れた鏡を新しい鏡と交換してあげるという。

鏡の国の使者がくれた魔法の鏡は、なりたいものの名前を逆さまに唱えると、唱えたものの姿に変身出来るという、花柄の緑飾りをあしらったアンティークな鏡台で、早速アッコは「綺麗な服を着た可愛い女の子」に変身する。

変身した別人の女の子の姿のままで、外へ飛び出したアッコは、友達のモコやチカ子、ママに声を掛けてみるものの、誰も彼女がアッコであることがわからなかった。

心浮き立ったアッコは、魔法の鏡のことを誰にも話さず、そっと自らの胸の内だけに秘めておくことにする。

それ以降、アッコは鏡による魔法のトリックで、その時の状況に応じ、自分とは違う人や動物へと変身し、身の回りで起こる様々な事件を解決してゆく中、少しずつ人間的に成長を重ねてゆく……。